江戸で正月を過ごした人の話では、市中では見上げるような松竹を飾り、
その下で美しく装いをこらした娘たちが、色とりどりの羽子板を持って
羽根をつく様子が、いかにも大江戸の春らしいという。
わが里(=越後国魚沼郡塩沢)の羽根つきは、そんな優雅なものではない。
正月は、使用人たちも少しは遊ぶことを許されるので、
羽根をつこうということになると、まず場所を選んで、雪を踏み固め、
土俵のようにする。羽根は、うつぎ(=木の名前)を一寸ほど筒切りにして、
これにヤマドリの尾羽を三本さす。江戸の羽根にくらべればずいぶん大きい。
これをつくには、雪掘りの木鋤(こすき)を使い、力まかせにつくので、
たいそう高く空に上がる。
こういう大きな羽根なので、子供は混じらず、あらくれた男女が入り混じり、
はばき(=わらで編んだ脚絆)わらぐつをはいて遊ぶのである。
ひとつの羽根を並んでついて、うっかり落とした者には、
最初に決めたとおり、雪をかけたり、頭から雪を浴びせたりする。
雪が懐に入ると冷たくてたまらない。その様子を見て、大勢が笑う。
窓からこれを眺めるのも雪中の一興である。
『北越雪譜』(岡田武松校訂 岩波文庫 1978年改版)より。
文語体は横書きにすると読みにくいので(そんなことないですか?)
閑猫がざっくり訳しました。
現代語訳の本も出てますので、興味のある方はどうぞ。
いやあ、それにしても豪快な羽根つきですね。体力を消耗しそう。
この本は、そもそも越後の商人だった鈴木牧之という人が、
雪国の暮らしを世に知らせたいという思いを抱いて企画を持ち込み、
それを江戸の戯作者山東京山がプロデュースしたもので、
出版されたのは1840年前後だから、ハリスもペリーもまだ来ていない。
この正月のくだりは、まあまあのどかで微笑ましいのだが、
相当にすさまじい話もあり、ほんとかしらんというのもあり、
(雪山で遭難して熊に助けられ、帰ってきたら、家では自分の
四十九日の法要の最中だった・・という聞き書きとか)
雪国を知らない閑猫は、それだけでも驚くけれど、
中でも、落人伝説のある山奥の秘境の村の暮らしぶりは、
いくら昔とはいえ、これが日本かという感じで、かなり驚く。
牧之さんは、俳人で、画才もあったが、自然科学者でもあり、
今でいえば民俗学者、文化人類学者でもあったわけだ。
ただ、残念なことに、戯作者の筆があちこちに入っているため、
明らかに場違いな修飾が全体をうさん臭くしてしまっている。
そうしなきゃ売れませんよと言われればしかたないけど。
紀行やドキュメンタリー番組のゲストに必ずお笑いタレントを
起用する風習は、お江戸の昔からあったのかもしれない。
(あ、また本筋からそれてる)
<追記>
ここまで来たら、もうついでだということで、
東洋文庫に入っている「秋山記行」を読むことにしました。
こちらは牧之さん自筆のスケッチがたくさん入っているし、
ところどころ漢詩や短歌も混じり、漢詩は読めませんが(笑)
変な脚色がされていない分、ずっと気持ちよく読むことができます。
いまわたしの住んでいるこのあたりも、いや、日本の山村のほとんどが、
200年くらい前はこんなふうだったのでしょう。
ネットで見ると、秋山は紅葉の美しいところのようです。