今回も大部の落款印譜集、2種です。われながら、こういう類の巨大本をよくも集めたものだと思います(^^;
ただ、今回の本は、ある意味画期的です。それは、書画の落款や印譜を、絵師が写したのではなく、写真に撮ったものを載せてあるからです。したがって、資料の信頼性は格段に上がります。
狩野亨吉、井上方外『書画 落款印譜大全』と小林雲山『日本書画名家辞典 』です。
狩野亨吉、井上方外『書画 落款印譜大全 第一輯、第二輯』武侠社、昭和6年。
第一輯、第二輯の2巻仕立てです。第一輯は江戸時代まで、第二輯には明治以降の落款、印譜が載っています。それぞれ、600頁ほどです。
付箋の数が、使用頻度を物語っています。
ですので、傷みがはげしい(^^;
特に使用頻度の高い第一輯は、表紙がはずれ、ボロボロです。
昭和6年発行です。定価金拾圓は、今の金で2-3万円くらいでしょうか。そうやすやすと購入できる本ではなかったでしょう。写真左端の購入控え番号が第076號であるのも頷けますね(^.^)
書画の著者別に、印譜の写真がずらっと載っています。数少ないですが作品も。
左:佐藤一斎 右:頼三樹(三郎)
谷文晁の作品と落款。
谷文晁は印譜だけで、14頁にもわたっています。
第二輯は。明治以降の作家のデータ。下写真は、柴田是真の印譜です。
小林雲山『評伝 日本書画名家辞典 』二松堂、昭和6年(今回の品は、その復刻版、昭和56年)。
分厚く重い本です。1000頁ほどあります。
その大半は、書画の作者についての評伝です。
すでに、類書はいっぱいもっています。では、なぜこの本を買ったか?
そうです。最後に、付録?として、写真版の落款、印譜集が付いているからです。60頁ほどで、大したことはないのですが、それでも写真データは貴重です。
頼山陽の印譜。
この本の写真は、ひょっとしたら先の本と同じ?
そこで、印譜を比較してみました。
右側は、先の『書画 落款印譜大全 第一輯』です。
一番大きな印譜写真(「三十六峰外史」)を較べると、よく似てはいますが(当たり前(^^;)、細部には明らかに違いがあります。2種の本は、それぞれ、頼山陽の別の作品から撮っていることがわかります。
奇しくも、今回の2種の落款、印譜集は、いずれも昭和6年の発行です。そして私の知る限り、これ以降、写真に基づく落款、印譜集は出されていません。類似の物は、近年、美術館が発行する展示図録の巻末に見られるようになりました。
今回の本は、時代を先取りした画期的なものだったのですね。
著者たちは、いずれも明治の人です。
狩野亨吉(かのう こうきち、1865(慶応元)年) - 1942(昭和17)年))は、後述のように一筋縄ではとらえきれない巨人、小林雲山(勉)(1885(明治18)年ー没?)は書家として活躍する傍ら、日本の書画作家の評伝をまとめた人物です。井上方外の詳細は不明。
なかでも、狩野亨吉の人物像には驚かされます。
狩野亮吉は、江戸の思想家、安藤昌益を発掘した明治の学者として知られています。夏目漱石の友人で、『吾輩は猫である』や『それから』には、彼をモデルにしたと思われる人物が登場します。京都帝国大学総長を退いた後は、東北帝国大学総長に推されたり、皇太子(後の昭和天皇)の教育掛に推されたりしましたが、自分は危険人物であるとして、頑なに固辞しました。そして、「書画鑑定並びに著述業」により生計をたて、生涯独身、毎日、自分の性器をながめながら、春画研究に没頭したといいます。
京大変人列伝を書くならば、まず最初に来るべき人物だと思います。
明治の学者はとてつもなく、偉大ですね(^.^)
(最近youtubeの動画でやたら竹内文書のことを見聞きすることが増えまして・・チットの周辺にも同じような動画を見て、漢字伝来以前に日本にあった神代文字の存在を真実と信じて吹聴している人もいて、なんだかな~と思っていたんです・・🐻※でも狩野先生は竹内文書に批判的だったって、今調べたら書いてありました👍)
付箋の貼られ具合が相当に読み込まれている感じを受けました(^^)
と同時に僭越ですが自分とも重なり最近集めた本を眺めて遅生先輩の後を追ってコレクターっぽいことをしていたんだなあとなんだかうれしくなりました笑
やっぱり本も集めちゃいますよね!?(^^)
しかも、持っているだけでなく、よく読まれているのですね。
ということは、書画も相当に所持され、その調べものに使用されたのですね。
狩野亮吉という方を知りませんでした(><)
ホント、遅生さんの記事を読んで、その偉大さに驚きです!
>明治の学者はとてつもなく、偉大ですね(^.^)
その意味では、今の時代は明治に似ているのだと思います。
理想を求める動きの一方で、終末論や陰謀論も流行ります。
神代文字はどうやらその範疇に入るようですね。
この道の経験とともに、本の傾向も変わってきます。骨董道の足跡ですね。
そして、ある程度の量が揃うと、おおそういうことだったのか、と納得することが多くなります。皿の蒐集と同じですね(^.^)
とにかく書画はあまりにも範囲が広いので、何から手をつけたらよいか、全くわかりませんでした。で、藁にもすがるように、大部の書籍を手元に置きました。すると、すこし落ち着きました(^.^)
そのうちに、自分の趣向がわかってきて、現在に至っています。