プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★GO TOキャンペーンの功罪(後編)

2020-07-16 07:53:25 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、旅行好きなので、旅行代金が半額補助されれば利用するが、補助を当てにした旅行はしたくない。

 そもそも旅行とは、「自分が行きたい時に、自分のお金で行く」もので、お金が無ければ我慢すべきだ。

 私は、旅行に行くために、他の人達がする贅沢を我慢し、費用を捻出してきた自負があるので、「強盗キャンペーン」みたいで、複雑な思いをしている。

 政府の狙いは、繰り返す必要が無いが、緊急事態宣言時に、「旅行は不要不急」の典型例としたにも拘わらず、経済再生の救世主のような位置づけにする「ご都合主義」の政策は、人心を惑わすばかりだ。

 そして、財政規律を忘れた政府が、次に出来ることは、大量の赤字国債の発行と増税以外になく、最終的には、国民が重い荷物を背負うことになる。

★GO TOキャンペーンの功罪(前編)

2020-07-15 07:48:35 | 日記・エッセイ・コラム
 政府は、新型コロナウイルスで大打撃を受けた観光業支援のため、7月22日から「Go To トラベル」キャンペーンを始めるが、意見が賛否両論に分かれる。

 旅行代金の半額を補助すれば、旅行需要を喚起し、周辺事業への経済効果が期待できるので、経済界が賛成しても不思議ではない。

 しかし、当初、「コロナ終息後に実施」するとしていた方針を、いとも簡単に変更する政治姿勢が解せないし、詳しい理由説明もない。

 首都圏で「第2波」が懸念されると、官房長官は、「東京問題」と一蹴し、国交省幹部にいたっては、「多少のリスクはやむを得ない」と、公言している。

 多くの知事が、時期尚早、或いは、豪雨災害が重なり、タイミングが適切かと指摘するのも当然だ。

 加えて、転職活動をする看護師が続出している報道に接すると、「GO TOキャンペーン」の目的を理解できても、納得できない。

★天邪鬼の幸福論(番外編):旅行

2020-07-14 07:57:43 | 日記・エッセイ・コラム
 政府が、新型コロナ対策として、緊急事態宣言を出し、「不要不急」の外出を避けるように要請した時、どう行動するか悩んだ。

 「不要不急」の定義は、『広辞苑』によれば「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」とある。

 「要不要」や「急不急」の判断は、主体によって異なって当然と思ったが、代表例として旅行が示されたので、6~8月の予約をすべてキャンセルした。

 ところが、政府は、宣言を解除した後、経済活動再開路線を加速させ、9月開始予定の「GO TOキャンペーン」まで、7月22日からに繰り上げたので、腹立たしかった。

 ましてや、豪雨被害を受けた地域では、観光支援を手放しでは喜べず、複雑な思いだろう。

 新型コロナによる医療崩壊は免れても、政治不信による社会崩壊が進むのではないかと、埒もない問題意識が芽生えてきた。

★天邪鬼の幸福論(後編):生きるよすが

2020-07-13 07:59:44 | 日記・エッセイ・コラム
 「水」は、生命の源泉で、低い所に留まっているが、より低い所があれば、そこへと流れる。

 万物は、水なしでは生きて行けないが、そのかけがえのない水が、時には、土砂災害や洪水で、家屋を呑み込んでしまう。

 「水は低きに流れ 人は易きに流れる」とは、孟子の「水の低きに就く如し」が転じた戒めの言葉だが、自然の摂理と同時に、人間の本性にも通じる。

 さて、人生の意義は、「生きる」ことで、「暮らす」ことではないはずで、志を高く持ち、「上見て生きよ 下見て暮らせ」に徹したい。

 どんな目標であれ、それに向かってポジティブに努力し、実現できなければ、己の不足を潔く認めればよい。これは何歳になっても普遍だと思う。

★天邪鬼の幸福論(前編):僻み

2020-07-12 08:59:32 | 日記・エッセイ・コラム
 私は、政治に関して、辛い採点をし、時には、為政者の政治姿勢や政策に対し、無遠慮な批判を繰り返してきた気がする。

 しかし、それは、個人の政治家が憎いからではなく、この国が好きだからで、よりよい国になって欲しいと願う一心のつもりでいる。

 さて、政府の新型コロナ対策は、東京中心の視点で、国全体をコントロールしていると感じさせる。

 「上見て暮らすな 下見て暮らせ」と言われると、反発を感じるのは、自分より恵まれない人がいると分かっても、自分が苦しいと実感している生活が楽になるわけではないからだ。

 私は、政治が目指すべき理念は、「最小不幸社会の構築」だと思っており、「最大多数の最大幸福」を標榜するアベノミクスを嫌う理由でもある。