1994年にボスニアのモスタルを訪れた時、ボスニア・ヘルツェゴビナの長い紛争の爪痕が、いたる所に残っている中で、市民が生活していた。ウクライナも同じ道のりを辿ると思うと、暗澹たる気分に沈む。
人と人とが争い、破壊した悲惨さは、自然災害とは違い、残酷だ。廃屋の石壁の窓から黄色い花が一本、涼しげに咲いているのが返って無残で心が痛んだ。
ある出来事をきっかけに、ブログに写真を載せないと決心したのだが、無力な身で出来ることを考えあぐねて、フェイクではない写真を引っ張り出した。(クリックで拡大)
身の危険を感じて、ヨーロッパ全土を巡る計画を断念した。旅の思い出が、また一つ消えていく。