◆春待ち草さんからご質問をいただきました。
>翻訳されている『人魚の島で』、大好きな本です。
>翻訳する本はどのように選ぶのでしょうか。
>また、翻訳のむずかしさや気をつけている事など教えて下さい。
語学を専門に学んだわけではないので、翻訳は趣味の範囲です。
お手本は石井桃子さんの名訳『クマのプーさん』です。
好きな本を勝手に(自分用に)訳してみたり、
Mにたのまれて資料本を訳したりしていますが、
お仕事としては、たまにご縁があれば、させていただく程度です。
本職の翻訳家の方々は、どのようにお仕事をされているのか、
おたずねしたことがないのでわかりませんが・・
わたしはいま住んでいるところがかなり田舎のほうで、
輸入本を扱っている書店に行こうとすると片道3時間半かかりますので、
新刊本を自分で見て選ぶということはなかなか難しいです。
(店頭でぱらぱらと見たって内容把握できないし・・笑)
海外と日本の出版社の仲介をするエージェントという会社があり、
各出版社にはそういうルートから「おすすめ本」が入ってきます。
絵本などは、国際的なブックフェアの会場で編集者が見て、
その場で商談、ということもあるようです。
そういう場合は、本が先で、訳者はあとから決まります。
『人魚の島で』(シンシア・ライラント/作 偕成社 1999年)は、
この著者の本をすでに何冊か出している編集者さんから
「訳してみない?」と声をかけていただきました。
このときは、最初のページを見ただけで、
「あ、これは、あれだ」という感じを受けました。
「あれだ」って、何だ?
ということが説明しにくいんですが・・
自分の文体に変換可能だ、ということ、かな?
目で見たセンテンスが、自分の日本語になって、すっと出てくる感じ。
これが「すっと出てこない」と、ぜんぜん楽しくありません。
学校の宿題をやってるのと同じです。
辞書さえひけば、単語や文章の意味はだいたいわかるし、
それを日本語に直すことも、できなくはないですが、
翻訳としては、でこぼこの石ころ道を自転車こいで行くような・・
いわゆる「ノリが悪い」というやつですね。
変換可能か、そうでないかは、何で決まるのか。
わたしの場合は、著者が女性のほうがうまくいきます。
(男性でも、世の中からちょっとはずれたような人だと
変換できることがあります。文豪タイプはだめです)
ライラントさんの本を読んだのは初めてでしたが、
「あれだ」に続いて「わかる」と思いました。
つまり、この人も、わたしと同じく、ある種の変身願望をもって
物語を書いている人なのではないか、と。
ご本人にお聞きしてみたわけではないので、
もしかしたら、まったくハズレかもしれませんが・・
ともかく、一方的だろうと、思い込みだろうと、
直感的に「わかる」ことは、重要です。
英語の単語を辞書でひくと、いくつかの訳語が出てきます。
たとえば「lovely」を手元の辞書でみると、
「美しい、かわいらしい、愛らしい、人格のりっぱな、すぐれた、
敬愛すべき、うれしい、すばらしい、愉快な、快い」
というような日本語が並んでいます。
一番近いのはどれか。
または、どれでもないのか。
文脈から、前後の言葉から推察するのはもちろんですが、
「この作者なら、この場面で、どんな言葉を選ぶだろうか」と考える。
そのときに、自分と何か共通点のある相手なら、想像しやすい。
あれかこれかと無駄に迷わずにすみます。
気をつけている点は・・
訳者であることを、ときどき思い出すようにすること。
訳している途中で、すっかり作者の気持ちになってしまい、
ほんのちょっとした文章のキズのようなものが目につくたびに、
「ここ、わたしだったらこう書くのになー」などと、
ついつい思ったり、しないこと。
長くなったので、次回に続きます。
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