つづきです。
『でんしゃがくるよ!』(シャーロット・ヴォーク/作絵 偕成社 1998年)
というイギリスの絵本の翻訳をしました。
これも、わたしが選んできたのではありませんが、
乗り物の絵本を書いていることから起用していただいたのでしょう。
原文は3人称で書かれていて、クロエとウィリアムの姉弟が
お父さんと陸橋の上に電車を見に行く話です。
電車の好きな子どもには「わかるわかる!」という感じの、
国の違いをこえて楽しめる素敵な絵本なのですが、
なじみの薄い外国の子どもの名前が出てくることが、
幼い読者にとってハードルになってしまうおそれがありました。
このときは、編集者さんとも相談の上、弟の1人称にして
「おねえちゃん」「ぼく」と訳すことにしました。
訳者はどこまでやっていいものか・・
判断は人によってさまざまだと思います。
原作者の意図を尊重するのは、もちろん当然のこと。
しかし、海外の作品を、できるかぎり原作に忠実に、
その魅力がもっともよく伝わる形で、
しかも「美しい日本語にして」子どもたちに手渡すためには、
がちがちの忠実だけではだめで、柔軟な「意訳」も
欠かせない大切な要素だと思っています。
原題は「Here Comes the Train」で
the Trainと作者名が橋の下にくるようになっている。
日本語では逆になっちゃうのも難しいところ。
以下、余談になりますが・・
ナルニア国シリーズの『ライオンと魔女』(1966年初訳)で、
エドマンドが女王にもらうturkish delightというお菓子を、
瀬田貞二さんは意図的に「プリン」と訳されました。
「ターキッシュ・ディライト」(あるいは「トルコぎゅうひ」!)では、
日本の読者にはどういうものやら見当もつきませんが、
英国ではおそらく誰もが知っているスウィーツ。
『クマのプーさん』の作者ミルンもこれを好んだそうですから、
子供のおやつというよりは、コーヒーにそえて出されるような
ちょっとおとな向きのお茶うけかしらん。
それをねだるところにもエドマンドの性格が垣間見える。
つまりこれも翻訳ならではのハードル。
「プリン」でよかったのか、という議論はさておき、
訳者の思案のしどころであったでしょう。
しかし、その「箱にどっさり入ったプリン」を
「むしゃむしゃ口にほうりこむ」という描写に
(むしゃむしゃ? 手づかみ? スプーンは?)と
妙な違和感をおぼえたわたし(読んだ当時、小4くらい)は、
あとになって、それが実はプリンではないことを知り、
さらに後年、映画でようやくその実物を目撃することができて、
(なにやら「ひとくち苺ジャム大福」みたいなものであった・・笑)
長い旅を終えたような深い満足感を味わったものでした。
そんなのも、翻訳物の愉しみのひとつ、といえるかもしれません。
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