遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

沈金源氏物語紅葉賀四方盆と能『船弁慶』

2021年06月18日 | 漆器・木製品

黒漆に沈金が施された輪島漆器です。

21.5 ㎝x21.2 ㎝、高2.3 ㎝。明治ー戦前。

沈金は、黒か赤の漆地に施されることが多いです。

沈金とは、ノミで塗面に模様を彫り、彫ったあとの凹部に漆をすり込み、そこへ金、銀の箔や粉などを押し込む技法です。

通常は、様々な絵柄模様を描くのですが、この四方盆では、絵の外に平仮名を彫っているのが特徴です。文字の肉厚も含め、滑らかな曲線を彫るのは技術を要します。

 

源氏物語第七帖「紅葉賀」の一場面が、沈金で描かれています。

先回紹介した四方盆と同じく、絵と詞(和歌)からできています。

絵は、紅葉と幔幕、和歌は源氏の歌です。

「ものをもふに
   たちもふ
     へくも
    あらぬみの
 そてうち
   ふりし
     こゝろ
      しりきや」

 

義理の母、桐壺の宮と密かに深い中になった源氏は、紅葉の最中、帝が懐妊した桐壺のために用意した舞の催しで、青海波を見事に舞います。そして、次の日、源氏は桐壺に和歌を送ります。

「もの思ふに 立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや」
(あなたへの思いにとらわれて、とても舞いなどできそうもない私でしたが、一生懸命に舞いました。その心をわかってくれますか)

桐壺の返歌。「唐人の 袖ふることは遠けれど 起ちゐにつけて あはれとは見き」
(唐人が袖を振り舞ったという故事には疎いですが、あなたの舞い姿には心うたれました)

二人の間の微妙な関係がうかがえますね。

 

この源氏の和歌は、能『船弁慶』では、前段のクライマックス、静が舞いを舞う時のフレーズに取り入れられています。

兄頼朝に追われた義経は、弁慶らとともに都落ちし、西国へ逃れる途中、摂津の国、大物浦に着きます。静も一緒に来ましたが、これ以上同行は無理とされ、都へ戻ることになり、別れの宴がもたれます。

静は、「立ち舞うべくもあらぬ身の~」と涙ながらに、舞い、別れるのです。

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地謡「波風も。静を留め給うかと。静を留め給うかと。涙を流し木綿四手の。神かけて変わらじと。契りし事も定めなや。げにや別れより。勝りて惜しき命かな。君に再び逢わんとぞ思う行く末

子方「いかに弁慶。静に酒を勧め候え
ワキ「畏まって候。げにげにこれは御門出の。行く末千代ぞと菊の盃。静にことは勧めけれ
シテ「わらわは君の御別れ。遣る方なさにかき昏れて。涙に咽ぶばかりなり
ワキ「いやいやこれは苦しからぬ。旅の船路の門出の和歌。ただ一さしと勧むれば
シテ「その時静は立ち上がり。時の調子を取りあえず。渡口の遊船は。風静まって出ず
地謡「波濤の謫所は。日晴れて出ず
ワキ「これに烏帽子の候召され候え
シテ「立ち舞うべくもあらぬ身の
地謡「袖うち振るも。恥ずかしや
シテ「伝え聞く陶朱公は勾践を伴い
地謡「会稽山に籠もり居て。種々の知略を廻らし。終に呉王を滅ぼして。勾践の本意を。達すとかや

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ワキ、弁慶が、「これに烏帽子の候召され候え」といって烏帽子を差し出すと、静は烏帽子を取って身支度をととのえ、立ち上がる。そして、「立ち舞うべくもあらぬ身の」と謡うと、地謡が「袖うち振るも。恥ずかしや」とつける(舞いなどとても舞えそうにもありません。袖を振り、翻すのも恥かしい)。静は、イロエ、そしてクセ舞を、さらに中の舞を舞い終わると、泣き崩れます。(前段、終)

このように、『船弁慶』前段の重要な部分に、源氏の和歌「たちもうべくもあらぬみの・・・」 をもってくることによって、作者観世小次郎は、静の別れのつらさを舞いで表現しようとしたのでしょう。

後段では、大物浦を出立した弁慶たちは、大嵐に遭遇し、平知盛の亡霊と戦う場面が展開します。しんみりとした静の別れのあとは、一転して、大スペクタクルとなります。
「たちもうべくはあらぬみの」は、この対比を展開するプロローグであった訳ですね。

なお、シテは静、ワキは弁慶、小方は義経です。義経を、子供が演じるわけですから、非常に奇妙です。その理由は諸説ありますが、作者は色恋に焦点を置くのではなく、シテ静の心の内を表現したかった、という説が有力です。実際、舞台上で、小学生くらいの子(女子の場合も多い) が大きな声で、「いかに弁慶。静に酒を勧め候え」と命じる時には、おもわず観客の頬が緩みます(^.^)

能『船弁慶』の主役は誰なのかはっきりしません。役の上では、静と平知盛ですが、実際は弁慶の方が重い役柄ともいえます。また、普通はあまり言及されませんが、『船弁慶』では狂言も非常に重要です。能、謡曲のなかでの狂言については、また別に考えてみます。
いずれにしろ、義経は主役から縁遠い。いかにも、能らしい奇想天外な劇設定です(^.^)

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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