今回も地元にちなんだ品です。
月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』
26.7㎝x35.6㎝。浮世絵版画刊行会、昭和51年。(オリジナルは明治15-23年)
浮世絵師、月岡芳年が、古今東西の物語などから題をとり、月にまつわる百図を描いたシリーズの中の一枚です。
稲葉山(金華山)の頂には、岐阜城(稲葉山城、井ノ口城)がありました。
その城を夜中に攻め入る武将を描いています。
必死で岩にしがみつき、登っています。大きな瓢箪を背負っています。これは、木下藤吉郎、後の豊臣秀吉ですね。
もう一つ、この図で注目されるのは巨大な月。戦場の場面でありながら、静かな抒情にあふれた情景です。
作者の月岡芳年(1839-92)は、幕末から明治期にかけて活躍した浮世絵師です。歌川国芳の門下で、残虐絵や歴史画を得意としました。その中でも、『月百姿』シリーズは晩年の作で、彼の最高傑作といわれています。
それを、現代の彫師と摺師が見事によみがえらせました。
さて、例によって、浮世絵の実地考証です(^.^)
金華山は、全山、巨大な岩山です。この絵は、そこを必死で登っていく秀吉を、背後から、満月が照らし出しているという憎い画面設定です。このような険しい崖になっているのは、長良川に面した金華山の西側です。したがってこの絵は、南東から対象を描いたことになります。天文には詳しくありませんが、満月は、日が入ると東の空に出て、真夜中には南の空にあり、明け方には西に沈みます。ですから、この絵のように、北西方向に満月が位置する日時があるとは思えません。
また、この絵では、木下藤吉郎が瓢箪を背負っています。彼は、永禄10年、織田信長の稲葉山城攻略で先兵をつとめて潜入に成功し、これが出世の糸口となったといわれています。そして、瓢箪が秀吉の馬印に。実際、金華山頂付近には、「千成瓢箪発祥の地」とよばれる場所があります。そこには次のような説明書きが・・
「永禄10年(1567)8月14日、木下藤吉郎(のちに羽柴秀吉、豊臣秀吉と改称)は蜂須賀小六や山麓の猟師堀尾茂助など僅か七名を従えて、岩戸口から稲葉山城のここまで潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたてたと伝えられている。この時、藤吉郎は城兵を倒した鎗先に腰から下げていた瓢箪を結び付け、鎗を振り回しながら大音声で勝鬨をあげたという。以来、秀吉の馬印、千成瓢箪発祥の地とされている。 岐阜市」
しかし、近年、秀吉の稲葉山城潜入や墨俣一夜城築造は疑問視されています。いずれも、講談の演題としては面白いけれど、話が出来すぎ(^^;
でもまあ、浮世絵ですから、この際、かたい話しは抜きで鑑賞すればいいですね(^.^)