****** コメント
確かに一人医長などの不十分な体制の公立・公的病院で、多くの分娩を取り扱うというのは非常に無茶な話ではある。私も若い時分に数年間の一人医長勤務を経験したが、もう2度と経験したくない人生で一番辛かった思い出である。加藤医師にしたって、自らの意思で好きこのんで一人医長業務を行っていたのではなく、上司から一人医長勤務を命じられて、仕方なくその命令に従って一人医長の任務についていたわけだ。
「たとえ一人医長であろうとも、万遍なく産科医を配置し、どの地区に住んでいようと近くでお産ができるようにすべき」という住民側、自治体側の利便性を要求する主張を一切無視して、「一人医長などの不十分な体制の産科はすべて廃止し、産科医の集約化を推進すべし」というような方針を住民側に提案することさえ不可能な社会的状況であった。
加藤医師逮捕を契機に、一人医長などの不十分な体制の産科は問答無用でどんどん廃止することが可能な社会的状況となりつつある。それ以前には、いくら一人医長体制の産科業務が危険だからといって、それを廃止することは決して許されないような社会的な状況にあったことは忘れてはならない。
また、癒着胎盤の頻度は非常にまれで、産科医が一生のうちに1回経験するかどうかという非常にまれな疾患である。大野病院では年間分娩件数2百件程度とのことであるから、そのペースだと百年に一度発生するかどうかという非常にまれな発生頻度となる。おそらく、大野病院開設以来初めての症例だったと思われる。結果論だけで、「こうすれば助けられた筈だ」などといろいろ後講釈を言うことは容易だ。しかし、輸血を1000cc準備し、外科医に助手を依頼し、麻酔科医に麻酔を依頼したのであるから、通常よりも相当に周到な準備を行ったことは確かだと思う。
****** 朝日新聞 論座、2006年7月号
http://opendoors.asahi.com/ronza/story/
事故は避けられなかったのか
検証:福島県立大野病院事件
***************
鳥集 徹
とりだまり・とおる
1966年、神戸市生まれ。同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。出版社勤務等を経て2004年、フリーに。医療・健康分野を中心に記事を執筆。共著に『検証 免疫信仰は危ない!』など。
***************
今年2月18日、福島県立大野病院産婦人科の加藤克彦医師(38)が、業務上過失致死と医師法違反の疑いで福島県警富岡署に逮捕された。同県内の女性(当時29)に対し、癒着胎盤で大量出血する可能性を認識していたにもかかわらず、十分な検査や高次の病院への転送をせずに帝王切開を執刀、子宮から胎盤を手術用ハサミで無理に剥がし、大量出血死させたというのがおもな理由だ。
この逮捕に医師側は猛烈に反発した。逮捕から6日後の24日、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会が連名で「逮捕拘留の必要があったのか理解しがたい」とするコメントを発表。これを皮切りに、各地の産婦人科医会や医師グループが相次いで抗議声明を出し、加藤医師を支援する動きが燎原の火のごとく全国の医師に広がった。
3月17日には加藤医師の出身医局である福島県立医科大学産婦人科の佐藤章教授らを代表とする「周産期医療の崩壊をくい止める会」が、「加藤医師の逮捕・起訴は遺憾。無罪実現に向けて理解と協力を」とする陳情書を、6520人の医師の賛同署名をそえて厚生労働相に提出。5月末現在で声明や要望を出した医師グループは100近くにも及んでいる。
04年12月17日の事故直後、福島県は県内の産婦人科医3名からなる医療事故調査委員会を組織し、05年3月22日には「報告書」を公表。加藤医師の判断ミスを認め、遺族に謝罪した。加藤医師も減給1カ月の処分を受けた。一方、県の公表で初めて事故を知った県警は、昨年4月に同病院や県病院局を家宅捜索した。
「検察側は逮捕理由を『証拠隠滅』と『逃亡の恐れ』と説明していますが、すでに証拠は警察が押収している。しかも、加藤医師は事故後も逮捕されるまで大野病院で1年以上も勤務している。患者さんの月命日には必ずお墓にお参りし、ご遺族に補償交渉の働きかけもしてきた。なのに、どこに証拠隠滅や逃亡の恐れがあるのでしょうか」(木田医師)
木田医師たちが「加藤医師を支援するグループ」を組織し、署名活動を始めたのは、インターネットでの議論がきっかけだった。逮捕直後、医療者限定のある掲示板に書き込みが殺到。それをきっかけに、事件を考えるフォーラムが別につくられ、メーリングリストを活用した情報収集と活発な議論が交わされた。約800人の医師が署名に参加し、声明を出す3月8日までに、2千数百通にも及ぶメールがやりとりされたという。
「わたしたちは『報告書』だけでなく、あらゆるルートから可能なかぎり情報を集め、大野病院の置かれた環境を想定し、事故の状況をシミュレートしました。その結果、加藤医師の判断は『妥当』で、刑事責任を問われるようなものではなかったと判断したのです」(木田医師)
同グループをはじめ、多くの医師団体が声明文や陳情書で、この事故は「診療上ある一定の確率で起こり得る不可避な出来事」と主張している。たとえば、「周産期医療の崩壊をくい止める会」の「陳情書」には、次のように書かれている。
「癒着胎盤は全分娩の0・01%~0・04%という稀有な疾患であり、さらに、前置胎盤のうち、癒着胎盤が合併する頻度は4%程度といわれております。特に癒着胎盤は、現在の医療水準では、事前の確定診断が難しいとされております。 今回の場合、帝王切開中に癒着胎盤による出血が多量となり、子宮動脈血流遮断、子宮全摘などの止血措置を含む救命措置を施したにも関わらず、不幸な転帰を辿られています。執刀医が高度の技術と経験を有している場合ですら、これらの措置は極めて難しいといわざるをえません。今回の事件は、医師個人の問題ではなく、まさに現在の地方僻地医療が抱えている医師不足や輸血血液の確保難等を背景とした医療政策、医療マネジメントの問題であります」
事故は不測の事態が招いた出来事であり、どんな医師が執刀していても救命は困難だった▽事故の背景には、輸血血液の供給もままならない僻地にもかかわらず、たった1人で地域のお産を担わなければいけない「産婦人科医不足」という問題がある▽これを解決しないかぎり、今後も同様の事態が一定の確率で起こる、というのが医師側の主張だ。
しかし、「医療政策、医療マネジメントの問題」ばかりがクローズアップされるようになったために、今度は大野病院の事故そのものに関する議論がほとんど見当たらなくなった。医師側が主張するように、「事故は避けられなかった」と結論づけるのは性急すぎると感じているのは筆者だけだろうか。
この事故で焦点になっている「癒着胎盤」とは、どのようなものか。
池ノ上克(宮崎大学医学部産婦人科教授)他編著『NEWエッセンシャル産科学・婦人科学(第3版)』(医歯薬出版)によると、癒着胎盤は「胎盤絨毛と子宮筋が脱落膜組織を介さず直接接していて、剥離できない胎盤」と定義されている。
正常な胎盤は「脱落膜」を介しているので、児の娩出後に子宮が収縮すると子宮筋と胎盤の間にずれが生じ、容易に胎盤が剥がれる。ところが癒着胎盤は「脱落膜」を介さず、胎盤絨毛が直接子宮筋に付着あるいは侵入しているため、出産後に子宮が収縮しても胎盤が剥がれない。
無理に剥がすと大出血となり、最悪の場合には母体死亡を招くこともありうる。それゆえ、前掲書にも「術中癒着胎盤を確認したら、決して胎盤を剥離することなく(中略)胎児を娩出後、直ちに子宮摘出を行う」と記載されている。癒着の程度や範囲にもよるが、母体死亡を招く恐れのある危険な疾患であることは間違いない。 94年からの11年間に、名古屋大学産婦人科関連の3次医療機関8施設で経験された癒着胎盤23例を検討した学会報告(日本胎盤学会第31回学術集会)によると、全例に帝王切開が施行され、18例は帝王切開と同時に子宮を摘出。残りの5例は、帝王切開と同時に子宮を摘出するのは母体に危険と判断し、胎盤を残していったん閉腹、再手術で子宮を摘出している。23例のうち、子宮を温存できた患者は1例もなかった。
術中出血量は、胎盤絨毛が子宮筋層を貫通している「穿通胎盤」の場合、平均1万2140g(羊水含む)。胎盤絨毛が子宮筋層に侵入している「嵌入胎盤」でも平均3630gであり、いかに大量出血になるかがうかがえる。とはいえ、母体死亡は1例(死亡率4%)。事前に癒着胎盤を診断または予測し、十分な輸血を準備して計画的に手術に臨めば、かなりの確率で母体を救うことができる。
ただし問題は、癒着胎盤を事前に診断できるかどうかだ。この症例検討を行ったチームの一員で、現在、埼玉医科大学産婦人科教授の板倉敦夫医師はこう話す。
「わたしたちは癒着胎盤が疑わしい症例にはほぼ全例、MRIや特殊なエコーなど通常は使用しない装置を駆使して検査していました。超音波検査で癒着胎盤の8割に特徴的な所見が認められますが、事前に完全に診断できたのは約6割。高度な施設でさえその程度ですから、一般の病院で事前に確定診断するのは難しいでしょう」 また、癒着胎盤といってもただ付着しているもの(狭義の癒着胎盤)から、筋層に侵入しているもの(嵌入胎盤)、筋層を貫き子宮の外側に達しているもの(穿通胎盤)まであり、癒着の範囲も狭いものから、広範囲のものまで様々だ。
「胎盤をつけたまま子宮を摘出するのが一般的ですが、胎盤を剥がしてから子宮を摘出した方がいい場合もある。大野病院のケースのように、手術用ハサミで剥ぎ取ったことが悪かったかどうか、一概に言うことはできません」(板倉医師)
「現在の医療水準では癒着胎盤を事前に診断することは難しい」というのはその通りのようだ。また、手術中に胎盤を剥がすかどうかは、そのときの状況に左右される面もあり、これを直ちに「過失」と判断するのも難しいようだ。しかし、だから「事故は避けられなかった」と結論づけてしまっていいのだろうか。
実は、前置胎盤に癒着胎盤が合併しやすいことは、どの専門書にも書かれている。全分娩に対する癒着胎盤の頻度は極めて稀だが、前置胎盤を分母にすると20~25人に1人(4~5%)になる。特に、帝王切開の経験がある患者で、前置胎盤が子宮の前壁(腹側)に達している場合、帝王切開の傷跡に胎盤組織が侵入しやすいため、癒着胎盤の頻度が高くなる。帝王切開経験が1回の場合には24%、2回以上だと47%、4回以上では67%にもなるという報告がある。
ただ、大野病院で事故に遭った女性の場合、前述のように事前の診断で子宮の「前壁」ではなく、「後壁(母体背側)」に付着した前置胎盤と診断されていた。後壁付着の場合の癒着胎盤の頻度について書いている文献を見つけることはできなかったが、「前壁」付着の前置胎盤よりかなり頻度が落ちることは間違いないだろう。「報告書」によると、加藤医師も「後壁」付着の前置胎盤だったので、癒着胎盤を強く疑っていなかったとされている。
しかし、だからといって、癒着胎盤を疑わなくていいかというとそうではない。佐藤和雄(元日本大学医学部産婦人科教授)・水口弘司(横浜市立大学名誉教授)編著『インフォームド・コンセント ガイダンス―周産期編―』(先端医学社)には、次のように書かれている。
「前置胎盤では癒着胎盤を合併しやすく、その原因として以下の二つがいわれている。胎盤付着部となる子宮下部は脱落膜の形成が乏しいため、胎盤絨毛が筋肉層に侵入しやすく癒着胎盤となりやすいというものと、前置胎盤が比較的多い帝王切開既往例では子宮下部瘢痕部の循環不全があり癒着胎盤となりやすいというものである」
つまり、たとえ胎盤が帝王切開の傷跡にかかっていなくても、脱落膜に乏しい子宮下部にかかっているというそれだけで、癒着胎盤になる恐れがあるということだ。その頻度がたとえわずかだったとしても、癒着胎盤の可能性を排除して手術することのほうが、むしろ合理的ではないように思えるがどうだろうか。
「手術に際しては輸血をあらかじめ準備しておく。前置胎盤ではしばしば癒着胎盤の合併がみられるが、術前にこれを診断することは困難で、その有無は児の娩出後まで不明である。したがって、常にその可能性を念頭において手術に臨む必要がある。また、前置胎盤の胎盤付着部は子宮頚部に近いため、子宮筋が少なく剥離面の収縮が不十分で胎盤剥離後に大出血を起こすことがあるが、この際はカットグット(筆者注・手術用の糸)の縫合によって止血を図る。癒着胎盤や胎盤剥離後の収縮不全のため、母体の生命を脅かすような出血が続く場合には、やむをえず子宮摘出を行わなければならない場合もある」
まるで、大野病院の事故を予測していたのではないかと思うような記述だ。つまり、大野病院で起こった事態は、このような知識を備えた産婦人科医にとっては、不測の事態ではなかった。確かに、癒着胎盤の術前診断は困難だ。しかし、だから「事故は避けられなかった」のではなく、だからこそ「常にその可能性を念頭において」、用意周到に準備して手術すべきだったのではなかったか。「報告書」には、加藤医師は術前に女性と夫に対して「輸血の可能性、子宮摘出の可能性について説明をしている」とある。加藤医師は癒着胎盤のリスクを事前に認識していた可能性が高い。
だとすれば、外科医1人の補助があったとはいえ、1人しか産婦人科医がいない僻地の病院で、大量出血や子宮摘出の可能性まである手術を行ったことが、妥当な判断だったと言えるだろうか。事実、ある大学病院の産婦人科医は、次のように話す。
「子宮摘出は、子宮筋腫や子宮がんなど予定された手術でも難しい。ましてや、血がどんどん噴出する修羅場で、出産直後の大きな子宮を取り出すのは、普通の帝王切開の何倍も難しい。子宮摘出の可能性がある手術を1人でするなんて、わたしなら恐くてできません」
「報告書」は「(筆者注・『後壁付着の前置胎盤』という)術前診断かつ妊婦の希望もあったため、大野病院で手術を行うとしたことはやむを得ないと思われる」としている。しかし、加藤医師は女性に十分リスクを説明し、より高次の病院へ行くよう説得しなかったのか。あるいは、大学病院に応援を要請しなかったのか。事情に詳しい福島県の産婦人科医はこう証言する。
「加藤医師には前置胎盤の手術経験が3例ほどありました。大学の医局では事前にこの症例を把握していたようですが、加藤医師からの応援要請はなかったそうです。大学はハイリスク症例ばかりでなく通常のお産も扱っており、一般の病院との役割分担が完全にできているわけではありません。それに、受け入れ側のキャパシティーの問題もあります。加藤医師は前置胎盤の経験もあったので、1人でやれると判断したのでしょう」
しかし、帝王切開の既往があろうとなかろうと、前置胎盤自体がすでに「母児の生命を危うくすることのあるハイリスクの妊娠・分娩」(前出『プリンシプル産科婦人科学2』)だ。前置胎盤を安易に扱うべきでないという警告は、様々なところで発せられていた。
たとえば、日本産婦人科医会が産婦人科医向けに放送していた番組「日産婦アワー」(ラジオNIKKEI)で、慈恵医大青戸病院院長(当時)の落合和彦教授は2001年2月19日、「産科医療のインフォームド・コンセント4 前置胎盤」と題して、こんな話をしている。
「通常は帝王切開を行う施設であっても、癒着胎盤などの大量出血が予想される場合や、2000g未満の低出生体重児などの未熟性が考慮される場合には、新生児医療も含めた高次医療施設へと母体搬送する必要があります。いずれにせよ、時間帯、マンパワーも含めた自施設のキャパシティーを考えておくことが肝要であります」
また、別の産婦人科医はこう証言する。
「ある県では10年ほど前まで、前置胎盤の帝王切開を手がける開業医がたくさんありました。しかし、この県では前置胎盤のリスクの高さが広く認知されるようになり、現在ではほとんどが高次医療施設に送られています」
そのうち、亡くなった女性が住んでいたところから最も近い地域周産期母子医療センターに、「いわき市立総合磐城共立病院」がある(以下、「共立病院」)。現地の役所に聞いたところ、「大野病院までは車で20分ほどだが、共立病院までは車で50分ほどかかる」という。ただし、大野病院には休診中の産婦人科を入れても診療科が七つしかないため、「大野病院にない科の場合は、いわき市の病院まで車で通院している人もいる」そうだ。 車で50分というのは、確かに通院するのには不便だ。しかし、亡くなった女性の場合は、緊急に手術が必要になったわけではない。大野病院と共立病院の医師が連絡を取り合い、大野病院で健診を受けて、手術は共立病院で受ける、という連携も不可能ではなかったはずだ。
共立病院の関係者によると、同院は救命救急センターに指定されており、「十分な輸血血液の対応はできている」という。だからといって、共立病院であれば患者を救えたかどうかはわからない。同院も医師不足に苦慮しており、4人いた産婦人科医が、今年の4月から3人になった。以前は順調な経過の妊産婦も受け入れていたが、現在はおもに異常経過の妊産婦のみを受け入れているという。
しかし、たとえ結果が同じであったとしても、「輸血がすぐには届かない過疎地の病院でたった1人の産婦人科医が手術した」結果と、「十分な輸血供給体制がある病院で複数の産婦人科医が手を尽くした」結果とでは、遺族の受け止め方が違うのではないか。事実、亡くなった女性の父親は読売新聞の取材に、「事故は予見できたはずだ。危険性が高い状態で、大きな病院に転送すべきだったのに、なぜ無理に(手術を)行ったのか」と語っている。
こうして検証してみると、加藤医師の判断には慎重さが欠けていたところがあったと言わざるをえないのではないか。無論、こうした判断を直ちに「過失」と認定し、刑事で裁くのが妥当かどうかとなると話は別だ。医療過誤を患者の立場で多数扱ってきた鈴木篤弁護士(東京弁護士会)も、
「医療事故に対する刑事の実務の運用は恣意的で、基準がどこにあるかわからない。医療行為に車の運転と同じような業務上過失致死の理屈を当てはめると、重大な結果になった場合にはすべて医師は処罰されてしまうことになる。逮捕、拘留、起訴の動きは必ずしも正当ではないし、そんなことで問題が解決するとは思えない」と話す。しかし一方で、医師側の反応にも疑問を感じるという。
「この事件を契機に周産期医療が抱える問題に目を向けるようになったこと自体は評価すべきだと思います。しかし、これだけの数の医師の行動が、『一人の患者の死』ではなく、『医師の逮捕』を契機に起こったということに、率直に言って疑問と限界を感じます。なぜ、事故が起きた直後に、『周産期医療がこうであれば、患者は死ななくてすんだはずだ』という声があがらなかったのでしょうか。厳しい言い方になりますが、加藤医師の逮捕がなかったら、これほど多くの医師が声をあげることはなかっただろうと思うのです。だとしたら、周産期医療の欠陥のために、この患者と同じように死亡したり、重大な障害を残す子どもが一定の確率で発生することを知りながら、事実上それに目をつむっていたことになると思うのです。つまり、これまで大野病院のようなケースがあっても、そのまま問題にもされずに終わっていたということを意味するのではないでしょうか」
周産期医療の崩壊という問題自体は、この事故が起こる以前からずっと言われてきたことだ。厚生省(当時)の研究班が96年に出した「周産期センターの適正な配置と内容の基準に関する研究」分担研究報告書には、次のように書かれている。
「(筆者注・十分な当直体制ができる)医師の確保のためには、総合周産期母子医療センターの産科には14名、新生児科には7名(他に小児科に同数近くの医師)、地域周産期母子医療センターには7名の産科医と同数の小児科医(中に複数の新生児医療に経験を積んだ医師)が必要である。(中略)またこの人数を確保することにより、今後新たに若手医師の志望が増加し、将来のわが国の周産期医療の維持が可能になる」
すでに10年前にこのような提言がされながら、なぜこれが実現するどころか、より事態が悪化してしまったのか。訴訟リスクの高さや政府・行政・国民の無理解、マスコミの的外れな報道にも責任があるだろう。だが、周産期医療を担う医師(特に、学会で重責を担う医師たち)にも、反省すべき点はなかっただろうか。
「危険な状態から母子を助けたという充実感はなにものにも代え難いものがあります。産科に魅力を感じているのに、今回の事件でやる気をそがれた医師がいっぱいいる」
と、ある地方の開業産婦人科医は話す。70年に1008人だった妊産婦死亡は、04年には49人まで減った。悲惨な出来事をここまで減らせたのは、過酷な現場で働く産婦人科医の努力の賜物だろう。それは積極的に評価すべきだ。
しかし一方で、マスコミに患者寄りのコメントを寄せた医師に対し、匿名のネット掲示板で、感情的な誹謗中傷の書き込みをする医師が少なからずいた。異論があっても自由に発言できない空気が医師の中にあるのではないかと危惧する。
大野病院の事故を教訓として、このような不幸な出来事を繰り返さないためにどうすればいいか、建設的な議論が喚起されることを望みたい。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい。メールのあて先は、ronza@asahi.comです。
****** 以上、朝日新聞 論座、2006年7月号