先回のインドネシアの人形劇、ワヤン・ゴレに引き続いて、やはり、ジャワ島、バリ島で演じられる影絵人形劇、ワヤン・クレで用いられる扁平な人形(ワヤン・クレ)2体です。
クレ(皮)を使ったワヤン(芝居)が、ワヤン・クレなのですね。
右:長さ 49.0㎝、左:48.9㎝(支持棒込み)
扁平な人形は、水牛の皮で作られています(木製の物もあります)。
かなり使い込まれた品で、あちこちに損傷があります。
右の品:
反対側も全く同じ造りです。
全体に細かな穴がたくさんあけられています。これが、影絵劇で絶大な効果を発揮します。
風化して薄くなってはいますが、細かに彩色が施されています。夜の上演ですし、人形は白幕の向こう側で動くので、彩色は本来不要なのですが・・・スクリーンの裏側は、あの世であるとされ、あの世では色の付いた美しい世界が現世では白黒にしか見えない、ということを表すと言われている(Wipipedia)のだそうです。
人形の中央には、水牛の角で作った棒が固定されています。ボディにそって緩やか曲がりながら、先に行くほど細くなり、上部は曲線になって頭部を固定しています。下端はとがっていて、人形使いが台座に挿して使うこともできるようになっています。
人形の反対側も、まったく同じように水牛の棒がクリを固定しています。では、棒は裏と表に一本ずつ使われて、人形を挟み込んでいるのでしょうか。
棒の下方を見ると、棒は二つに割れて、そこに人形が挟まっているではありませんか。ず~っと上まで同じで、頭部をぐるっと固定する細い所まで、すべて二つに割った角なのです。高度な細工です。
この棒のおかげで、人形はしなやかな動きが可能となるのですね。
しかし、激しい動きも多くあります。
耐えかねて、折れてしまったのですね。
右腕は失われています。
腕についていたはずの、二本の竹繰り棒もありません。
左側の品についても同じです。
こちらは、衣裳の損傷が酷い。
やはり、棒は折れています。
2本の繰り棒も失われています。
このように満身創痍のワヤン・クリですが・・・
光を受けると、がぜん、生き生きとしてきます。
細かな穴も実に効果的。まるで、伊勢型紙です。
人物の表情まで、浮かび上がります。
損傷はほとんどわかりません。
腕飾りも浮かび上がります。
破れた衣服にもそれなりの風情が。
貴婦人の役柄なのでしょうか。
全部見えてしまわない分、想像力がかき立てられます。
影絵の魅力ですね(^.^)
影絵で隠れるのに装飾しているのは面白いですね(^^)
せっかくなので動いている動画をのぞいてきました!
独特の音楽と合わさった宗教的なものを感じる世界観がとても良かったです(^^)
影絵は、びっくりするほど繊細で幻想的です。
私の知人で、インドネシアに渡って修行し、ガムラン奏者となった人がいます。まだ彼女の演奏を聞いたことが無いので、一度聞きにいかないと(^^;
この人形劇を見たいと思いましたが インドネシアへはもう行けません。
言われる通り光を当てると 繊細なレースのようで美しいですね。
この人形劇にも ちゃんと宗教の教えがあるのですね。
この人形劇を観客に見せるとき 登場する人形が2体なら 2人の人形つかいで操っているでしょうか?
何年か前にハノイの劇場で水中人形劇を観ました。出場する人形が多く
最後に裏方の人間が水から出てきてあいさつしましたが14-5人おり
人形の数だけ出てきたと記憶しています。
私は、紙で作られているのかと思いました。
これを作るのには、相当な技術と時間が必要ですね。
光を通すと、繊細に、幻想的に影が浮かび上がりますものね!
これはもう、芸術作品ですね。
裏側の見えない所にも彩色を施したくなりますよね!
ダランは人形を操るだけでなく、語りも担当し、音楽にも指示をだしたりするので、一人前になるには相当の修業が必要なようです。
『世界ふれあい街歩き』で、人形作成の様子を放映していたのですね。私はまだ見ていません。多分、撮りだめしたなかにあると思うので、探してみます。
1000年以上の歴史があるそうですから、かなり洗練されていますね。
土俗的でありながら洗練された造形、そして細かい穴による効果
長い歴史の中で創意工夫がなされたんでしょうか
文化財と呼ぶべきものなんでしょうね。
1000年以上演じられてきたので、伝統を守りながら洗練されてきたのでしょう。
闇夜の中にこんな人形が浮かび上がると、人の想像力はかき立てられますね。
以前テレビの旅番組でジャワ島の影絵を見てずっと印象に残っていました。
ワヤン・クレというんですね。
民俗的な物語を演じていたと思うのですが、さわりだから印象深かったのか全編通してみたらどんな気持ちになるのか興味が残ります。
人形に施された細かな穴が光を当てると生き生きとしてくるんですね。
すばらしい効果を見せていただき感銘を受けました。
小さな穴がたくさんあって、細かな表現が可能となっています。
誰かが考えだしたのでしょう。
それが、長い時間かかって、洗練されたものになったのだと思います。
おっしゃるように、全編を通じてみたら、感銘もひとしおでしょうね。私も、何とかして機会を得たいです。