当時、全国の現役産婦人科医の多くが一斉に職場を去りました。産科医療の最大の危機でした。
https://obgyn.blog/癒着胎盤で母体死亡となった事例/
************私の感想:
癒着胎盤は非常にまれで、事前の予測は不可能なことがほとんどです。正常の妊娠経過で正常の経腟分娩後であっても、児の娩出後に胎盤が剥がれず大量出血が始まれば、そこで初めて癒着胎盤を疑い、緊急で子宮摘出手術を実施しなければなりません。その際には、大量の輸血も必要ですし、手術中に大量の出血により母体死亡となる可能性も当然あり得ます。
どの癒着胎盤の症例でも、児が娩出する前には癒着胎盤を疑うことすら不可能の場合が多いです。今回報道されている事例は、帝王切開ですから、当然、手術前には癒着胎盤の診断がついてなかったと思われます。手術中に、児を娩出した後、胎盤がどうしても剥離しないで大量の出血が始まり、初めて癒着胎盤とわかったと考えられます。大量の輸血の準備をして帝王切開に臨むことは通常ありえません。また、帝王切開は腰椎麻酔で実施されることが多いですが、大量の輸血の準備もなく、腰椎麻酔のままでは、帝王切開から子宮摘出手術に移行すること自体が非常に危険です。麻酔科医がその場にいなければ、手術中に腰椎麻酔から全身麻酔に移行することも不可能です。
ですから、今回の事例では、誰が執刀していても、母体死亡となっていた可能性が非常に高かったと思われます。帝王切開をしてみたら、たまたま癒着胎盤であったケースで、母体を救命できる可能性があるのは、いつでも大量の輸血が可能で、複数の産婦人科専門医が常勤し、麻酔科医も常駐している病院だけだと思います。そういう人員・設備が整った病院であっても、帝王切開中に突然大量の出血が始まれば、全例で母体を救命できるという保障は全くありません。
今回の事例は、術前診断が非常に困難かつ非常にまれな癒着胎盤という疾患で、誰が執刀しても同じく母体死亡となった可能性が高かったのに、結果として母体死亡となった責任により執刀医が逮捕されたということであれば、今後、同じような条件の病院では、帝王切開を執刀すること自体が一切禁止されたと考えざるを得ません。
産科診療に従事していれば、母体や胎児の生命に関わる症例に遭遇することは日常茶飯事です。我々は、この生命の危機に直面した母児の命を助けるために帝王切開などの危険な緊急手術を日常的に実施していますが、手術の結果が常に患者側の期待通りにいくとは全く考えていません。産科では、予測不能の母体死亡、胎児死亡、死産は、一定頻度でいつでも誰にでも起こり得るという事実を全く無視して、結果責任だけで担当医師が逮捕される世の中になってしまえば、今後は危なくて誰も産科診療には従事できません。今後の産科診療に非常に大きな影響を与える重大事件だと思います。
************新聞記事より引用:
帝王切開で出血死、福島県立病院の医師逮捕
福島県警富岡署は18日、同県大熊町、県立大野病院の産婦人科医師○○○○容疑者(38)(大熊町下野上)を業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の疑いで逮捕した。
医師が届け出義務違反で逮捕されるのは異例。
調べによると、○○容疑者は2004年12月17日、同県内の女性(当時29歳)の帝王切開手術を執刀した際、大量出血のある恐れを認識しながら十分な検査などをせず、胎盤を子宮からはがして大量出血で死亡させた疑い。また、医師法で定められた24時間以内の所轄警察署への届け出をしなかった疑い。胎児は無事だった。
医療ミスは、05年になって発覚。専門医らが調査した結果、県と病院側はミスを認めて遺族に謝罪。加藤容疑者は減給1か月の処分となった。
(2006年2月18日 読売新聞)
癒着胎盤での帝王切開は未経験…逮捕の産婦人科医
福島県大熊町の県立大野病院の産婦人科医師○○○○容疑者(38)が業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反容疑で逮捕された事件で、○○容疑者が数多くの出産に立ち会っていたものの、今回死亡した被害者のように、子宮と胎盤が癒着している状態での帝王切開手術の経験はなかったことがわかった。
県病院局によると、○○容疑者は、医師免許を取得して9年目の中堅医師で、2004年4月に同病院に赴任後、唯一の産婦人科医として年間200回の出産に立ち会っていた。
しかし、「癒着胎盤」の状態で帝王切開が行われたのは03、04年度、産婦人科がある4つの県立病院で今回のケースが唯一で、○○容疑者も経験がなかったという。
県は昨年1月、専門医らで作る調査委員会を設置。同3月に、事故の要因を「癒着した胎盤の無理なはく離」「対応する医師の不足」「輸血対応の遅れ」などと結論づけ、遺族に謝罪していた。県は遺族と補償問題について交渉中という。
会見した秋山時夫・県病院局長は、警察へ届け出なかったことについて、「当時、医療過誤という判断はなかった」と釈明した。
(読売新聞) – 2月19日0時30分更新