この作品のチラシを映画館で目にした時、横並びに6枚置かれていた。体裁は同じだが表の写真が主演二人の或いは一人の瞬間を切りとったもので、6枚すべて異なっていた。想像を巡らせ時系列に並べかえてみる。何度か繰り返すうちに、まだ観てもいない作品世界にひきこまれていると気づいた。
1991年の「ナイト・オン・ザ・プラネット」(ジム・ジャームッシュ監督)に着想を得て書かれたクリープハイプの楽曲をもとに、松居監督がオリジナル脚本を書きあげ生まれた作品である。監督にとっては初めてのラブストーリー。楽曲と映像が非常にうまく溶けあっている。
冒頭、夜の東京の街をタクシーが走り抜ける。前方に映る東京タワーが心なしか滲んで見えるのは、マスク姿の人々のせいだろうか。ここから物語は過去へ遡っていく。照明スタッフの照生(池松壮亮)とタクシードライバーの葉(伊藤沙莉)の出会いから別れまでの6年間を1年ずつ逆行するという構成が面白い。7月26日付のカレンダーがキーポイントで、よく見ると曜日だけが変化していく。1年の1日を共有しながら、やがて二人の出会いの日に辿りつく。
葉がどんどん可愛らしくなっていく。好きな人と一緒にいれば大抵のことは乗り越えられるという万能感にみたされていく。一方、足の怪我によりダンサーへの道を諦めた照生は、アルバイト生活を送りながら夢を追いかけていた。状況が変化していく二人の会話の微妙なずれがせつない。照生が自室の植物に水やりをするシーンが繰り返し描かれる。どんな人間関係にも絶え間のない水やりが必要だとでもいうように。
主演の二人をとりまく出演者の顔ぶれが魅力的だ。なかでも、ずっと同じベンチに座り続けている永瀬正敏の存在は異質だ。彼だけが時間を順行している。誰かを待っているようだが、その何ともいえない表情に緊張感が走る。過去には戻れない、以前のように会いたい人に会えない私達そのものなのかもしれない。
「ちょっと思い出しただけ」という、このさりげないタイトルが作品の魅力となっている。私達の記憶の中には個人差はあれ数えきれないほどの思い出が詰まっている。時々引っ張りだしてみるのもひそかな楽しみの一つとなる。それは現実生活を脅かすことがない。溢れでてしまう思い出であれば、折り合いがつけられていない証拠だ。思い出との距離があるからこそ、ちょっと思い出しながら今を生きていくことができる。
ラスト、現在の東京に場面が移り、マンションのベランダに佇む葉のかたわらに、寄り添う確かな『今』が在ることに安堵する。(春雷)
監督・脚本:松居大悟
撮影:塩谷大樹
出演:池松壮亮、伊藤沙莉、河合優実、屋敷裕政、尾崎世界観、成田凌、市川実和子、國村隼、永瀬正敏
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