四階の松が描かれた石皿です。
径 27.8㎝、高 4.8㎝、高台径 14.0㎝。
器形や土、釉薬などは、標準的な石皿のものです。
一本の松が、鉄釉と呉須で描かれています。
この図柄は、瀬戸の絵皿によく見られるものです。
松の幹は、筆で下から上へ一気に描かれています・・・
・・・が、よく見ると、筆を4回ほど止め、そこからふたたび進めています。
特に不自然なのはカスレ。どうやら、カスレを出すために力を抜いています。書でもそうですが、自然なカスレは、筆の勢いによるものです。
松の幹は、一気に描かれたのではなく、描き手の作為がためらいとなって筆の運びに表れていると思います。
もう一つ不自然なのは、目跡です。
雑器ですから、重ね焼きするときに窯道具の位置を、いちいち気にしていては仕事になりません。ですから、目跡は、描かれた図柄には関係なく、リズミカルに並んでいます。
この皿には5個の目跡がありますが、いずれも空白の部分にあります。つまり、重ね焼きをする時、絵の部分を避けて窯道具を置いたと思われます。
ある骨董屋の親爺の言葉が思い出されます。
「偽物の目跡は、微妙に絵を避けている」
これは真実でしょう。なぜなら、この親爺は、その昔、美濃の某窯元に、贋石皿を作らせていた張本人なのですから(^^;
「どうして、贋物をつかんでしまったのか?」ですか。
それはもう、値段です。確か、野口英世さんが4枚、相場の五~十分の一ですね。
こんな失敗は数限りなくあります。骨董の泣き笑いでは、泣きの方が圧倒的に多いのです。そのわりに、ブログでは良い品が ・・・・・・・ 骨董はパチンコと同じなのです。出ない時の方が圧倒的に多いのに、出た時の事しか話さない(^^;
数千円の値段しか付かず 中島先生が「大量に作られたお土産品ですね」
と鑑定したら ああ そんなものかと素人は思います。
目跡という言葉も初めて聞きました。窯で焼いたときの跡が残るのですね。
素人は 残る跡が絵にかからないように と思いますが確かな眼力の
窯元には 長年の豊かな経験から 見破られてしまうのですね。
>骨董はパチンコと同じ・・出ない時の方が圧倒的に多いのに
出た時のことしか話さない。
その昔パチンコにはまった経験から その心境はよく分かります。
遅生さまの骨董収拾にも そんな経験がおありですか?
目跡の大きさ、形、数などは、時代や窯に依るので、陶磁器鑑賞や鑑定のポイントの一つになります。高級品は、陶器の匣 に一個ずつ入れて焼かれましたから、目跡はありません。
私の骨董収集は、泣き笑いの連続です。もちろん、ほとんどが泣きです(^^;
でも、これ、偽物ですか!
しかし、これ、今作ったら、野口英世さん4枚では作れませんよね!
もし、これが偽物としても、表現が悪いですよね。
「石皿名品の現代の写し物」と明記すれば、立派な美術品となるのではないでしょうか(^-^;
今になってみれば、全体的に線が弱いです。こんなのは、瞬時に見分けないとダメですね。
金に目が曇りました(^^;
そういえば、野口英世さん、偉人ですが、金にはだらしなかったらしいです。あの、石川啄木も。いわんや、われわれ凡人をや、で勘弁してもらいましょう(^.^)
ワタシの場合は全くの門外漢ですが、言われてみれば違和感が・・・
ま~、売られていたワタシも間違いなく購入すると思います。
こういった品にも贋作があるんですね、勉強になりました。
それにしては、今回のダメ皿、松の絵柄とは地味すぎますね(^.^)
最後まで読まなければよかった・・・(*_*)
でも好きなものは好きです。
それを、江戸の古作だといえば偽物になりますし、今物とすればなかなかの品です。要は、自分の思い方、考え方次第です。
でも、目跡は一種の傷ですから、今、作品を作るとすれば、重ね焼きをせず、きれいな表面の品にするはずです・・・・これは、やはり、古く見せようと作為をもって作られた品といわざるをえません(^^;