◆せいらいさんからのご質問
>黒ねこサンゴロウシリーズの大ファンです。最近、質問の答えで、
>いろいろな新しいことが分かってとてもうれしく思っています。
>質問なんですが、『ケンとミリ』でケンが出会ったのは、
>『最後の手紙』で記憶を取り戻した後のサンゴロウなんでしょうか?
>サンゴロウは「ケン」と呼びかけていますから。
>私としては、こう考えると最終回の後もサンゴロウは元気にやっているのかな…と
>ちょっと近況を知れた気がしていいかなと思っていました。
本が出て何年もたってから「新しいことがわかる」のって、
著者の姿勢としては、間違ってる気がするんですよね。
そうなら最初からそうとわかるように書いとけ、って(笑)
そもそも真実とは何か。
本人の言うことだからって全部信じていいのか。
「嘘つきは作家のはじまり」って、わたしはよく言うんですけど、
『旅するウサギ』のマシュマロに騙されてくださった方なら、
その手口はだいたいおわかりのはず・・。
さてさて・・(にっこり)。
シリーズ全体の「時間軸」には諸説ありまして、
どれが正しく、どれが間違い、というふうには思いません。
どうも、ブロックの(・・「ブロック」については聞かないでね;)
あっち側とこっち側で、多少ずれやゆがみも生じているらしく。
『最後の手紙』は、やみねこ問題ともからんで、
記憶を「取り戻した」のか?というラストの解釈も微妙なため、
(どうして霧が晴れる「前」で終わってるのか、とか、ね)
ここでは詳しく書かないでおきますが・・
えーと、ご参考までに、著者設定では、『ケンとミリ』のサンゴロウは、
『青いジョーカー』の直前にあたります。
(正確にいえば、ジョーカーの「0章」につながっているだけで、
そのあとの話とは特に関係ありません)
しかし、じゃあ『ほのおをこえて』のサンゴロウは
ケンに再会したあとなのか、っていうと、それもまた微妙。
つまり、「旅のつづき」5冊は、最後が最後、という以外、
出来事が起こった順に並んでいるとは言い難い。
『ケンとミリ』はどちらかというとサイドストーリーで、
こっち側の現実的な話に終始し、サンゴロウの出番が少ないので、
「旅のつづき」のトップに出すにはふさわしくないんではないか・・
というのが当時の出版社側のご意見でした。
ところが、著者は、これをサイドストーリーとは全然思っていなくて、
むしろ(見かけによらず)非常に重要な「鍵」の巻だから、
どうしてもここに置く必要がある! と言い張って、
だいぶモメましたっけね。(すみません;)
前にも書いたように、「いきあたりばったり」な著者なので、
10巻全体を通しての構想、なんてものは皆無だったんですけど、
ぼんやりと「らせん構造」を考えていたわけです。
というのは、
前半5冊でひとまわりする。
元の位置に戻ってくるが、軌道が円ではなく、らせんなので、
5巻は1巻よりひとつ上の段階になっている。
後半5冊でもうひとまわりする。
すると『ケンとミリ』は『旅のはじまり』の上に、
『ほのおをこえて』は『やまねこの島』の上に、
『最後の手紙』は『霧の灯台』の上に重なるはず。
(3か所でとめておけば、らせんは固定できる)
そして5巻と10巻をつなぐものが「霧」、そして
「ハッピーエンドだ」という合言葉。
まあそんなことを(著者だけがこっそりと)考えていたので、
現実的な前後関係とかは二の次になったようです。
ドルフィンシリーズのほうも、「いきあたりばったり」は変わりませんが、
いちおうきちんと時間軸にそっています。
これは、テールがサンゴロウみたいな自由業(?)じゃないからでしょうか。
なんと、1巻から5巻までで、時間的には丸1年たっておりません。
が、サンゴロウシリーズとの関係でいうと、
『キララの海へ』から数年おいて『ドルフィン・エクスプレス』。
『最後の手紙』よりあとに『流れ星レース』。
『ほのおをこえて』よりあとに『波のパラダイス』。
『青いジョーカー』よりあとに『光のカケラ』。
と、ここまでは確かなんですが・・いや、そうでもないか?
アタマこんがらがってきましたね。
春休みの自由研究のテーマに、いかがでしょう?
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