祖父の活花写真集から、これまでのブログで紹介した花器が使われている作品をピックアップしてみました。
この花器は、以前に紹介した蛸壷花器ですね。
写真帖の活花の中で、一番多く使われていたのは、古銅唐人三脚丸型水盤です。
祖父のお気に入りだったのでしょう。いろいろな木枝、花を活けています。
次の写真は、左側が唐人丸型三脚水盤です。
右側の三日月型釣花入の活花は、オオッとおもわせますね。あちこち探してみましたが、まだ見つかってません(^^;
こうやって並べてみると、活花のパターンが同じであることがわかります。中央に、クニっと大きく曲がった太い枝をドンと置き、その右横に嫋やかな花枝を配しています。これなら、私にでもできる!? しかし、まず、良い曲がり具合の太枝を見つけるのが大変(^^;
さて、今回の活花写真の目玉はこれ。
以前に紹介した編笠細花活けです。
一本の竹の途中から編み込んで花器に仕立てた逸品です。
しかし、長さ76㎝、底径5㎝の細長い竹の花器を直立させるだけでもヒヤヒヤものですが、それに花を活ける!果たしてうまくいくのだろうか。足元を固定する物が必要なのではないか等々、次々と疑問が湧いてきて、半信半疑のまま以前のブログを閉じたのでありました(^^;
その疑問に対する明確な回答が、この写真なのです(^.^)
口元に菊?を入れ、そこから長い枝木(椿?)を下方へ伸ばしています。
こんな不安定な形が可能か?
でも、トリック写真ではなく、現実の活花です。
考えてみれば、他の写真の活花も、これほどではないにしても、少々危なっかしい造形でした。
祖父の活花を一口で言うならば、「バランスの妙」(^.^)
古銅唐人三脚丸型水盤は 浅く小さい水盤に重量のある枝を活けて
安定した形で保っている姿は見事ですね。
編笠細花活けは 細長いビン状のものを竹で編んだものでくるみ それに花を活けてあるのでしょうか?
細いほうが下ですよね どうやってこの状態でバランスよく立っているのかも 素人には不思議でたまりません。
特に、竹編細筒花器は、それ自身でかろうじて立ちます。
そこへ花をいれたとなると、とても危なっかしいです。
特に写真の活花のように、左下方に木枝をのばした場合、グリンとひっくり返るように思うのですが・・・・それとも、やじろべえのようにうまくバランスがとれるのでしょうか。
竹編の花活は面白い形ですね!
まるで花を活ける側がためされているような造形ですね(^^)
お祖父様は上手に使いこなして見事に活けていらっしゃいますね。
この不安定に見えるところも魅力なのかもと思います(^^)
どう考えても、立っているのがやっとです。そこへ花をいれれば不安定さが増すばかり、危なっかしいです。
でも、調和がとれたものより乱れたもの、整然としているよりバラバラの方になぜか惹かれますよね。
活花は絶対的に非対称、それをさらにすすめれば不安定ということになりましょうか。活花は不安定の美!?(^.^)
愚妻は、お花など習ったことはないのですけれども、花が好きで、よく家のあちこちに活けていますが、このような活け方が好みのようです(^-^*)
編笠細花活けの生花なのですが、私個人としては、このまま立たせて活けるのには無理があるのではないかと思いました。少し振動を加えたり、風が当たったりしたならば、直ぐに倒れてしまうのではないかと思ったからです(~_~;)
花台(敷板)に加工を加え、つまり、敷板に小さな凸形の物を付け加え、その凸形部分に竹の底を差し込んで固定し、そのうえで活けたのではないかと思いました。
更に、敷板もひっくり返ったりしないように、達磨のような少し重い物を重石として乗せていたのではないかと思いました。
自分が育てた花で、室内を美しく飾れたら、満足感大でしょうね。
Drの陶磁器、出番があって、よかったです。奥様も手塩にかけた花々を名品にいれて感無量。
こういうのが、ほんとのウィンウィンの関係ですよね(^.^)
竹編筒型花器の活花は謎です。
写真を何度もくまなくチェックしたのですが、怪しい所はみあたりませんでした。見えない所で細工がなされているとすれば、おっしゃるように、敷板に凸型の突起を作り、そこへ花器を差し込めば安定します。左下に白く見えているのは、白磁水盤に活けられたオモトです。これが重しになっているかも知れませんね。
敷板を探し出して、白黒つけねばなりません(^^;
私も、板に凸を付け、竹の節間の凹を差し込んでいるのでは?と思います。
アンバランスの妙、不安定の面白さを楽しんでいるでしょう。
私も、抽象画の様なアンバランスな短歌ができたらなあとは思いますが、御祖父様の写真に何かヒントが得られる様な気がしました。
又お邪魔致します。
並外れた造形センスに脱帽せざるを得ません。
自然の造形を借りてくるのですから、世の中に一つしかない不定形を生かすより手はないと思います。
和歌や俳句も、定型の中の不定要素が決め手になるのかもしれませんね。
大げさに言えば、瞬間芸術。
いずれ終わりが来ます。
その点、盆栽とは大きく違います。
散るまでのわずかな間、桜の花を愛でる日本人向きの芸術なのかもしれません。