ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

大野病院事件 8月20日に判決

2008年08月16日 | 大野病院事件

コメント(私見):

今回の症例は子宮後壁の癒着胎盤とのことですから、帝王切開の既往とも関係ありませんし、癒着胎盤と手術前に診断することも予測することも不可能だったと考えられます。極めてまれで予測不能な難治疾患と遭遇して、救命を目的に必死の思いで正当な医療行為を実施しても、結果的にその患者さんを救命できなかった場合に、今回のように極悪非道の殺人犯と全く同じ扱いで逮捕・起訴されるようでは、危なくて誰もリスクを伴う医療には従事できなくなってしまいます。

また、県の医療事故調査委員会の報告書は県の意向に沿って作成されたもので、佐藤教授が県に訂正を求めたが、「こう書かないと賠償金は出ない」との理由で却下されたとのことです。そもそも、正当な医療行為に対して、「医療過誤があったということにして賠償金を出させよう」という考え方が根本的におかしいし、そのために一人の医師の人生がめちゃくちゃにされ、日本の産科医療全体を崩壊の方向に加速させたこの事件の意味するところは非常に重大です。

以前より、我が国では「産婦人科医一人体制」の施設が多いことが問題視されてきました。その解決策の一つとされていたのが分娩施設の集約化です。本事件以降は、全国的に「産婦人科医一人体制」などのマンパワーの不十分な施設は次々に閉鎖に追い込まれています。結果的に、本事件は我が国の周産期医療体制の再編が始まる契機になったことも確かだと思います。

周産期医療に従事している限り、癒着胎盤にいつ遭遇するかは全くわかりません。そして、いざ癒着胎盤に遭遇した時には、本事件の担当医師と全く同じ対応をしなければならない立場にいるわけですから、多くの産婦人科医が「とてもじゃないがやってられない」という気持ちになって辞職しました。今度の判決次第では、現在まだ現場に何とか踏みとどまっている産婦人科医の中からも大量の離職者が出るかもしれません。 

****** m3.com医療維新、2008年8月15日

福島県立大野病院事件◆Vol.13

延べ80時間、加藤医師本人を含め15人が法廷に

計14回に及んだ公判を振り返る(1)

 来週8月20日、福島地裁で福島県立大野病院事件の判決が言い渡される。本事件は、2004年12月17日、帝王切開手術時に女性が死亡したもので、同病院の産婦人科医だった加藤克彦医師が業務上過失致死罪と、異状死の届け出を定めた医師法21条違反に問われていた事件だ。検察側は、業務上過失致死罪で禁固1年、医師法21違反で罰金10万円をそれぞれ求刑した。

 これに対して弁護側はあくまで無罪を主張している。

 2006年2月18日の加藤医師の逮捕により、産婦人科関係者だけではなく、医療界全体に大きな衝撃が走った。その後、各学会・医療団体が抗議の声明を出したことは、まだ記憶に新しいところだ。医療事故が刑事事件に発展することへの懸念が、今に至る“医療崩壊”につながっている。
 
 2007年1月26日から、2008年5月16日の最終弁論まで、計14回の公判を傍聴した立場から、その経過を振り返ってみる。各公判は、以下の日時で開催された。

【福島県立大野病院事件の公判経過】 (時間は概算)
第1回公判(2007年1月26日)  
・午前10時~午後4時(途中休憩は約1時間) 
・一般傍聴席26席/傍聴席を求めて並んだ人(以下、行列者)349人 
・起訴状朗読、冒頭陳述(検察側、加藤医師)、加藤医師への尋問

第2回公判(2007年2月23日)
・午前10時~午後4時半(途中休憩は約50分)
・一般傍聴席23席/行列者120人
・検察側証人尋問:緊急時に備え応援要請していた双葉厚生病院の産婦人科医と、本件で手術助手を務めた外科医

第3回公判(2007年3月16日)
・午前10時~午後6時10分(途中休憩は1時間強)
・一般傍聴席23席/行列者119人
・検察側証人尋問:本件の手術に携わった助産師と麻酔科医

第4回公判(2007年4月27日)
・午前10時~午後4時半(途中休憩は約1時間強) 
・一般傍聴席23席/行列者78人 
・検察側証人尋問:本件の手術に携わった看護師、大野病院の院長

第5回公判(2007年5月25日)
・午前10時~午後6時(途中休憩は1時間強)
・一般傍聴席23席/行列者84人
・検察側証人尋問:鑑定医(患者の死亡直後の病理検査や鑑定などを実施した病理医)

第6回公判(2007年7月20日)
・午前10時~午後4時半(途中休憩は約1時間15分)
・一般傍聴席15席/行列者90人
・検察側証人尋問:鑑定医(検察側の鑑定を実施した産婦人科医)

第7回公判(2007年8月31日)
・午前9時半~午後7時(途中休憩は約1時間40分)
・一般傍聴席15席/行列者121人
・弁護側証人尋問:加藤医師

第8回公判(2007年9月28日)
・午前10時20分~午後7時半(途中休憩は約1時間30分)
・一般傍聴席27席/行列者66人
・弁護側証人尋問:胎盤病理を専門とする医師

第9回公判(2007年10月26日)
・午前10時~午後4時20分(途中休憩は約1時間30分)
・一般傍聴席27席/行列者63人
・弁護側証人尋問:周産期医療の第一人者
 
第10回公判(2007年11月30日)
・午前9時30分~午後4時(途中休憩は約1時間25分)
・一般傍聴席27席/行列者54人
・弁護側証人尋問:周産期医療の第一人者

第11回公判(2007年12月21日)
・午前10時~午後3時(途中休憩は約1時間)
・一般傍聴席25席/行列者63人
・加藤医師本人への尋問

第12回公判(2008年1月25日)
・午前11時~午後2時すぎ(途中休憩は1時間10分)
・一般傍聴席25席/行列者64人
・死亡した女性の夫、父親、弟の意見陳述

第13回公判(2008年3月21日)
・午後1時30分~午後6時20分(途中休憩は10分)
・一般傍聴席27席/行列者171人
・論告求刑

第14回公判(2008年5月16日)
・午前10時~午後4時40分(途中休憩は約1時間20分)
・一般傍聴席27席/行列者162人
・最終弁論

 以上のように、証人尋問を受けたのは、11人。そのほか、加藤医師本人、遺族3人、計15人が法廷に立った。11人の内訳は、本件の手術の関係者、鑑定人、周産期医療や胎盤病理の専門家。加藤医師は医師法21条違反に問われているが、弁護側が同条に詳しい法学者の証人尋問を求めたが、認められなかった。

 公判の時間は、計約80時間に及んだ。最も長かったのは、加藤医師への尋問が行われた、昨年8月の第7回公判だ。また、第13回の論告求刑で検察側が読み上げた「論告要旨」は160ページ超、第14回の「弁論要旨」は157ページに及ぶものだった。

 本裁判は、3人の裁判官が担当しているが、昨年4月には裁判長が、また今年4月には右陪席(中央に座る裁判長から見て右)の裁判官がそれぞれ交代している。一方、検察側も昨年春と今年春に何人か入れ替わっている。

橋本佳子(m3.com編集長)

(m3.com医療維新、2008年8月15日)

****** m3.com医療維新、2008年8月18日

福島県立大野病院事件◆Vol.14

検察側、弁護側の主張は最後まで平行線のまま

計14回に及んだ公判を振り返る(2)

 「昨年1月の初公判における冒頭陳述をもう一回聞いたようなもの」。

 今年3月の論告求刑時、計14回の公判を継続して傍聴していた、ある医師が思わずこうもらした。

 検察側、加藤医師・弁護側、遺族の、それぞれの主張や事件への思いなどは、最後まで変わらなかった――。これが、2007年1月以降、計14回に及んだ、福島県立大野病院事件の公判を傍聴した感想だ。

 死亡した女性は、帝王切開手術の既往がある前置胎盤の女性で、2004年12月17日、帝王切開手術時に出血を来し、死亡した。被告の加藤克彦医師は、業務上過失致死罪と医師法21条違反に問われている。

 検察は初公判時、業務上過失致死罪については、(1)帝王切開手術前の検査時、遅くても胎盤と子宮を用手的に剥離する際に、癒着胎盤であることを認識し、大量出血の危険を予見できた、(2)用手的剥離が困難になった時点で剥離を中止して、子宮摘出術に切り替える義務があったが、それを怠り、大量出血を招いた、(3)死因は出血死であり、加藤医師の行為との因果関係がある――などと主張した。また、医師法21条違反については、異状死の届け出を怠ったとしている。この検察の主張は論告求刑時も変わっていない。

 一方、弁護側は、これらを否定し、一貫して加藤医師の無罪を主張している。また、加藤医師は、初公判時、起訴事実を否定したが、「忸怩(じくじ)たる思いがあり、(死亡した女性の)ご冥福を心からお祈りします」と述べた。その後の証人尋問や今年5月の最終弁論時にも同様に、遺族へのお悔やみの言葉を繰り返し述べている。

 一般的に刑事裁判では、公権力による捜査が行われることから、民事裁判と比べて、「いったい何があったのか、その真実が明らかになる」と考えられているが、今回の場合は当てはまらないようだ。遺族は、計14回の公判を傍聴し、約80時間に及んだ検察、弁護側のやり取りを聞いていた。それでもなお、「真実が明らかになった」とは受け止めておらず、加藤医師の責任追及を求める気持ちは変わっていない。

 「剥離を中断し子宮摘出術に切り替えるべきだったか」が最大の争点

 公判では、証人尋問を受けた医師が、加藤医師の起訴前の事情聴取時などとは異なる発言をする場面が何度か見られた。しかし、検察側の主張は変わることはなく、弁護側の主張とは平行線をたどったままだった。

 裁判の最大の争点は、前述の(2)の「癒着胎盤であることを認識した場合、胎盤剥離を中止して、子宮摘出術に切り替える義務があったか否か」という点だ。

 この争点を因数分解すれば、(1)子宮摘出術に切り替えることができたか、(2)子宮摘出術に切り替えれば、大量出血を防ぐことが可能だったか、(3)胎盤剥離を完遂したことが大量出血をもたらしたのか、(4)大量出血と死亡との間には因果関係があるのか――ということになる。

 以下が、検察側、弁護側それぞれの主張だ。

 【検察側の主張】
 (2008年3月21日の論告求刑)

 (1)について
 手術時の女性の体位は子宮摘出術が容易な「砕石位」であり、女性の全身状態など、医学的観点から子宮摘出術が可能な状況にあり、術前の説明で「内容は不十分ながらも手術の危険性を説明し、子宮摘出術の同意を得ていた」などと主張。

 (2)について
 用手的剥離できない癒着胎盤をクーパーで無理に剥離したために、子宮内壁の動脈が子宮内壁に向けて開放された状態になり、子宮後壁下部からの出血が急増したと主張。

 (3)について
 胎盤娩出(午後2時50分)後の午後2時55分ころまでの総出血量は、5000mLに達していた。

 (4)について
 死因は、胎盤剥離を無理に継続したことによる大量出血であり、加藤医師の胎盤剥離行為と死亡との間には因果関係がある。

 検察側が依拠した証拠
 本件手術の麻酔記録、医学書類、病理鑑定医(第5回公判で証人尋問を受けた病理医)、検察側鑑定医(第6回公判で証人尋問を受けた婦人科腫瘍の専門家)など(弁護側の証人の意見については、「日本産婦人科学会などが本事件への抗議声明を出している状況下では、中立性・正確性に疑問がある」などとしている)。

 【弁護側の主張】
 (2008年5月16日の最終弁論)

 (1)(2)について
 胎盤剥離を完遂すれば子宮収縮により止血が期待できる、剥離を中断しても出血は止まらない、剥離を完遂した方が子宮を摘出しやすいことなどから、「胎盤剥離をいったん開始したら完遂するのが、わが国の臨床医学の実践における医療水準」であり、加藤医師の行為は「医学的な合理性がある」と主張。
 
 (3)について
 胎盤胎盤娩出(午後2時50分)後の午後2時52~53分ころまでの総出血量は、2555mLであり、胎盤剥離中の出血は最大でも555mL。

 (4)について
 死亡原因として羊水塞栓の可能性があり、出血の原因として産科DICの発症が考えられ、大量出血と死亡との因果関係には疑問の余地がある。

 弁護側が依拠した証拠
 麻酔記録、医学書類(検察の医学書の解釈は、「誤解もしくは曲解」していると主張)、弁護側証人(胎盤病理や周産期医療の第一人者=第8回、9回、10回の公判で証人尋問を受けた医師。検察側の病理鑑定医などと比較して、経験・実績から極めて信頼性・信用性が高いと主張)。

 胎盤剥離時の出血量という「数字」も一致せず

 加藤医師の医療行為の妥当性はもちろん、(3)の出血量という一見客観的に把握できる数字ですら、検察側と弁護側の主張は一致していない。(3)の客観的証拠として、「麻酔記録」に記載されているのは、「午後2時52~53分ころまでの総出血量は、2555mL」という事実のみ。しかし、検察は「出血があった時期と出血量が麻酔記録に記載された時期との間に間隔が生じることが避けられないこと」「輸血用製剤を手術室に持っていった助産師が『5000mL出てます』と聞いたこと」「加藤医師が、当日夜記載した記録で、『この辺りでbleeding 5000mLぐらいか』と記載したこと」などを指摘し、「胎盤剥離後までに5000mLの大量出血があった」と主張している。

 要は、依拠する証拠およびその解釈によって、主張が異なるのである。果たして裁判所は、いかなる証拠の信憑性を重んじ、判断するのだろうか。

(m3.com医療維新、2008年8月18日)

****** m3.com医療維新、2008年8月18日

福島県立大野病院事件◆Vol.15

大野病院事件をめぐる5つの誤解・疑問を考察

計14回に及んだ公判を振り返る(3)

 2006年2月18日の加藤克彦医師の逮捕、翌3月10日の起訴、そして2007年1月26日の初公判以降、福島県立大野病院事件は一般紙やテレビをはじめ、様々なメディアで取り上げられてきた。ネット時代にあって、各種情報が瞬時に伝わり、事件に関する議論が深まった一方で、中には事実とは異なる解釈がされているケースもある。さらに、計14回にわたった公判を傍聴し、疑問に思う部分もあった。今回はこれらについて考察してみる。

 その1●「加藤医師の逮捕は、医師法21条がきっかけではない」

 「福島県立大野病院事件の発端は、医師法21条に基づき、異状死の届け出をしなかったことにある」との見方が医療界にある。

 確かに、加藤医師は、業務上過失致死罪に加えて、医師法21条違反でも起訴されている。しかし、加藤医師の捜査の発端となったのは、2005年3月22日に「県立大野病院医療事故調査委員会」がまとめた、「県立大野病院医療事故について」と題する報告書だ。ここに、

 「出血は子宮摘出に進むべきところを、癒着胎盤を剥離し止血に進んだためである。胎盤剥離操作は十分な血液の到着を待ってから行うべきであった」

 などと、加藤医師に過失があったと受け取られかねない記載がある。しかし、報告書は医師法21条に基づく届け出には言及していない。つまり、業務上過失致死容疑で捜査が開始されたのであり、医師法21条違反はその捜査の過程で浮上したものと見るのが妥当だ。

 2007年6月27日に開催された、厚生労働省の「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」で、警察庁刑事局刑事企画課長はこう述べている(下記は、当日の議事録から引用)。

 「(平成9年以降、ここ10年間で)医師法21条に基づいて届け出なかったから事件になったというのは7件ありますが、これはすべていわゆる業務上過失致死が付いています。どちらかというと医師法21条は変な言い方ですが、当然過失致死等で立件にふさわしい案件に合わせて、21条の届出がなされていなかったから立件しているのだということで、届け出なかったゆえに、そのことをもって立件しているという21条だけのケースは1件もありません」

 つまり、「医師法21条違反だけで立件することはない」と述べているのである。確かに、今の医師法21条をめぐっては様々な問題があり、今の“医療事故調”をめぐる議論に発展している。しかし、医師法21条だけを改正しても問題は解決しない。同時並行的に、「どんな医療行為に対して業務上過失致死罪を適用するか」、この点を議論しないと、医療事故が刑事事件に発展する懸念は払拭できず、“医療崩壊”を食い止めることもできない。

 その2●「なぜ公判で医師法21条について、ほとんど議論されなかったか」

 前述のように、加藤医師は医師法21条違反で起訴されている。しかし、加藤医師本人と、大野病院の院長がそれぞれ当時の様子を語り、また弁護団が最終弁論で医師法21条違反はないことを主張した以外は、ほとんど21条が取り上げられることがなかった。

 医師法21条をめぐっては、1994年が日本法医学会がガイドラインを出して以降、各学会、さらには厚生労働省が解釈を出しているが、見解は一致しておらず、医療現場に混乱が生じている。加藤医師の弁護団は、医師法21条に詳しい法学者の証人尋問を求めたものの、理由は不明だが、認められなかった。このため、弁護団はこの法学者の「意見書」の形で証拠提出しているが、証拠採用されていない。

 その3●「なぜ院内事故調査報告は証拠採用されなかったか」

 「その1」で言及した通り、加藤医師の逮捕は、2005年3月の「県立大野病院医療事故調査委員会」の報告書が発端となっている。この延長線上で考えれば、検察側は、この報告書の証拠採用を求めるはずだが、実際にはされていない。

 この報告書は、本文部分4ページ(A4判)に、表紙と目次、「用語集」が付いた体裁で、計3回の議論を経てまとめられている。

 注目すべきは、「今回の事例は、前1回帝王切開、後璧付着の前置胎盤であった妊婦が…」としている点だ。この点が検察の主張と、実は異なる。「後壁付着」の場合、「前壁付着」と比べて、子宮と胎盤が癒着(癒着胎盤)しているかを、帝王切開手術前の検査などで診断するのは難しい。検察は「前壁」に癒着があったと主張し、術前、遅くても用手的剥離をした時点で癒着胎盤の予見が可能だったとしている。

 なお、福島県立医科大学産婦人科教授の佐藤章氏は以前、「この報告書を見たとき、ミスがあったと受け取られかねない記載があるため、表現の訂正を求めたが、県は認めなかった」と語っている。この報告書は、示談金を支払うことを想定してまとめられたものとされ、医療側に問題がある内容でないと、示談金の支払いに支障が出ると県は判断したものと思われる。

 その4●「加藤医師は、外来患者さんの前で逮捕されたのではない」

 「加藤医師は外来診療中に逮捕された」と解釈している人がいるが、実際にはそうではない。加藤医師が逮捕・起訴以降、公の場でコメントしたのは、初公判の直後に開かれた記者会見の席上のみだが、ここで本人自身がこの点を否定している。

 2005年3月の「県立大野病院医療事故調査委員会」の報告書以降、加藤医師は数回、警察に事情を聞かれていた。2006年2月18日の逮捕当日の3~4日前に、警察から家宅捜索に入る旨の連絡があった。当日、家宅捜索後、「警察で話を聞く」と言われ、加藤医師は警察署に同行した。警察署の取調室に入った後、突然、逮捕状が読み上げられたという。

 「逮捕」は、証拠隠滅や海外逃亡の恐れなどがある場合に行われるのが一般的。今回の場合、既にカルテなどは押収され、加藤医師は数回取り調べを受けていた。書類送検ではなく、なぜ「逮捕」されたのかを疑問視する向きは多い。

 その5●「遺族は告訴していない」

 近年、「医療事故に遭った遺族が警察に訴える」というケースが見られる。しかし、大野病院事件の場合は、前述のように、警察の捜査の発端は、「県立大野病院医療事故調査委員会」の報告書であり、遺族が告訴したわけではない。なお、遺族への示談金は、現時点ではまだ支払われてない。
 
 もっとも、帝王切開手術で死亡した女性の遺族が、今回の経過に納得しているわけではない。今年1月25日に開催された第12回公判で、女性の夫、父親、弟がそれぞれ意見を述べた。警察や検察に対する感謝の意を述べた上で、加藤医師の責任追及、事故の真相究明を求めている。

(m3.com医療維新、2008年8月18日)


日立総合病院 分娩予約一時中止

2008年08月16日 | 地域周産期医療

コメント(私見):

茨城県北部・日立地域(人口28万人:日立市・高萩市・北茨城市)の分娩取り扱い施設は、現在、日立総合病院(常勤医6人、日立市)、北茨城市立病院(常勤医2人、北茨城市)、瀬尾産婦人科医院(日立市)、加茂助産院(日立市)の4施設のみです。

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同地域の2006年の分娩件数は計2257人ですが、基幹病院である日立総合病院は、このうちの半数超の1215人の分娩を取り扱いました。この地域の分娩件数はこの十年間で700人減りましたが、日立総合病院が引き受けた分娩件数は逆に300人以上増えました。

来年の4月以降、日立総合病院に産婦人科常勤医を派遣している東大医学部との交渉が不透明な状況になっているようです。来年4月まで8ヶ月を切った現在、医師確保の確証のないままに、分娩の予約を受けることはできないとの判断から、8月8日付で分娩予約の一時中止を公表しました。

同地域の分娩取り扱い施設は15年前に計13施設だったのが、年々減少し続けて現在は4施設のみになったそうです。地域における「ハイリスク患者の受け皿」がなくなることになれば、この地域での分娩取り扱いの維持が困難となります。

このまま放置すれば産科空白地域がどんどん広がり、お産難民が全国各地で大量に発生するのはもう時間の問題です。政府・行政・市民・医療関係者・司法・警察・報道関係者などで情報を共有し、この国の産科医療を立て直すための抜本的対策に乗り出す必要があると思います。

******

日立総合病院ホームページ、2008年8月8日
http://www.hitachi.co.jp/hospital/hitachi/infor/osirase/2089106_24270.html

お知らせ

分娩予約の一時中止につきまして

患者さま各位

 当院の産婦人科におきましては、現在、誠に残念ながら2009年4月以降の医師の人員が明確になっておりません。医師の確保に向けて全力を傾けているところではありますが、現時点としては、4月以降の分娩予約をお受けすることは困難であるものと判断いたしました。

 従いまして、誠に恐縮ながら本日以降当面の間は新規の分娩予約をお断りさせていただきます。
 尚、妊娠の判定のみ当院でも対応は可能ですが、妊婦健診以降の診療は分娩予定の医療機関が継続的に受け持つことが安心につながると考えておりますので、妊娠初期の時点から紹介先医療機関をご受診いただくようお願い申しあげます。

 患者さまには大変なご迷惑とお足労をおかけいたしますが、この地区の産科医療を守るべく医師の確保につきましては鋭意努力中でありますので、何卒ご理解のほどよろしくお願い申しあげます。
 ご不明な点、あるいはご相談などがございましたら、総合案内窓口までお問い合わせ願います。

     2008年8月8日
     日立総合病院
     病院長 岡 裕爾

(日立総合病院ホームページ、2008年8月8日)

****** 読売新聞、茨城、2008年8月15日

日立の日製病院 分娩予約一時中止

産科医確保不透明 来年4月以降の分

 日立市の日立製作所日立総合病院が、来年4月以降の分娩(ぶんべん)予約の受け付けを「一時中止」していることが14日分かった。4月以降の産科医確保が流動的で、「現時点で予約を受けることは困難」と判断した。産婦人科の閉鎖はしない方針。

 日製病院は、県北地域の中核的な周産期母子医療センターに位置付けられ、県内では最も多い年間約1200件の出産を担っている。

 病院によると、現在、常勤の産科医は6人いるが、医師を派遣している大学から「来年4月以降の派遣は難しい」と伝えられた。大学との間で派遣継続に向けた折衝を続けているが、現時点で結論は出ておらず、来年4月以降の体制は不透明な状況だ。病院は「不確定な状況で予約を受けるのは、不誠実になる」と一時中止の理由を説明。「一時中止は暫定的なもので、10月ごろには大学側との間で結論を出し、方向性を決められれば。医師確保が確実になれば一時中止は撤回する」としている。

 産科医は全国的に不足し、24時間体制の勤務や緊急呼び出しなどの過酷な条件下で、お産の現場を支えている。日製病院でも、現在、常勤医1人当たり年間平均200件の出産を担っており、「現在の6人でも足りない」のが実情。県北地域は特に産科医不足が深刻で、県医療対策課などによると、日立地域で分娩ができるのは、高萩協同病院、日製病院、北茨城市立総合病院など5施設。日製病院と大学側との折衝結果によっては、地域のお産に大きな影響が出ることにもなりそうだ。

(読売新聞、茨城、2008年8月15日)

****** 読売新聞、2008年2月8日

24時間勤務 最高で月20日

「体力の限界」開業医も撤退

 「このままでは死んでしまう」。茨城県北部にある日立総合病院の産婦人科主任医長、山田学さん(42)は、そう思い詰めた時期がある。

 同病院は、地域の中核的な病院だが、産婦人科の常勤医8人のうち5人が、昨年3月で辞めた。補充は3人だけ。

 しわ寄せは責任者である山田さんに来た。月に分娩(ぶんべん)100件、手術を50件こなした。時間帯を選ばず出産や手術を行う産婦人科には当直があるが、翌日も夜まで帰れない。6時間に及ぶ難手術を終えて帰宅しても夜中に呼び出しを受ける。自宅では枕元に着替えを置いて寝る日々。手術中に胸が苦しくなったこともあった。

 この3月、さらに30歳代の男性医師が病院を去る。人員の補充ができなければ、過酷な勤務になるのは明らかだ。山田さんは、「地域の産科医療を守ろうと何とか踏みとどまっている。でも、今よりも厳しい状態になるようなら……」と表情を曇らせた。

 燃え尽きて、分娩の現場から去る医師もいる。

 別の病院の男性医師(44)は、部下の女性医師2人と年間約600件の分娩を扱っていた。24時間ぶっ続けの勤務が20日間に及ぶ月もあった。自分を病院に送り込んだ大学の医局に増員を訴えたが断られ、張りつめた糸が切れた。2005年夏、病院を辞め、分娩は扱わない開業医になった。その病院には医局から後輩が補充されたものの、やはり病院を去ったと聞いた。

 少子化になる前、お産の現場を支えてきた開業医たちも引退の時期を迎えている。東京・武蔵野市にある「佐々木産婦人科」の佐々木胤郎(たねお)医師(69)は、1975年の開業以来、3000人以上の赤ちゃんを取り上げてきた。しかし、今は「命を預かるお産は責任が重い。体力的にきつくなり、訴訟の不安もつきまとう」と、分娩をやめ、妊婦健診だけにしている。

             ◎

 産科医がお産から撤退すれば、妊婦にしわ寄せがくる。

 東京・町田市の女性は昨秋、妊娠5週目ほどの時に神奈川県内の小さな産科医院を初めて訪れ、あっけなくこう言われた。「あら、あなた35歳なの? うちでは診られないですね」

 周辺病院で産科の閉鎖が相次ぎ、この産院に妊婦が集中したため、リスクの高い35歳以上の初産妊婦はお断りせざるを得ない――。そんな張り紙が待合室の隅に張り出されていた。帰り際、「早く探さないと産めなくなりますよ」と、別の病院を3か所ほど紹介してくれた。「これが現実なのだと自分を納得させるしかありませんでした」

 その後、産院や助産院を5か所回った。2か所は断られた。ある産院では「35歳の初産は分娩時に救急搬送になる可能性が高い。そういう妊婦は受け入れられない」と言われた。

 「仕事が忙しくて、出産を先送りにしてきたが、35歳以上の出産がこれほど大変とは思わなかった」と話す。

 医者の産科離れを加速させるのが、医療事故や訴訟のリスクだ。「子どもが好きだから、将来は産婦人科医も面白そう」と考えていた医学部3年生男性(22)は、「一生懸命やっても訴訟を起こされたり、刑事裁判の被告になったりしたら人生が台なしになる」と、産婦人科に進むことをためらっている。

 勤務医は過労で燃え尽き、開業医も分娩から撤退。現状を知った医学生が産科を敬遠する。医師も施設もますます減っていき、緊急時の妊婦の受け入れ先がなくなる――そういう悪循環が見えてくる。

 産科医が直面する問題を昨年、小説に描いて話題になった昭和大医学部産婦人科学教室の岡井崇教授(60)は、「悪循環を断ち切るには、働く環境を改善して現場の医師をつなぎ留め、産婦人科に進む医学生を地道に増やしていくしかない」と話している。

(読売新聞、2008年2月8日)

****** 茨城新聞、2007年9月30日

日立地域お産ピンチ 中核の日製病院 医師確保、予断許さず

 日立地域のお産が危機にひんしている。日立・高萩・北茨城三市のお産の半数以上を手掛ける日立製作所日立総合病院(日立市)で来春以降、現行の産科医六人体制を維持できるか危うくなってきたためだ。日立地域では出産施設が年々姿を消し、現在は同病院も含め四施設だけ。同病院の引き受け体制が崩れれば、他に受け皿はなく、「出産難民」が生じかねない。日製日立病院は県医師会などとともに、医師確保へ躍起になっている。

 ■地域の半数超担当

 県医療対策課によると、昨年度の日立地域(日立・高萩・北茨城三市)の出生数は計二千二百五十七人。日製日立病院は、このうちの半数超の千二百十五人の出産を手掛けた。三市の合計出生数はこの十年間で七百人減ったが、同病院が引き受けた出産数は逆に三百人以上増えた。

 日製日立病院の常勤産婦人科医は現在六人。昨年三月以降、二人減った。産科医は二十四時間体制の宿直や休日当番、緊急の呼び出しなどがあり、「体を休める暇がない重労働が続く」(同病院)。若手医師の場合、残業時間は一カ月平均百時間に上るという。

 しかし、日製水戸病院によると、こうした常勤医六人のうち数人については、来年四月以降も引き続き勤務してもらえるか確約を得られていない。このため、病院は万一に備えて後任医師の確保に懸命だが、「行政も巻き込んで探さないと難しい」(同病院)。来春以降の出産予約を受け付けられるか予断を許さない状況で、去る八月には県に医師確保のための財政支援も要請した。

 ■負担限界超える

 県産婦人科医会(石渡勇会長)によると、日立地域の出産施設は十五年前には計十三施設を数えた。現在は日製日立病院と、昨年十一月に産科を再開した北茨城市立病院、診療所の瀬尾医院(日立市)、助産所の加茂助産院(同)の四施設だけ。

 日立地域の産婦人科の医師数は計六人。医師一人当たりの年間分娩ぶんべん数は約二百四十件に上る。日製日立病院に次いでお産が多いのは瀬尾医院だが、同医院の場合、医師は院長だけで、院長一人で年間約三百八十件のお産を担う。早産や胎児異常などリスクの大きいケースは日製日立病院に搬送している。

 石渡会長は「本来、通常分娩は医師一人当たり百五十人が限界」と指摘する。瀬尾医院の瀬尾文洋院長は「日製日立病院が疲弊すればハイリスク患者の受け皿がなくなる」と危機感を募らせる。

 ■困難な体制維持

 限られた医療資源を集約化して効率性を高めようと、県は昨年四月、県内を三ブロックに分け、各地域の中核病院を「総合周産期母子医療センター」と位置付けた。日製日立病院は「県北サブブロック」の「地域周産期母子医療センター」として県北東部を受け持つ。危険性の高い出産をセンターに集中させ、通常分娩は診療所や助産院が担う形を目指した。

 石渡会長は「センターも診療所も今ぎりぎりの状態を維持している。医師不足を改善しない限り問題は解決しない」と語る。県医師会の小松満副会長は「県全体の出産の四割を担う診療所がお産をやめると分娩体制を支えられなくなる」と警鐘を鳴らす。

 県によると、県内の産婦人科医師数は二〇〇四年現在、人口十万人当たり6・6人で全国四十二位に低迷。県内の地域間格差も顕著で、医療圏ごとにみると、日立地域は同4・9人と最も高いつくば地域(11・0人)の半分以下となっている。

(茨城新聞、2007年9月30日)

****** 読売新聞、山梨、2008年8月15日

常勤産婦人科医ゼロ

都留市立、10月から

 都留市立病院で唯一残っていた常勤産婦人科医が、9月末で派遣元の山梨大医学部に引き揚げることがわかった。

 これに伴い、市立甲府病院の産婦人科医が1人増員されるとみられる。都留市立病院では10月以降、同大から派遣される非常勤医が週3日診察を続けるという。

 都留市立病院によると、今年3月末に3人いた常勤産婦人科医のうち、2人が同大に引き揚げたため、4月からは出産の扱いを取りやめ、妊婦の検診や避妊などを扱っていた。

 常勤医の引き揚げは数か月前から決まっており、8月から患者に周知を始め、混乱はないという。都留市立病院は「非常勤化による不都合が生じないよう山梨大にお願いしている」としている。

 市立甲府病院は同大から派遣された常勤医が3人所属し、年間800件以上の出産を扱う県内最大規模の病院。4人になることにより、出産の受け入れ件数を増やすことができるほか、医師の過酷な勤務状況の緩和につながる。

(読売新聞、山梨、2008年8月15日)

****** 読売新聞、山梨、2008年8月15日

救急妊婦拒む病院増

「処置困難」「専門外」

 県内で救急搬送された妊婦が病院に受け入れを拒否された事例が年々増えていることが、県のまとめで分かった。受け入れ先が決まるまでに1時間かかったケースもある。県消防防災課は「産科医の不足や、未受診の妊婦の増加、産科医に多い訴訟リスクを避けるなど、全国的な傾向が影響しているのでは」と分析している。

 同課によると、2007年の妊婦の搬送数は計149件(転院は除く)で、このうち受け入れを拒否されたのは7件だった。06年は4件、05年は1件、04年はゼロだった。

 07年の7件のうち、断られた回数は1回が5件、2、3回がそれぞれ1件だった。3回のケースでは、救急車が現場に着いてから、受け入れ先が決まって搬送されるまで30~60分かかったという。06年にあった4回断られたケースでは、60~90分かかったという。

 07年分を地域別でみると、峡東地域が3件で、中北と東部地域がそれぞれ2件だった。拒否理由は「処置困難」「専門外」「医師不在」が1件ずつで、「理由不明」は5件(重複分含む)。

 医師不足の影響で、県内では、出産ができる医療機関が04年4月には24あったが、08年4月には16に減っている。また、全国的に、妊娠しても経済的な理由などで受診せず、出産時やトラブルが起きてから病院を訪れる「飛び込み出産」の妊婦は、リスク回避のため敬遠されるケースが多いという。

 県消防防災課の担当者は「搬送人員自体も少ないので拒否される数は全国的には少ない方だが、今後増える可能性はある」と懸念している。

(読売新聞、山梨、2008年8月15日)

****** 読売新聞、埼玉、2008年8月13日

足踏み 母胎搬送拠点  高リスク患者対応 県の事業 引き受け病院なく

 一般の産科病院・診療所では対応が難しいハイリスク分娩(ぶんべん)の受け入れ先を電話で探す県の「母胎搬送コントロールセンター」事業の開始めどが立っていない。県は7月から、周産期の基幹病院に助産師を配置してセンターを稼働させる予定だったが、新生児集中治療室(NICU)不足などを理由に、引き受ける基幹病院が見つからない。県は県医師会と対応を協議し、運営方針の見直しを検討している。

 県によると、コントロールセンターは基幹病院に常時1人の助産師を配置し、産科病院や診療所で切迫早産や多胎妊娠などのハイリスク分娩が発生した場合、産科医から連絡を受けて、代わりに空床を探す機関。診察と並行して受け入れ先を探さなければならない産科医の負担軽減が狙いだ。県は今年度の新規事業として、配置する助産師の人件費約1620万円を予算化した。

 県内には、最も高度な産科医療を担う「総合周産期母子医療センター」が埼玉医大総合医療センター(川越市)にあるほか、地域の拠点となる「地域周産期母子医療センター」が5か所ある。しかし、2007年度末現在、県内のNICU(準NICU3床を含む)は計68床にとどまり、病床利用率は96・6%とフル稼働の状態。

 田村正徳・総合周産期母子医療センター長によると、県内には180~200床程度のNICUが必要で、患者の約3割が東京都内に流れているという。同センターのNICUは24床で、低体重児やよりハイリスクな妊婦を優先的に受け入れているが、病床利用率は95・4%と高く、軽症患者を断るケースも多い。

 田村センター長は「コントロールセンターが当病院に設置された場合、軽症患者も引き受けざるを得なくなり、本来の役割を果たせなくなる」と懸念。「NICUが足りない現状を踏まえ、東京都などと受け入れに関する政策協定を結ぶことも考えるべきだ」と指摘する。

 近隣では神奈川県医師会が07年4月から、コントロールセンター同様の「県救急医療中央情報センター」を運営し、24時間態勢で受け入れ先を探しており、効果を上げている。

 埼玉県医師会も5月に設けた周産期・小児救急医療体制整備委員会で、コントロールセンターについて協議しており、県がオブザーバー参加している。委員からは「センターには助産師ではなく、医師を配置した方がスムーズに探せるのではないか」との意見も出ており、医師会と県は今後も、設置場所や運営方法について引き続き検討する。

(読売新聞、埼玉、2008年8月13日)

****** 読売新聞、2008年8月13日

妊婦健診現状議論を 産科医不足踏まえ

助産所県助成対象外

 妊婦が妊娠期間中に受ける妊婦健診について、県は今年度から、公費で助成する回数を昨年度までの2回から5回に増やした。ただし、助産所での健診は対象外だ。一方で、市町が独自に助成することは認めており、現在のところ静岡市など5市町が助成を行っている。一律助成が認められなかった背景や課題を探った。【石塚人生】

■無事出産 

静岡市清水区の高田尚子さん(40)は2005年12月、同市葵区の「くさの助産院」の畳敷きの部屋で、隣で手を握る夫と長男に励まされながら、二男を無事出産した。「家で産んでいるみたい。医療機関よりも安心できた」。高田さんが当時を振り返って言う。

 妊娠中、妊婦は健診を通常14回前後受ける。高田さんは長男を産科医院で出産し、健診も同医院で受けたが、「待ち時間は長いのに検査は数分」だった。一方、二男の妊娠中は、医療機関で受けた健診は最低限の2回。残りは同助産所で毎回1時間かけて受けた。長男の出産時の処置への不安や、体調の変化なども、院長で静岡市助産師会長の草野恵子さんに相談した。

 「私のように出産経験があり、異常もなければ、5回も医療機関で健診を受けるのは労力がかかるだけ」と高田さんは感じている。

■助成の判断 

高度な医療処置が必要になる出産は一般的に全体の2割程度だが、県内で年間に生まれる約3万3000人の赤ちゃんのうち、出産を扱う県内19助産所での出産は400~500人どまり。緊急時のことを考えてか、「産むなら病院で」との意識が強いのが現状だ。

 健診未受診での“飛び込み出産”を減らすため、県は4月から、病院や産科診療所で受ける5回の健診を公費負担している。しかし、助産所での健診は、血液検査など高度な項目の実施が難しいうえ、一部助産所で医療機関との連携が不十分だとして、県は県内一律での助成は認めなかった。

 ただし、市町の判断で助産所健診に助成することは容認。県こども家庭室によると、5回の健診の一部を助産所で行った場合にも助成しているのは静岡、袋井、伊豆市。吉田町と川根本町は5回を超える部分を助成している。一方、牧之原市は助産所での健診には助成しないなど、自治体により対応に差が生じている。

■安全と連携 

助産所での妊婦健診について、産婦人科医の赤堀昭夫・県医師会理事(牧之原市)は、「出産にはある程度の危険性があるが、今は100%の安全を求められる。その重圧が産科医不足を招いている。危険を負いたくないのが正直な気持ちで、せめて5回の健診は高度な検査が可能な医療機関で受けてほしい」と話す。

 これに対し、草野さんは「助産所は健康な妊婦が出産する場所。少しでも危険と判断したら、出産前に提携病院に送っている」と言う。昨年4月に改正医療法が施行され、助産所は緊急事態に備えて嘱託医療機関を確保するよう義務づけられた。静岡市助産師会や周辺市町の助産所は、県立総合病院(静岡市葵区)や県立こども病院(同)と緊急時の協定を締結している。

 草野さんは「法で義務づけられた連携が不十分ならば、県が医療機関と助産所を橋渡しして改善を指導すべきではないか」と指摘する。一方で、助産所での健診や出産にどんな問題があるか、医療機関と差はあるのか、明確なデータがないのが現状だ。情報がないまま、関係者が互いに疑心暗鬼になっている面も否定できない。

 県こども家庭室は「市町の判断に任せた以上、県がすぐに前面に出るのは難しい。今後、医療機関、助産師双方の意見を集約したい」とする。産科医が不足し助産師の活用も求められているなか、助産所、医療機関、行政それぞれが課題を点検し、同じ場で話し合うことが必要だ。

(読売新聞、2008年8月13日)

****** 静岡第一テレビ、2008年8月12日

伊豆日赤病院も常勤産科医退職へ

 伊豆市にある伊豆赤十字病院で、ことし2月に着任した唯一の産婦人科医師が1年で退職したいとの意向を示し、病院もこれに応じたことがわかりました。伊豆市の伊豆赤十字病院の産婦人科は、2月に60歳代の男性医師が着任し、3月からは、この医師が1人で産科と婦人科を担当し、分娩を行ってきました。病院によりますと、今月上旬、この医師から「来年1月末で退職したい」という申し出があり、病院側では、慰留に努めましたがかなわず、受理したものです。このため、来年1月以降の分娩は取り扱わない方針とし、外来や分娩の希望者には他の病院への紹介などを行うなど対応することにしています。後任はまだ決まらず、来年2月から休診せざるを得ない状況に追い込まれています。

(静岡第一テレビ、2008年8月12日)

****** 読売新聞、2007年8月12日

産婦人科、新規外来休止

相馬総合病院

 相双地区の拠点病院の一つ「公立相馬総合病院」(相馬市)が、12日から産婦人科の外来患者の新規受け付けをやめることになった。唯一の男性常勤医が10月末に退職することになったため。後任確保のメドが立っておらず、10月15日からは休診になる見通しだ。相馬市内でお産を扱うのは、民間診療所1か所だけになる。

 同病院は、相馬市と新地町が運営している。同病院によると、産婦人科の2007年度の外来患者は延べ約3600人。新生児集中治療室(NICU)を備えているため、県から相双地区で唯一の「周産期医療協力施設」に指定されている。07年度は県から約150万円の補助金が交付された。小児科と連携して出産直後から高度な医療を提供して新生児を管理することが可能で、リスクが高い妊婦の受け皿にもなっている。

 隣接する南相馬市には、周産期医療協力施設に指定された病院はなく、休診した場合、こうした患者が県北地区や宮城県などの拠点病院でお産を行わなければならないケースが出てくる。

 同病院は「南相馬市にも市立病院の産婦人科や診療所があり、すぐに住民が産婦人科の医療を受けることが出来なくなるわけではないが、早急に常勤医を確保したい」と話している。

(読売新聞、2007年8月12日)

****** 毎日新聞、静岡、2008年8月9日

藤枝市立総合病院:医師の退職受理、産科休止確定へ

 藤枝市の北村正平市長は8日、市立総合病院で1人しかいない産科医(56)が先月31日に提出した退職願を受理した。今月末で退職する予定で、同病院の産科休止が確定的になった。医師は「1人では不安」として着任2カ月で退職願を出した。同病院は産科の診療や分べんを休止するが、婦人科は非常勤医師による外来診療を続ける。受け付け再開以降に予約した22人は全員転院の手続きを済ませた。【稲生陽】

(毎日新聞、静岡、2008年8月9日)

****** 毎日新聞、奈良、2008年8月9日

妊婦転送死亡:発生2年 産科医療改善まだ途上、医師や看護師不足に課題

 一昨年8月の大淀町立大淀病院(大淀町)の妊婦死亡問題を受け、県内ではこの2年、周産期(出産前後の母子双方にとって注意を要する時期)医療の改善が加速した。しかし、昨年8月には橿原市の妊婦が搬送中に死産した。医師や看護師不足を中心に残る課題も多く、体制整備はまだ途上だ。【中村敦茂】

 今年5月26日には、高度な母子医療を提供する総合周産期母子医療センターが、県内最大の医療拠点である県立医大付属病院(橿原市)に開設された。都道府県で45番目の遅い出発だったが、同病院の母体・胎児集中治療管理室(MFICU)は3床から18床に増えた。新生児集中治療室(NICU)は21床から31床になった。県立奈良病院(奈良市)でも、NICU6床の増設計画が進んでいる。

 勤務医の待遇改善にも手が打たれた。県は今年度当初予算で県立病院と県立医大付属病院の医師給与引き上げや分娩(ぶんべん)手当の新設などに2億9200万円を計上。「全国最低レベル」とされた給与水準は改善し、年間給与は産科医で約200万円、医師平均で約100万円上昇。県は過酷勤務による離職防止や欠員補充の難しさの緩和を期待する。

 県は今年2月、勤務医の少なさをカバーするため、産婦人科の夜間・休日の1次救急に、開業医らが協力する輪番制も導入。4月には参加する開業医を増やして拡充し、一定の成果を出している。出産リスクが高くなる妊婦健診の未受診者を減らそうと、今年4月から妊娠判定の公費負担制度も始めるなど、他にも多くの策を講じてきた。

 それでもなお、厳しさは続いているのが現状だ。荒井正吾知事は周産期センター開設に際し、「難しいお産も含め、県内で対応できる態勢がほぼできあがった」と語った。しかし、それはフル稼働が実現すればの話。

 センターでは看護師約20人が不足し、NICUのうち9床は開設時から使えていない。このため実際のNICU運用は22床で、従来より1床増えただけ。受け入れ不能の主な要因となってきたNICU不足の実態に大きな変化はなく、大阪など県外へ妊婦を運ばざるを得ない状況は続いているという。

 待遇改善で、すぐに医師不足が解消したわけでもない。昨年4月に産科を休診した大淀病院の再開のめどは今も立たない。県立三室病院(三郷町)でも、来年4月以降の産科医確保の見通しが立たず、今月中には新規のお産受け付けを停止する可能性が出ている。

 この2年間で実現した改善は少なくないが、医師や看護師不足など、容易でない重要課題に解決の道筋はついていない。県などは、今年度設置した地域医療対策の協議会の議論で、現状打開に向けた模索を続けている。

(毎日新聞、奈良、2008年8月9日)

****** 産経新聞、2008年8月8日

産科医不足で助産師注目、人材育成が課題に

 全国で産科医が減り、分娩(ぶんべん)可能な病院が激減するなか、助産師外来など助産師を活用した対策が注目を集めている。ところが、過酷な勤務から、助産師も不足している状態だ。日本産婦人科医会の調査で、助産師充足率0%の診療所が44・4%と高知県と並んでワースト1位の山梨県では、この状況を打破しようと今秋、研究費を負担し、助産師の活用方法などを研究してもらう寄付講座を山梨大に開設する。【油原聡子】

                   ◇

 「助産師はもともとお産を扱える資格。本来の実力を発揮してもらえば、産科医の負担軽減にもつながるんです」。山梨県医務課の山下誠課長はこう話す。産科医が1人前になるには10年ほどかかるというが、助産師は大学で学ぶか看護師資格を持つ人が養成学校で1年間学べばよいので育成も早い。健診や保健指導、正常分娩を助産師が扱い、異常分娩を医師が診るよう役割分担できれば、お互いの負担を軽減できるというわけだ。

 寄付講座では、助産師外来や病院内で助産師が中心となって分娩介助する院内助産所開設のための課題や研修、医師との役割分担などについて研究してもらう予定だ。総務省によると国立大学法人の寄付講座で、産科医療に特化したものは全国でも初めてという。

 県医務課によると、県内で看護業務に就いている助産師は平成18年末で約230人。そのうち産科以外で看護師として働いているのが65人だ。山梨大などによると、1人の助産師が研修をしながら勤務に余裕を持って扱えるお産は年間30人という。県内では年間7500人ほどお産があり、不足している状況だ。

 ところが、県内の養成機関は県立大と山梨大医学部だけ。助産師課程を希望する学生は多いが定員は計15人程度と少なく、資格を取得しても県外の病院に就職してしまう学生も多い。ある助産師は「助産師の少ない地方の病院だと、新人がいきなり1人でお産を任せられるなど勤務が過酷。勤務態勢の整った大都市の病院で学びながら働きたいという学生も多い」と明かす。養成数が少ない上に、過酷な勤務状況が追い打ちをかけるのだ。山梨大医学部看護学科の遠藤俊子教授は「養成するだけではだめ。まとめて配置して交代勤務できるようにするなど働きやすい環境を整える必要がある」と指摘する。

 助産師の資格を取得できるのは女性だけのため、結婚・出産を機にやめたり、フルタイムで働けずに分娩から離れ、地域の保健指導に活躍の場を移すことも多い。しかし、日本助産師会山梨県支部の榊原まゆみ支部長は「分娩にかかわりたいと思っている助産師は多い」と指摘する。県の意向調査でも、「助産師外来は、助産師の専門性が発揮できる場」などの声が目立ち、活躍の場が広がることへの期待は大きい。だが、助産師が独り立ちして活躍するには最新の知識を学んでスキルアップを図り、医師と信頼関係を築く必要がある。分娩の中心だった昔と違い、医師の補助的な役割を果たすことに慣れてしまった助産師も多いからだ。

 昨年12月に開設した山梨大医学部付属病院の助産師外来も、医師と助産師の協力態勢の上に成り立っている。週1回、医師が正常と判断した妊婦の健診や保健指導を行っているが、医師がすぐ近くで診療しており、不安なことがあればすぐに相談できる。医師から超音波検査の技術も学んでいるといい、「医師の診察が必要ならすぐにお願いするし、先生方とのコミュニケーションが大事」と花輪ゆみ子産科病棟看護師長は話す。

 同病院の平田修司分娩部長は「産科医の目標は子供が無事に生まれることだが、助産師は出産前から育児までかかわれる。産科医不足だから助産師で補うという発想ではなく、助産師本来の能力を発揮してもらうという考えです」。人材育成など課題は多いが、妊娠中から出産後まで母親に寄り添ったケアができる助産師への期待は大きい。

               ◇

 ■過去半世紀で半減

 国内では1950年代までは、自宅で助産師の介助で出産するのが一般的だった。その後、正常な経過のお産でも医療機関で出産するのが主流になり、助産師数は半減。日本産婦人科医会の調査(平成18年)では、全国で6700人が不足しているという。また、日本助産師会によると、現在では助産師の8割近くが病院・診療所などの医療機関で勤務している。

 「正常なお産は結果論。いつ異常が起こるかわからないのがお産」。産科医も助産師もこう口をそろえる。医療機関での出産が進んだ結果、出産10万人あたりの妊産婦死亡率は、1955年には178・8人だったのが、2006年は4・9人と激減、日本の周産期医療は世界でもトップクラスになった。しかし、「安全なお産」が常識になった結果か、患者から訴えられるリスクも高まり、産科医が減少。昼夜を問わない過酷な状況が拍車をかけ、産科医不足から分娩をやめる病院が全国で出てきた。山梨県内の分娩(ぶんべん)可能な施設は、1998年は14病院26診療所だったのが2008年4月の時点で7病院9診療所と、この10年で激減した。

(産経新聞、2008年8月8日)

****** 中日新聞、2008年8月7日

産婦人科当番「空白」 医師不足、輪番制困難に

 夜間や休日に入院の必要な病気やけがを診る「2次救急病院」の輪番体制が、名古屋市で崩壊の危機にある。9日は、2病院が必要な産婦人科の当番が1病院しか決まっておらず、初めて「空白」が出る見通しだ。大都市の救急を担ってきた輪番制の維持が、医師不足で困難になってきている。

 同市では1973(昭和48)年、2次救急に輪番制を導入。67病院が協力し、愛知県病院協会が産婦人科、小児科など4診療科ごとに当番日を割り振る。しかし、医師や看護師を確保できず、協力する病院が10年前と比べて産婦人科が15から11、小児科が23から14に減った。

 輪番の空白は9月と11月にも予想されるという。協会で救急問題を担当する名古屋第一赤十字病院の小林陽一郎院長(65)は「これまで一部の病院が無理して輪番に参加してきたが、いよいよ難しくなった。都市部にも医師不足の波が押し寄せている」と話す。

 協会は3月、名古屋市に苦境を伝え、協力する病院への補助金(現行1晩約7万円)の増額や、市立病院の当番日を増やすことなどを要望。市は医療関係者をメンバーに検討会を設けたが、改善には至っていない。市保健医療課では「根底には医師不足があり、一朝一夕には解決できない」と話している。

 2次救急の輪番を診療科別に分けているのは一部の大都市に限られるが、参加病院の確保に悩む市は少なくない。札幌市では医師不足で産婦人科の輪番制の体制が取れなくなり、9月末で休止することに。

 千葉市は4病院で休日の産科救急輪番を回すが、担当者は「医師不足で2、3年前から維持するのが難しい状況」と話す。

 【2次救急】救急に対応する病院は3段階に分かれ役割分担している。2次救急は入院の必要がある患者を扱い、都道府県が定める医療圏域ごとに整備する。ほかに、軽い病気やけがを扱う1次、高度な設備を備えて命の危険がある患者に対応する3次がある。

(中日新聞、2008年8月7日)