ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

大病院の分娩室を“開放”

2006年06月16日 | 地域周産期医療

当科の場合も、オープンシステムの制度は一応あるにはある。婦人科疾患の場合に紹介元の先生と一緒に手術を実施した例はあるが、産科ではまだその制度を利用した例はない。開業の先生方にとっても、昼間は御自分のクリニックでの外来診療で忙しく、夜間や休日にお産でいつ呼び出されるかわからないようでは身が持たない。妊婦検診は開業医で、分娩は大病院でというセミオープンシステムの方が、開業の先生方には利用しやすいと思われる。しかし、妊婦さんたちにとっては、日頃お世話になっている先生が分娩時にも立ち会ってくれたら非常に心強いと思うので、今後は、産科でも開業の先生方が(セミオープンシステムだけでなく)オープンシステムの方も今より利用しやすくするような方策をいろいろと考えていきたい。

当科の場合は、今のところ、セミオープンシステムが主流となっているが、分娩時に医師や助産師と初対面ではまずいと考えて、妊娠8週前後と妊娠28週前後、および妊娠34週以降の妊婦検診は当科で実施している。また、助産師外来も創設し、バースプランやフリースタイル分娩も取り入れた。

****** 読売新聞、2006年6月15日

大病院の分娩室を“開放”

 産科医不足の今、お産を大病院に集約する動きがあるが安全と妊婦の安心を両立できるとして注目を集めているのが、「オープンシステム」だ。

 大阪府池田市の主婦加藤真由美さん(35)は今年4月、このシステムで二男を出産した。妊婦健診は大阪府豊中市の開業医、千葉喜英さんのもとに通い、陣痛が始まると大阪厚生年金病院(大阪市)に入院。千葉さんは外来診療の合間を縫って何度も病院を訪れて加藤さんを励まし、最後は分娩(ぶんべん)室に入って赤ちゃんを取り上げた。

 長男(9)を国立病院で産んだ時の主治医が千葉さん。「その後開業した先生の医院は健診のみ。でも、健診からお産まで一貫して担当してもらい、安心できました」

 同システムは、病院の分娩設備や人員を地域の開業医に開放するもの。米国のシステムにならい、開業医は自分の医院で妊婦健診のみを行い、お産は病院に出向いて指揮を執る。

 欧米では、お産は設備と人員の整った大病院で行うのが一般的だが、日本ではお産の47%が、診療所(ベッド数19以下)で行われている。1990年代半ばに静岡県浜松市の病院が先駆的に同システムを導入し、2003年に厚生労働省の研究班も「安全なお産には同システムが望ましい」と提言した。昨年度から国のモデル事業も始まり、今年度は全国6病院が参加し、他の病院にも広がってきた。

 加藤さんが出産した大阪厚生年金病院も、一昨年4月に同システムを導入。産婦人科部長の高木哲さんは「地域医療を担う公的病院として、健診のみの開業医のお産を受け入れることにした」と話す。

 同病院は開業医だけでなく、地元の開業助産師とも提携した。すると、「ベテラン開業助産師の技術を目の当たりにして、私たちも自然なお産への意識が高まった」と、同病院の助産師西条洋美さん。自由な分娩姿勢や、妊婦に「どんなお産がしたいか」を書いてもらう「バースプラン」を取り入れた。

(以下略)

(2006年6月15日  読売新聞)


医師不足 地域医療を崩壊させるな

2006年06月15日 | 地域周産期医療

****** コメント

従来は大学の医局人事により、黙っていても、研修医達がどの地方中核病院にも交替で必ず回ってきていた。研修医達は医局の命令で動いていたので、どの病院で研修するのか?は研修医本人の意思とは全く関係がなかった。

しかし、現在では、研修医達の研修先は研修医本人の全くの自由意志で決められるようになった。その結果として、ちゃんとした研修ができる病院に研修医達が集中するのは当然の現象と考えられる。

症例が豊富でちゃんとした研修体制が整っている病院に研修医は多く集まり、十分な人手も確保されてゆく。まともな研修ができない病院には研修医は決して集まらないので、その病院はますます人手不足に陥って、医療体制は完全に崩壊してゆく。

今後、個々の地方中核病院が生き残ってゆけるか否かは、その病院に若い研修医達が大勢集まるだけの魅力ある研修体制が整っているかどうかにすべてがかかっていると言っても過言ではないと思う。

****** 毎日新聞、6月13日

医師不足 地域医療を崩壊させるな

 医療の根幹が揺らいでいる。地方都市の病院で産婦人科や小児科が閉鎖されたり、時間外の救急医療ができないところが続出している。たった1人の産科医がたまたま不在だったため腹痛を訴えた妊婦に胃薬を与え死産に至ったケースも報道されている。

 国民皆保険制度なのに、地域によってまともな医療が受けられないとは不公平極まりない。医師の数は全体として増えているのに、都市部に集中し地方は手薄となる。このまま手をこまねいていると、地域医療は崩壊しかねないところまで来ている。

 なぜ医師の偏在が起きたのか。若い研修医たちの都会志向と地方病院の診療体制・労働条件悪化の相乗作用でもたらされたといわれる。2年前に導入された新臨床研修制度が引き金となった。この制度は、幅広く診療できる医師の養成を狙って、医師資格取得後の臨床研修を「努力義務」から「義務」に格上げした。大学病院や大規模な一般病院は研修プログラムを公開し、研修医が自由に研修先を選べるようにした。

 研修医たちは高収入でいろいろな症例に接することのできる都会の大病院をこぞって目指した。このため研修段階から地方離れが一気に進む。派遣医師の減った地方病院では「当直が月10回」など勤務環境が悪化し、それに嫌気がさして開業する医師が増えた。医師が激減した地方病院で働こうという使命感を抱いた研修医が現れてこない。この悪循環で一向に出口が見えないのだ。

 医師不足の原因はこの他にもある。現在大学の医学部に学ぶ約半数は女性なのに、女医が出産・育児をする際のカバー体制が整っていない。医師の使命感が薄らぎ、多忙、訴訟の多い診療科を敬遠する傾向が強い、などなど。

 功罪両面あったが、これまでは大学の医局が研修医配置のコントロール機能を受け持っていた。医局制度が形がい化した現在、その機能を代替する司令塔がない。

 単に医師の数を増やせば済むという単純な話でもなさそうだ。厚生労働省は、患者が安全で質の高い医療を受けられるよう地域の中核病院に医師を集め、少人数で過酷な勤務をこなしている現状を打破したいと考えている。

 結局、制度改正や対症療法などいろいろな処方せんを組み合わせていくしか打開の道はない。

 例えば、県の中核病院にその地域の医師配置コントロール機能を付与する。開業医になる資格条件として過疎地医療の研修医経験を設ける。地方に勤務する研修医の奨学金制度を充実させる。地方の病院に外国人研修医を受け入れる。過酷といわれる産婦人科医と小児科医の待遇改善に診療報酬で更なる増額をする。医学部へ「地方枠」で入学した学生は地元への就職を義務付ける。

 思いつくままに挙げたが医師不足の解消は官僚まかせにする問題でない。医療の専門家集団である医師会が率先して取り組むテーマだ。国民の期待もそこにあることを真正面から受け止めてほしい。

(毎日新聞 2006年6月13日)


<産科医全国調査>04年末比で施設4割、医師数2割減少

2006年06月14日 | 地域周産期医療

****** コメント

日本産科婦人科学会の調査結果で、我が国の産科施設数、産科医数は予想以上のスピードで減少していることが判明した。(特に、石川県の場合には、病院に限っても、産科の常勤医1名の施設が4割にも達しているとのことである!) このまま放置すれば、日本全国各地で、産科空白地域はどんどん拡大してゆく一方であろう。緊急避難的に、医師の集約化などの対策を早急に実行に移してゆく必要がある。

参考:

全国周産期医療データベースに関する実態調査の結果報告(日本産科婦人科学会)

朝日新聞:全国138病院が分娩休止 出産の場急減

****** 毎日新聞、2006年6月14日

<産科医全国調査>04年末比で施設4割、医師数2割減少

 日本産科婦人科学会(日産婦、武谷雄二理事長)は14日、出産を取り扱う全国の施設数、医師数に関する初の全国調査の結果を公表した。昨年12月現在で、出産を取り扱う病院・診療所は3063カ所、出産に携わる常勤医は7985人にとどまった。従来考えられていた数字を大幅に下回る結果で、日産婦は「医師の集約化などの対策を本格的に検討する必要性が浮き彫りになった」と訴えている。
 厚生労働省の調査によると、04年末現在で産科や産婦人科を名乗る施設が計約5600施設、主に産科か産婦人科に従事する医師は計約1万500人いた。その多くが出産に携わっていると見られていたが、今回の調査は施設数で約4割、医師数で約2割も下回った。
 日産婦は、同学会の地方部会を通じ、昨年12月1日時点で出産を取り扱う施設数、妊婦健診を実施する施設数、常勤の医師数などを調べた。東京都の一部を除く全国の地方部会から回答を得た。
 出産を取り扱う施設は病院(20床以上)1280カ所、有床診療所(19床以下)1783カ所だった。妊婦健診のみを実施する施設が1677カ所あった。医師不足などにより、出産を取り扱っていた施設が健診だけを受け付ける傾向が進んでいるためとみられる。
 1施設当たりの医師数は平均2.45人、大学病院を除くと同1.74人だった。大学病院を含めても青森、岐阜など8県は平均で2人以下だった。
 病院に限っても、常勤医が4人以下の施設が約8割を占めた。出産中の妊婦を死亡させたとして産婦人科医が逮捕・起訴された福島県では、2人以下の病院が71%と全国で最も多かった。1人しか医師がいない病院は福島、高知、熊本など5県で3割を超え、石川県では4割に達した。
 調査を担当した吉川裕之・筑波大教授(産婦人科)は「10年前は産婦人科を名乗れば出産を扱うのが当たり前だったが、変わってきた。出産の利便性より、安全性を確保する体制整備をまず進める必要がある」と話している。【永山悦子】

(毎日新聞) - 6月14日20時29分更新


読売新聞: 現実にらみ 産院存続運動

2006年06月14日 | 地域周産期医療

****** コメント

2次医療圏内に、ハイリスク妊娠・分娩をしっかりと管理できる中核病院産科が存在し、そこには大勢の産科医、新生児科医、麻酔科医が常駐していて、いつでも産科救急を受け入れ可能な体制を整える必要がある。その上で、低リスク妊娠・分娩の管理を中心とした1次産科医療施設が多く存在し、1次施設から中核病院産科への搬送システムをしっかりと整えるという状況が理想の姿だと思う。

今は、1次産科施設も中核病院産科も両方ともが危機的な状況に陥っている地域が増えている。万一、中核病院産科が消滅してしまえば、自動的に1次施設も搬送先がなくなって産科医療を継続できなくなってしまう。従って、中核病院産科は地域の総力を挙げて守り育て、維持してゆく必要がある。

それぞれの地域の実状にあわせて、地域の産科医療体制の存続のために、今は何をなすべきか?を地域内でしっかりと協議し、必要な対策を立案し、それを実行に移してゆく必要がある。

****** 読売新聞、2006年6月14日

どうする?私たちの出産 現実にらみ 産院存続運動

 昨夏、長野県上田市産院に存続の危機が訪れた。常勤医2人のうち1人を交代で派遣していた信州大の医局が、産科医不足を理由に派遣の中止を申し入れたからだ。

 同産院は戦後まもなくできた市営の施設で、1990年代半ばから、母乳育児や医療処置の少ないお産に取り組んでいる。2000年には世界保健機関とユニセフの「ベビーフレンドリーホスピタル(赤ちゃんにやさしい病院)」に認定され、人気は高い。

 驚いた母親らは早速、「『いいお産』を望み上田市産院存続を求める母の会」(桐島真希子代表)を結成。9万人の署名を集めた。しかし、思いがけない“壁”にぶつかった。上田地域は緊急時の搬送先となる総合病院の医療体制が不十分だという理由から、産院の医師を総合病院に移して高度医療を強化すべきだと信州大から言われた。

 これまで地域の病院は大学の医局から派遣された医師で成り立ってきた。しかし、医師が足りない今、全国各地の大学は小規模病院から医師を引き揚げ、中核病院に集約しようとしている。

 その結果、医師に去られる危機にひんした島根県隠岐の島町、三重県尾鷲市、岩手県宮古市などでも住民による産院存続運動が起きている。住民側は身近な産み場所を求めるが、「医師不足である以上、集約化は避けられない」という産科医の主張に、「私たちはわがままなのか」と苦悩する。

 信州大産婦人科の小西郁生教授は「集約化は窮余の策。医師の絶対数が増えない限り、根本的な解決にならない。待遇改善などで産科医を増やす施策が必要」と指摘する。

 上田市の母の会の会員は、問題解決に何ができるか悩み、高度医療が行われている機関を見学。「高度医療の大切さがよく分かった。でもそこで出産した母親たちも、次は産院のような身近な場所で産みたいと言う。何とか両方を守りたい」と、メンバーで産院での出産経験を持つ中沢尚子さん(34)。

 上田市産院は、同大医局内に赴任を希望する医師が現れ、とりあえず存続が可能になった。しかし、母親らは「良かったと思えるお産を次世代につなげる」と、新たな目標を掲げ、動き始めた。医師を集約化した場合にも、医療処置の少ない出産や母乳育児支援など産院の長所を取り入れる方法を考え、行政などに提案していく。県内の母親グループとも連携を図る。

 出産医療ライターの河合蘭さんは「身近な産み場所を求めるのはわがままではないが、ただ存続を要求するだけでは解決にならない。住民も医師不足の現実を知り、どうしたらより安全でいいお産が実現できるかを医師や行政と共に考え、自分たちにもできることを実行に移していく姿勢が必要だ」と話す。

(2006年6月14日  読売新聞)


読売新聞: “お産難民”深刻に

2006年06月13日 | 地域周産期医療

****** コメント

北海道や東北での産科医不足は以前からよく報道されていたが、最近では、病院の多い神奈川県や埼玉県などでも、分娩場所をなかなか確保できない事態となっているようだ。

大学病院などの巨大有名病院が多く密集する横浜市であっても、妊娠7週で分娩予約がいっぱいと断られるとは信じがたいことである。

職場を離れていった多くの産科医達は、一体全体、どこに行ってしまったんだろうか?

****** 読売新聞、2006年6月13日

分娩予約は抽選 閉院も続々 “お産難民”深刻に

 神奈川県南足柄市の主婦山田久美子さん(26、仮名)は今年の元日、第2子の妊娠を知った。市内にお産ができる産院はなく、近くの産婦人科で妊婦健診だけ受けながら産み場所を探した。

 長女(2)を出産した同県立足柄上病院(同県松田町)で再び産みたいと訪ねると、4月以降の分娩(ぶんべん)の予約を停止していた。3月には同病院が分娩件数を従来の5分の1の月10件に減らし、抽選とすることで予約を再開したが、山田さんは抽選にもれた。

 その時点で、隣町の市立病院と個人産院は既に満員。車で40分ほどのもう一つの個人産院の予約がようやく取れたのが今月1日。「この半年近く、だめだったらどうしようと、不安でいっぱいでした」

 ここ数年、病院の産科や個人産院の閉鎖が各地で相次ぎ、産み場所探しに苦労する女性が増えている。“お産難民”という言葉まで生まれるほどだ。

 もともと病院数が少ない北海道や東北の過疎地域で、産院が遠くなりすぎて、車の中で赤ちゃんが生まれてしまうなど、安全なお産が脅かされる状況になっていた。首都圏ではそこまではいかないものの、病院が多いと言われる神奈川県や埼玉県などでも同様のことが起き始めている。

 来年2月に第2子を出産予定の横浜市西区の主婦(32)は、長男(2)を産んだ産院が今年10月で分娩をやめると知り、ショックを受けた。次に考えた産院も、2年前に分娩はやめていた。横浜市大センター病院を訪ねると、まだ妊娠7週なのに「もういっぱいです」と言われた。第4希望の病院でようやく予約が取れた。

 埼玉県でも、年間約600件のお産を扱っていた草加市立病院が昨年3月から産科を休診。多くの妊婦が市外に産み場所を探し求めている。

 ◆当直、訴訟の多さ嫌う若手医師ら

 病院や個人産院が相次いで分娩の取り扱いをやめる原因は、産科医の不足だ。当直や訴訟の多さを嫌い、若手医師の産科離れが進む。女性の産科医が増えているが、自身の出産・育児と両立できない忙しさから現場を離れてしまう状況も、医師不足の一因と言われている。

 地域の病院は、大学の医局から派遣された医師で成り立っているが、医師不足の大学は派遣先を減らしている。医師に去られた病院は、分娩を停止せざるをえない。

 日本産科婦人科学会が、全国の大学関連病院を対象に行った調査では、2003年4月から05年7月までに、全体の約1割に当たる111の病院が「分娩をやめた」または「やめる予定」と回答した。

 個人産院も、後継者不足による閉院や、分娩をやめて妊婦健診や婦人科だけの医院への転換が増えている。

 妊婦たちは「少子化が大きな問題なのに、安心して産める場所がなければ問題は解消されない」と訴える。こうした状況の打開のため、立場を超えて話し合おうと、母親、産科医、助産師で作る「どうする? 日本のお産」プロジェクト(事務局・横浜市)が今年発足した。母親の立場で発起人を務める熊手麻紀子さんは「互いの思いを出し合い、それぞれができることを考えたい」と話す。

            ◇

 「安全でいいお産」が揺らいでいる。産科医が不足し、女性たちは産み場所を探し求める。もっと身近な場所で安心して出産ができるようにと動き始めた母親、医師や助産師たちの取り組みを追った。

(2006年6月13日  読売新聞)


県警察医会:福島で定期総会 大野病院医療事故の問題点指摘

2006年06月13日 | 大野病院事件

****** コメント

警察医は、都道府県によって多少制度は異なるが、県内在住の臨床医が任命され、医院もしくは自宅の属する所轄警察署の嘱託を受けて医師免許を必要とする警察業務(被疑者の採血等)を行う。監察医制度のない都道府県においては、異状死体の検案も警察医の嘱託業務であり、その結果事件性があると判断された場合には司法解剖が行われ、それ以外のほとんどの場合は、警察医が外表所見のみから死因を推定し、死体検案書を発行し終わる。

****** 毎日新聞、2006年6月12日

県警察医会:福島で定期総会 大野病院医療事故の問題点指摘/福島

 06年度県警察医会定期総会が11日、福島市杉妻町の杉妻会館で開かれ、県内各署の警察医ら約50人が参加した。総会では元名古屋大学医学部長で警察庁科学警察研究所の勝又義直所長による特別講演も行われた。勝又所長は県立大野病院の医師が逮捕・起訴された医療事故に触れ、患者の安全を第一に考えることや、異状死体届け出基準の明確化が重要であると指摘した。

 勝又所長は今回の事故について、業務上過失致死に当たるか▽異状死体の届け出義務違反に当たるか--の二つが論点であると指摘。業務上過失致死の問題については、原因究明と再発防止のための専門機関がないことや、医療過誤に対する行政責任の対応が弱いなどの問題点を挙げた。

 また異状死体の届出義務については、東京都立広尾病院の点滴ミス隠し事件での04年4月の最高裁判決で「死体検案のみに限定されない」として治療行為も含むと判断したことや欧州連合(EU)などの現状などを紹介し、「広く解釈するのは世界的な流れ」と説明した。そして、「届出基準を法的に定めず、医師の判断に任せていることが問題」と話した。

 参加した警察医からは、「なぜ医療事故専門の裁判所がないのか」「県のマニュアルでは管理者が届け出をすることになっているが、医師自身にも責任が及ぶのか」といった質問が出ていた。【松本惇】

毎日新聞 2006年6月12日


帝王切開20年で倍増

2006年06月13日 | 出産・育児

****** コメント

当科においても、現在は、骨盤位例と前回帝王切開例に関しては、ほぼ全例が帝王切開となっている。また、患者さん自身から「帝王切開をしてください」との依頼を受けた場合には、「帝王切開の医学的適応がないから」という理由で、断固、経膣分娩でねばりぬくこともだんだん難しくなってきている。一昔前の産科医のような、何が何でも経膣分娩!とか、帝王切開率が高いのは産科医の恥というような経膣分娩至上主義の考え方は完全に捨て去ってしまった。分娩方法は何であれ、とにかく、母児ともに無事に退院してくれたら心底ほっとする

****** 朝日新聞、2006年6月10日

帝王切開20年で倍増 背景に医師不足や妊婦の意識変化

 出産時に、帝王切開手術で赤ちゃんを取り上げられる割合が、約20年で倍増している。高齢出産が増えているほかにも、医師不足や医療ミスを避けようとする医師の心理など、社会的事情の変化が背景にある、との指摘もある。

 厚生労働省統計によると、分娩(ぶんべん)における帝王切開の割合は84年に7.3%だったが、90年には10.0%と年々高まり、02年には15%を突破した。産科医院と病院の別でみると、医院では11.8%なのに対し、病院は17.9%にのぼる。

(以下略)

(朝日新聞、2006年6月10日)


産科医がいなくなる!

2006年06月12日 | 地域医療

****** コメント

ザ・ファクタは経済総合誌ということで、医学とは全く関係のない雑誌らしいが、一般の新聞社の記事よりも、よほどしっかりした内容であるようにも思われる。これは経済関係の記者が執筆した記事なんだろうか?

******

ファクタ出版株式会社、ザ・ファクタ、2006年5月27日
http://facta.co.jp/mgz/archives/20060527000167.shtml

発行元より本記事の全文引用の了承を得ました

FREE CONTENTS

産科医がいなくなる!

10年間に産婦人科医だけが9%も減少。4割が60歳を超えており、きわめて深刻な事態。

産婦人科が受難の時代を迎えている。産科医療――出産を手がける産科医が減少し、少人数あるいは一人医長の病院勤務医は診療に追われっぱなしだ。これに加えて、妊娠から出産、新生児までの周産期医療をめぐるトラブル、医療訴訟は少なくない。さらに、不妊治療の普及や高齢出産に伴い、未熟児や異常を持つ赤ちゃんが増えている。

今年2月、福島県大熊町にある県立大野病院産婦人科の医長(38)が、帝王切開で妊産婦(当時29)を死亡させたとして、福島県警に業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の疑いで逮捕された。翌月、福島地裁に起訴されたが、日本医師会をはじめ、医師を派遣している福島県立医大、日本産科婦人科学会など関連団体が、「故意や悪意のない医療行為に対し、個人の刑事責任を問うのは疑問」と一斉に反発した。医療訴訟を起こされるばかりか、強制捜査の対象になったことで、産科医のなり手が、いよいよいなくなるという悲鳴が聞こえてくる。

■訴訟が起きやすい勤務環境

厚生労働省が2年に1度行う医師・歯科医師・薬剤師調査によれば、1994年から2004年の間に、医師総数は22万853人から25万6668人と、約16%増加したが、産婦人科医は1万2340人から1万1282人へと1058人、約9%も減少している。小児科医不足が社会問題化しているが、実は同じ期間に小児科医は約10%増えている。産婦人科だけがマイナス成長であり、事態はきわめて深刻なのだ。

実際に産婦人科医になる新人医師は年間約300人を数えるが、大学病院産婦人科への入局者はどんどん減っている。しかも、子宮がん、卵巣がんなどの腫瘍分野や、不妊治療を専門とする医師が多く、産科希望は少ない。その原因は、「分娩に医師は不要」「分娩はリスク幅が大きい」というイメージや、不規則な労働時間、責任に対する報酬(対価)の低さ、周産期医療をめぐる訴訟が多いことなどが指摘されている。

東京地裁民事部は国内で医療訴訟を最も多く扱っているが、受理件数は年々増え、93年に442件だったのが今では1千件を超えている。02年に受け付けた訴訟896件のうち、内科26%、外科23%、整形外科15%に次いで、産婦人科は12.25%。このうち胎児管理や胎児仮死など産科領域が圧倒的に多い。一般に周産期医療をめぐる訴訟の3割以上は産婦人科関連といわれ、産科領域の訴訟は少なくないのだ。

家庭での自然分娩が大半だった昔に比べ、今はクリニックや病院での出産が増え、周産期死亡率も世界で最も低い。にもかかわらず、訴訟につながるトラブルは増加している。妊娠・出産・育児は順調なのが当然とされ、少しでも結果が悪ければ過失(過誤)が原因ではないか、と紛争が起きやすい。訴訟に至らないまでも、各医師会が準備している医療補償費用の半分を5%の産科医が使っているといわれるほどだ。

日本の病院の産婦人科で、実働する医師は平均2人程度といわれる。この少人数で、突発的な局面に対応できるかどうか、医療の安全面で不安が残る。これに比べ米国、英国の1分娩施設当たりの平均医師数は7~8人。実は、周産期死亡率の低さを誇る一方で、日本の母体死亡率が他の先進国よりやや高めである事実はあまり知られていない。実死亡者数は年間約70人とそう大きな数字ではないが、1分娩施設当たりの少ない医師数との深い関わりを指摘する専門家は少なくない。

ある国立大学教授は、「少人数の診療では、急変した状態に耐えられる実力を育もうと思っても限界がある。日本の産婦人科医療の質の向上は、人的資源の分散で妨げられている」と言う。前述の福島県立大野病院の逮捕された医師は、1人しかいない産婦人科の医長だったが、年間200件もの分娩を手がけていた。赤ちゃんは無事誕生したものの母親がわが子の顔を見ることなく亡くなった悲劇と、少人数診療との間に因果関係があるかどうかは不明だが、院内の臨床検討会で客観的な討論もなく患者の診療に追われる日本の産婦人科医療の実態が垣間見える。

日本産科婦人科学会の拡大産婦人科医療提供体制検討委員会は4月下旬、高齢出産や妊娠中毒症など危険度の高い分娩を行う公立・公的病院に3人以上の産婦人科医の常勤を求める緊急提言を出した。全国の大学関連病院で産婦人科医が1人の病院が14.2%、2人以下が40.6%にのぼるとの全国調査を踏まえ、分娩の安全を担保できないという危機感によるものだ。

産科の常勤医がいない病院も増えている。2年間に95の大学関連病院から産科の看板が消えた。2年前にスタートした新臨床研修制度で医局員の確保に四苦八苦している大学の医局が、背に腹は代えられぬと派遣を取り止めているからだ。

関係学会や厚労省などが模索しているのは、中核病院に産婦人科医を集約した産婦人科センター構想だ。病院の産科医の負担を軽減するため、開業医がセンター病院で当直も含めた連携診療をする方策は、すでに小児科領域で始まっている。

■不妊治療の普及もマイナス

体外受精に代表される生殖補助医療の急速な発達も、日本の産科医不足に影を落としている。体外受精で生まれる新生児は年間1万3千人を超えるが、それに伴い出生体重1500グラム未満の極小未熟児、超未熟児が新生児の0.7%(約8千人)と、体外受精導入以前の2倍に増加している。多数の専門医と専門看護師による24時間監視・勤務体制の新生児集中治療室(NICU)でしか、脆弱な未熟児は育たないが、それが産科医不足に輪をかける。

双子・三つ子などの多胎、早・流産も増え、染色体異常、成長障害など多様な問題をはらんでいる。増えている高齢出産でも、35歳以上の初産児出産は母子ともに急激なリスク上昇を伴う。近い将来、周産期死亡率の悪化を招く恐れがある。

不妊治療の普及は、分娩と関わらない産婦人科医を生み出した。全国に600以上ある不妊クリニックの多くは分娩を扱わず、一回数十万円という保険外治療費による利益率は高い。同じ産婦人科医でも、産科医は過酷な勤務に追われ、時に訴訟の被告になる一方で、不妊専門医は当直・救急・がん治療のない「3ない科」で楽をし、高収入も得ている。心身ともに負担が大きく、責任も重い産科医を支えているのは、産科医としてのやりがいと使命感だけだ。

産婦人科医の4割以上が60歳を超えており、実働可能な産科医は急速にいなくなる。産科医不足をこのまま放置するわけにはいかない。

著作権: ファクタ出版株式会社


青森県内30市町村で産科医不在

2006年06月11日 | 地域周産期医療

****** コメント

青森県内でも産科空白地域が急速に広がっているようである。

弘前大学産婦人科の入局者数が3年連続でゼロだったとも報道されていることから、県内の大学関連病院産婦人科で医師の欠員が生じても、大学の医局人事での欠員補充はおそらく非常に困難と考えられる。

産科医の集約化を実施したくても、残っている産科医があまりに少なくなってしまった場合には集約化もできない。このまま産科医減少がどんどん進めば、場合によっては、分娩できる施設が県内に一施設のみなんていう事態も将来的にはあり得るのかもしれない。

この問題は、根本的には、産科医の数が増えてくれないことには解決できないと思われる。

参考:

本年度の医学部産婦人科への新規入局状況

毎日新聞: 産婦人科医不足をどうする 分娩施設の集約化を

***** 東奥日報、2006年6月10日

画像をクリック!    県内30市町村で産科医不在
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 県内で産科医が不在の市町村が四月一日現在、三十市町村に上ることが、九日までに県の調べで分かった。産科医・助産師ともいない地域は二十五市町村。郡部で空白地帯が目立ち、青森市、弘前市、八戸市の三市に産科医が集中していることが浮き彫りとなった。

 調査は、産科を届け出ている医療施設(公立・民間)に、県が電話確認するなどして行った。

 四月一日現在、県内で産科を届け出ている産科医療施設は、公立病院十二、民間病院三、民間診療所二十四の計三十九施設。

 このうち弘前が十二施設(公立病院三、民間病院一、民間診療所八)で最も多く、次いで青森が九施設(公立二、民間病院一、診療所六)、八戸八施設(公立二、民間診療所六)と三市に集中している。

 産科のある公立病院を持つ自治体は、三市のほか、五所川原市、黒石市、三沢市、むつ市、五戸町。医師不足を背景に過去五年間で、大学などから産婦人科医が引き揚げられた公的病院は、公立金木病院、鯵ケ沢鯵ヶ沢,鰺ヶ沢,鰺ケ沢中央病院、十和田中央病院、公立野辺地病院、七戸病院、青森労災病院(八戸)となっている。

 一方、産科医が不在の市町村は、つがる市、平川市、平内町、深浦町、田子町など県内全域の三十市町村に及び、医師・助産師とも不在の地域は二十五市町村となった。助産師だけの地域は鯵ケ沢鯵ヶ沢,鰺ヶ沢,鰺ケ沢、横浜、野辺地、南部、三戸の五町だった。

(東奥日報、2006年6月10日)


毎日新聞 論点:産婦人科医不足をどうする 分娩施設の集約化を

2006年06月08日 | 地域周産期医療

****** 毎日新聞、2006年6月3日

分娩施設の集約化を
臨床研修必修化で地域基幹病院が崩壊
産科医療改革に欠かせない住民の理解

海野信也(北里大産婦人科教授)

 産婦人科医が減少しつつある。少子化による出生数の減少よりも速い。いくつかの原因が考えられている。

 日本はお産で亡くなる赤ちゃんの数が世界で最も少ない国の一つであり、「お産は安全で当然」と考えておられる方が多いと思われる。

 日本の産婦人科医にとって世界に誇る成果であるが、そのために、お産が安全でなかった時代よりも産婦人科医が医療訴訟の当事者になる可能性が高まっている。医師1人当たりの医療訴訟が診療科中で一番多いのである。産婦人科は安全性を向上させることで、逆に、若い医師をひきつけられなくなっている。

 産科医療には安全性だけでなく、利便性を求める強い社会的要請もある。「地元で産みたい」というのは住民にとって切実な願いである。これに応えるため、産婦人科医は各地域に「広く」「薄く」分布して診療をしてきた。その結果、分娩施設では当直が多くなり、勤務条件が過酷なものとなっている。若い医師がこの分野への参入を躊躇するもう一つの要因である。

 04年度から医師の新臨床研修制度が導入された。研修が終わるまでの2年間、新規専攻医師の各診療科への参入が中断し、産婦人科では若い医師への依存度が高い地域基幹病院の現場がもちこたえられなくなった。その結果が、各地の病院で発生している分娩取り扱いの縮小、閉鎖である。

 妊娠分娩は文化であり国ごとに特徴がある。大多数の欧米諸国では、妊婦健診は近くの診療所で行うが、分娩場所は集約されている。これに対し、日本では多数の比較的小規模な施設が分娩を取り扱うという特徴がある。分娩施設が大規模になるほど医療安全が向上することは証明された事実である。欧米では「分娩場所に関しては」利便性を犠牲にする選択がなされている。日本でも分娩のあり方について改めてコンセンサスを形成していく必要が生じている。

 日本産科婦人科学会(日産婦)の任務は産婦人科学と医療の進歩、それを支える人材の養成だ。産婦人科医療の問題点への解決策を示し、明るい将来像を特に医学生・研修医に対して明確に示すこと、その実現に向けて社会に働きかけていくことが課題である。医療訴訟問題を健全に解決するには裁判外医療紛争処理機構が必要である。勤務条件の改善には、分娩施設の再編を含む産科医療制度改革を推進しなければならない。

 行政、医療機関、医師、助産師、住民等関係者は急いで検討を開始する必要がある。安全性を損なうわけにはいかない。分娩施設までの距離が遠くなるなど住民の負担が増加するため、行政サービスの拡充も必要になる。検討の際には、住民にこの問題が十分に理解されることと住民の意思が反映されることが重要だ。

(毎日新聞、2006年6月3日)


朝日新聞 論座: 事故は避けられなかったのか

2006年06月05日 | 大野病院事件

****** コメント

確かに一人医長などの不十分な体制の公立・公的病院で、多くの分娩を取り扱うというのは非常に無茶な話ではある。私も若い時分に数年間の一人医長勤務を経験したが、もう2度と経験したくない人生で一番辛かった思い出である。加藤医師にしたって、自らの意思で好きこのんで一人医長業務を行っていたのではなく、上司から一人医長勤務を命じられて、仕方なくその命令に従って一人医長の任務についていたわけだ。

「たとえ一人医長であろうとも、万遍なく産科医を配置し、どの地区に住んでいようと近くでお産ができるようにすべき」という住民側、自治体側の利便性を要求する主張を一切無視して、「一人医長などの不十分な体制の産科はすべて廃止し、産科医の集約化を推進すべし」というような方針を住民側に提案することさえ不可能な社会的状況であった。

加藤医師逮捕を契機に、一人医長などの不十分な体制の産科は問答無用でどんどん廃止することが可能な社会的状況となりつつある。それ以前には、いくら一人医長体制の産科業務が危険だからといって、それを廃止することは決して許されないような社会的な状況にあったことは忘れてはならない。

また、癒着胎盤の頻度は非常にまれで、産科医が一生のうちに1回経験するかどうかという非常にまれな疾患である。大野病院では年間分娩件数2百件程度とのことであるから、そのペースだと百年に一度発生するかどうかという非常にまれな発生頻度となる。おそらく、大野病院開設以来初めての症例だったと思われる。結果論だけで、「こうすれば助けられた筈だ」などといろいろ後講釈を言うことは容易だ。しかし、輸血を1000cc準備し、外科医に助手を依頼し、麻酔科医に麻酔を依頼したのであるから、通常よりも相当に周到な準備を行ったことは確かだと思う。

****** 朝日新聞 論座、2006年7月号
http://opendoors.asahi.com/ronza/story/

事故は避けられなかったのか

検証:福島県立大野病院事件

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鳥集 徹
とりだまり・とおる 

1966年、神戸市生まれ。同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。出版社勤務等を経て2004年、フリーに。医療・健康分野を中心に記事を執筆。共著に『検証 免疫信仰は危ない!』など。

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 「事故に対する見方はいろいろありました。しかし、『逮捕はおかしい』という一点で一致したんです。納得できる理由もないのに、こんなことを許していたら、だれだって逮捕されてしまう」
 「加藤医師を支援するグループ」発起人のひとり、三重大学医学部公衆衛生学教室助手の木田博隆医師(神経内科医)は、署名活動を始めた理由をこう説明する。
 今年2月18日、福島県立大野病院産婦人科の加藤克彦医師(38)が、業務上過失致死と医師法違反の疑いで福島県警富岡署に逮捕された。同県内の女性(当時29)に対し、癒着胎盤で大量出血する可能性を認識していたにもかかわらず、十分な検査や高次の病院への転送をせずに帝王切開を執刀、子宮から胎盤を手術用ハサミで無理に剥がし、大量出血死させたというのがおもな理由だ。
 この逮捕に医師側は猛烈に反発した。逮捕から6日後の24日、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会が連名で「逮捕拘留の必要があったのか理解しがたい」とするコメントを発表。これを皮切りに、各地の産婦人科医会や医師グループが相次いで抗議声明を出し、加藤医師を支援する動きが燎原の火のごとく全国の医師に広がった。
 3月17日には加藤医師の出身医局である福島県立医科大学産婦人科の佐藤章教授らを代表とする「周産期医療の崩壊をくい止める会」が、「加藤医師の逮捕・起訴は遺憾。無罪実現に向けて理解と協力を」とする陳情書を、6520人の医師の賛同署名をそえて厚生労働相に提出。5月末現在で声明や要望を出した医師グループは100近くにも及んでいる。
 04年12月17日の事故直後、福島県は県内の産婦人科医3名からなる医療事故調査委員会を組織し、05年3月22日には「報告書」を公表。加藤医師の判断ミスを認め、遺族に謝罪した。加藤医師も減給1カ月の処分を受けた。一方、県の公表で初めて事故を知った県警は、昨年4月に同病院や県病院局を家宅捜索した。
 「検察側は逮捕理由を『証拠隠滅』と『逃亡の恐れ』と説明していますが、すでに証拠は警察が押収している。しかも、加藤医師は事故後も逮捕されるまで大野病院で1年以上も勤務している。患者さんの月命日には必ずお墓にお参りし、ご遺族に補償交渉の働きかけもしてきた。なのに、どこに証拠隠滅や逃亡の恐れがあるのでしょうか」(木田医師)
 木田医師たちが「加藤医師を支援するグループ」を組織し、署名活動を始めたのは、インターネットでの議論がきっかけだった。逮捕直後、医療者限定のある掲示板に書き込みが殺到。それをきっかけに、事件を考えるフォーラムが別につくられ、メーリングリストを活用した情報収集と活発な議論が交わされた。約800人の医師が署名に参加し、声明を出す3月8日までに、2千数百通にも及ぶメールがやりとりされたという。
 「わたしたちは『報告書』だけでなく、あらゆるルートから可能なかぎり情報を集め、大野病院の置かれた環境を想定し、事故の状況をシミュレートしました。その結果、加藤医師の判断は『妥当』で、刑事責任を問われるようなものではなかったと判断したのです」(木田医師)
 同グループをはじめ、多くの医師団体が声明文や陳情書で、この事故は「診療上ある一定の確率で起こり得る不可避な出来事」と主張している。たとえば、「周産期医療の崩壊をくい止める会」の「陳情書」には、次のように書かれている。
 「癒着胎盤は全分娩の0・01%~0・04%という稀有な疾患であり、さらに、前置胎盤のうち、癒着胎盤が合併する頻度は4%程度といわれております。特に癒着胎盤は、現在の医療水準では、事前の確定診断が難しいとされております。 今回の場合、帝王切開中に癒着胎盤による出血が多量となり、子宮動脈血流遮断、子宮全摘などの止血措置を含む救命措置を施したにも関わらず、不幸な転帰を辿られています。執刀医が高度の技術と経験を有している場合ですら、これらの措置は極めて難しいといわざるをえません。今回の事件は、医師個人の問題ではなく、まさに現在の地方僻地医療が抱えている医師不足や輸血血液の確保難等を背景とした医療政策、医療マネジメントの問題であります」
 事故は不測の事態が招いた出来事であり、どんな医師が執刀していても救命は困難だった▽事故の背景には、輸血血液の供給もままならない僻地にもかかわらず、たった1人で地域のお産を担わなければいけない「産婦人科医不足」という問題がある▽これを解決しないかぎり、今後も同様の事態が一定の確率で起こる、というのが医師側の主張だ。
 こうした声が大きくなるにつれ、当初は医師逮捕に厳しい見方をしていたマスコミも論調を変え、産婦人科医が置かた過酷な労働環境や、各地で次々にお産の場所が失われている実態を繰り返し報道するようになった。確かに、24時間365日いつ始まり、いつ危険な状態に陥るか予測もできないお産を、1人や2人の医師で担うのは過酷としかいいようがない。こうした状況を放置したままで、安全を担保することはできないという主張に異論を差し挟む人はいないだろう。
 しかし、「医療政策、医療マネジメントの問題」ばかりがクローズアップされるようになったために、今度は大野病院の事故そのものに関する議論がほとんど見当たらなくなった。医師側が主張するように、「事故は避けられなかった」と結論づけるのは性急すぎると感じているのは筆者だけだろうか。
 この事故で焦点になっている「癒着胎盤」とは、どのようなものか。
 池ノ上克(宮崎大学医学部産婦人科教授)他編著『NEWエッセンシャル産科学・婦人科学(第3版)』(医歯薬出版)によると、癒着胎盤は「胎盤絨毛と子宮筋が脱落膜組織を介さず直接接していて、剥離できない胎盤」と定義されている。
 正常な胎盤は「脱落膜」を介しているので、児の娩出後に子宮が収縮すると子宮筋と胎盤の間にずれが生じ、容易に胎盤が剥がれる。ところが癒着胎盤は「脱落膜」を介さず、胎盤絨毛が直接子宮筋に付着あるいは侵入しているため、出産後に子宮が収縮しても胎盤が剥がれない。
 無理に剥がすと大出血となり、最悪の場合には母体死亡を招くこともありうる。それゆえ、前掲書にも「術中癒着胎盤を確認したら、決して胎盤を剥離することなく(中略)胎児を娩出後、直ちに子宮摘出を行う」と記載されている。癒着の程度や範囲にもよるが、母体死亡を招く恐れのある危険な疾患であることは間違いない。 94年からの11年間に、名古屋大学産婦人科関連の3次医療機関8施設で経験された癒着胎盤23例を検討した学会報告(日本胎盤学会第31回学術集会)によると、全例に帝王切開が施行され、18例は帝王切開と同時に子宮を摘出。残りの5例は、帝王切開と同時に子宮を摘出するのは母体に危険と判断し、胎盤を残していったん閉腹、再手術で子宮を摘出している。23例のうち、子宮を温存できた患者は1例もなかった。
 術中出血量は、胎盤絨毛が子宮筋層を貫通している「穿通胎盤」の場合、平均1万2140g(羊水含む)。胎盤絨毛が子宮筋層に侵入している「嵌入胎盤」でも平均3630gであり、いかに大量出血になるかがうかがえる。とはいえ、母体死亡は1例(死亡率4%)。事前に癒着胎盤を診断または予測し、十分な輸血を準備して計画的に手術に臨めば、かなりの確率で母体を救うことができる。
 ただし問題は、癒着胎盤を事前に診断できるかどうかだ。この症例検討を行ったチームの一員で、現在、埼玉医科大学産婦人科教授の板倉敦夫医師はこう話す。
 「わたしたちは癒着胎盤が疑わしい症例にはほぼ全例、MRIや特殊なエコーなど通常は使用しない装置を駆使して検査していました。超音波検査で癒着胎盤の8割に特徴的な所見が認められますが、事前に完全に診断できたのは約6割。高度な施設でさえその程度ですから、一般の病院で事前に確定診断するのは難しいでしょう」 また、癒着胎盤といってもただ付着しているもの(狭義の癒着胎盤)から、筋層に侵入しているもの(嵌入胎盤)、筋層を貫き子宮の外側に達しているもの(穿通胎盤)まであり、癒着の範囲も狭いものから、広範囲のものまで様々だ。
 「胎盤をつけたまま子宮を摘出するのが一般的ですが、胎盤を剥がしてから子宮を摘出した方がいい場合もある。大野病院のケースのように、手術用ハサミで剥ぎ取ったことが悪かったかどうか、一概に言うことはできません」(板倉医師)
 「現在の医療水準では癒着胎盤を事前に診断することは難しい」というのはその通りのようだ。また、手術中に胎盤を剥がすかどうかは、そのときの状況に左右される面もあり、これを直ちに「過失」と判断するのも難しいようだ。しかし、だから「事故は避けられなかった」と結論づけてしまっていいのだろうか。
癒着胎盤の可能性
 大野病院で亡くなった女性は1人目の子どもを帝王切開で出産。事故が起きたときは、2度目の帝王切開だった。「報告書」によると、女性は事前に「後壁付着の部分前置胎盤」と診断されていた。「前置胎盤」とは、胎盤が正常の位置より低い部位に付着し、内子宮口(子宮の胎児の出口)を覆うもので、内子宮口を覆う程度により、全前置胎盤(胎盤が完全に内子宮口を覆うもの)、部分前置胎盤(内子宮口の一部を覆うもの)、辺縁前置胎盤(内子宮口の縁に達しているもの)に分類される。全分娩数に対する前置胎盤の頻度は200人に1人(0・5%)と言われている。
 実は、前置胎盤に癒着胎盤が合併しやすいことは、どの専門書にも書かれている。全分娩に対する癒着胎盤の頻度は極めて稀だが、前置胎盤を分母にすると20~25人に1人(4~5%)になる。特に、帝王切開の経験がある患者で、前置胎盤が子宮の前壁(腹側)に達している場合、帝王切開の傷跡に胎盤組織が侵入しやすいため、癒着胎盤の頻度が高くなる。帝王切開経験が1回の場合には24%、2回以上だと47%、4回以上では67%にもなるという報告がある。
 ただ、大野病院で事故に遭った女性の場合、前述のように事前の診断で子宮の「前壁」ではなく、「後壁(母体背側)」に付着した前置胎盤と診断されていた。後壁付着の場合の癒着胎盤の頻度について書いている文献を見つけることはできなかったが、「前壁」付着の前置胎盤よりかなり頻度が落ちることは間違いないだろう。「報告書」によると、加藤医師も「後壁」付着の前置胎盤だったので、癒着胎盤を強く疑っていなかったとされている。
 しかし、だからといって、癒着胎盤を疑わなくていいかというとそうではない。佐藤和雄(元日本大学医学部産婦人科教授)・水口弘司(横浜市立大学名誉教授)編著『インフォームド・コンセント ガイダンス―周産期編―』(先端医学社)には、次のように書かれている。
 「前置胎盤では癒着胎盤を合併しやすく、その原因として以下の二つがいわれている。胎盤付着部となる子宮下部は脱落膜の形成が乏しいため、胎盤絨毛が筋肉層に侵入しやすく癒着胎盤となりやすいというものと、前置胎盤が比較的多い帝王切開既往例では子宮下部瘢痕部の循環不全があり癒着胎盤となりやすいというものである」
 つまり、たとえ胎盤が帝王切開の傷跡にかかっていなくても、脱落膜に乏しい子宮下部にかかっているというそれだけで、癒着胎盤になる恐れがあるということだ。その頻度がたとえわずかだったとしても、癒着胎盤の可能性を排除して手術することのほうが、むしろ合理的ではないように思えるがどうだろうか。
1人手術の妥当性
 現に、日本産婦人科医会会長の坂元正一氏(東京大学名誉教授)や日本産科婦人科学会理事長武谷雄二氏(同教授)らが監修した『改訂版 プリンシプル産科婦人科学2』(メジカルビュー社)には、「前置胎盤」の項目にこう書いてある。
 「手術に際しては輸血をあらかじめ準備しておく。前置胎盤ではしばしば癒着胎盤の合併がみられるが、術前にこれを診断することは困難で、その有無は児の娩出後まで不明である。したがって、常にその可能性を念頭において手術に臨む必要がある。また、前置胎盤の胎盤付着部は子宮頚部に近いため、子宮筋が少なく剥離面の収縮が不十分で胎盤剥離後に大出血を起こすことがあるが、この際はカットグット(筆者注・手術用の糸)の縫合によって止血を図る。癒着胎盤や胎盤剥離後の収縮不全のため、母体の生命を脅かすような出血が続く場合には、やむをえず子宮摘出を行わなければならない場合もある」
 まるで、大野病院の事故を予測していたのではないかと思うような記述だ。つまり、大野病院で起こった事態は、このような知識を備えた産婦人科医にとっては、不測の事態ではなかった。確かに、癒着胎盤の術前診断は困難だ。しかし、だから「事故は避けられなかった」のではなく、だからこそ「常にその可能性を念頭において」、用意周到に準備して手術すべきだったのではなかったか。「報告書」には、加藤医師は術前に女性と夫に対して「輸血の可能性、子宮摘出の可能性について説明をしている」とある。加藤医師は癒着胎盤のリスクを事前に認識していた可能性が高い。
 だとすれば、外科医1人の補助があったとはいえ、1人しか産婦人科医がいない僻地の病院で、大量出血や子宮摘出の可能性まである手術を行ったことが、妥当な判断だったと言えるだろうか。事実、ある大学病院の産婦人科医は、次のように話す。
 「子宮摘出は、子宮筋腫や子宮がんなど予定された手術でも難しい。ましてや、血がどんどん噴出する修羅場で、出産直後の大きな子宮を取り出すのは、普通の帝王切開の何倍も難しい。子宮摘出の可能性がある手術を1人でするなんて、わたしなら恐くてできません」
 「報告書」は「(筆者注・『後壁付着の前置胎盤』という)術前診断かつ妊婦の希望もあったため、大野病院で手術を行うとしたことはやむを得ないと思われる」としている。しかし、加藤医師は女性に十分リスクを説明し、より高次の病院へ行くよう説得しなかったのか。あるいは、大学病院に応援を要請しなかったのか。事情に詳しい福島県の産婦人科医はこう証言する。
 「加藤医師には前置胎盤の手術経験が3例ほどありました。大学の医局では事前にこの症例を把握していたようですが、加藤医師からの応援要請はなかったそうです。大学はハイリスク症例ばかりでなく通常のお産も扱っており、一般の病院との役割分担が完全にできているわけではありません。それに、受け入れ側のキャパシティーの問題もあります。加藤医師は前置胎盤の経験もあったので、1人でやれると判断したのでしょう」
 しかし、帝王切開の既往があろうとなかろうと、前置胎盤自体がすでに「母児の生命を危うくすることのあるハイリスクの妊娠・分娩」(前出『プリンシプル産科婦人科学2』)だ。前置胎盤を安易に扱うべきでないという警告は、様々なところで発せられていた。
 たとえば、日本産婦人科医会が産婦人科医向けに放送していた番組「日産婦アワー」(ラジオNIKKEI)で、慈恵医大青戸病院院長(当時)の落合和彦教授は2001年2月19日、「産科医療のインフォームド・コンセント4 前置胎盤」と題して、こんな話をしている。
 「通常は帝王切開を行う施設であっても、癒着胎盤などの大量出血が予想される場合や、2000g未満の低出生体重児などの未熟性が考慮される場合には、新生児医療も含めた高次医療施設へと母体搬送する必要があります。いずれにせよ、時間帯、マンパワーも含めた自施設のキャパシティーを考えておくことが肝要であります」
 また、別の産婦人科医はこう証言する。
 「ある県では10年ほど前まで、前置胎盤の帝王切開を手がける開業医がたくさんありました。しかし、この県では前置胎盤のリスクの高さが広く認知されるようになり、現在ではほとんどが高次医療施設に送られています」
逮捕契機の行動に疑問
 実は、福島県でも2002年4月から周産期医療システムが稼働していた。周産期医療システムとは、母体胎児部門(MFICU)と新生児部門(NICU)を備えた「総合周産期母子医療センター」を中心に、各地の「地域周産期母子医療センター」が連携してハイリスク妊娠・出産に対応する仕組みのことで、福島県では福島県立医大(総合周産期母子医療センター)を中心に、四つの病院が地域周産期母子医療センターに指定されている。
 そのうち、亡くなった女性が住んでいたところから最も近い地域周産期母子医療センターに、「いわき市立総合磐城共立病院」がある(以下、「共立病院」)。現地の役所に聞いたところ、「大野病院までは車で20分ほどだが、共立病院までは車で50分ほどかかる」という。ただし、大野病院には休診中の産婦人科を入れても診療科が七つしかないため、「大野病院にない科の場合は、いわき市の病院まで車で通院している人もいる」そうだ。 車で50分というのは、確かに通院するのには不便だ。しかし、亡くなった女性の場合は、緊急に手術が必要になったわけではない。大野病院と共立病院の医師が連絡を取り合い、大野病院で健診を受けて、手術は共立病院で受ける、という連携も不可能ではなかったはずだ。
 共立病院の関係者によると、同院は救命救急センターに指定されており、「十分な輸血血液の対応はできている」という。だからといって、共立病院であれば患者を救えたかどうかはわからない。同院も医師不足に苦慮しており、4人いた産婦人科医が、今年の4月から3人になった。以前は順調な経過の妊産婦も受け入れていたが、現在はおもに異常経過の妊産婦のみを受け入れているという。
 しかし、たとえ結果が同じであったとしても、「輸血がすぐには届かない過疎地の病院でたった1人の産婦人科医が手術した」結果と、「十分な輸血供給体制がある病院で複数の産婦人科医が手を尽くした」結果とでは、遺族の受け止め方が違うのではないか。事実、亡くなった女性の父親は読売新聞の取材に、「事故は予見できたはずだ。危険性が高い状態で、大きな病院に転送すべきだったのに、なぜ無理に(手術を)行ったのか」と語っている。
 こうして検証してみると、加藤医師の判断には慎重さが欠けていたところがあったと言わざるをえないのではないか。無論、こうした判断を直ちに「過失」と認定し、刑事で裁くのが妥当かどうかとなると話は別だ。医療過誤を患者の立場で多数扱ってきた鈴木篤弁護士(東京弁護士会)も、
 「医療事故に対する刑事の実務の運用は恣意的で、基準がどこにあるかわからない。医療行為に車の運転と同じような業務上過失致死の理屈を当てはめると、重大な結果になった場合にはすべて医師は処罰されてしまうことになる。逮捕、拘留、起訴の動きは必ずしも正当ではないし、そんなことで問題が解決するとは思えない」と話す。しかし一方で、医師側の反応にも疑問を感じるという。
 「この事件を契機に周産期医療が抱える問題に目を向けるようになったこと自体は評価すべきだと思います。しかし、これだけの数の医師の行動が、『一人の患者の死』ではなく、『医師の逮捕』を契機に起こったということに、率直に言って疑問と限界を感じます。なぜ、事故が起きた直後に、『周産期医療がこうであれば、患者は死ななくてすんだはずだ』という声があがらなかったのでしょうか。厳しい言い方になりますが、加藤医師の逮捕がなかったら、これほど多くの医師が声をあげることはなかっただろうと思うのです。だとしたら、周産期医療の欠陥のために、この患者と同じように死亡したり、重大な障害を残す子どもが一定の確率で発生することを知りながら、事実上それに目をつむっていたことになると思うのです。つまり、これまで大野病院のようなケースがあっても、そのまま問題にもされずに終わっていたということを意味するのではないでしょうか」
一般論化する前に
 「報告書」には、加藤医師が事前に女性や家族にどんな説明をして、それを女性や家族がどのように理解していたのか、断片的にしか記載がない。県病院局は「ご遺族からは話は聞いていない。冒頭にも書いているように、あくまでこの事故を検証して、再発防止策を検討することが、この『報告書』の目的だ」という。
 確かに、心に大きな傷を負っている遺族から事情を聴くのは容易ではないだろう。だが、輸血や子宮摘出の可能性だけでなく、大野病院で手術するリスクについて、事前にどんなインフォームド・コンセントがあったか、それが明らかにならないかぎり、事故の再発防止を検討することなどできないはずだ。にもかかわらず、医師側が「事故は不可避だった」と結論づけて、周産期医療の崩壊を象徴する出来事という「一般論」として議論を進めていることに違和感を覚える。
 周産期医療の崩壊という問題自体は、この事故が起こる以前からずっと言われてきたことだ。厚生省(当時)の研究班が96年に出した「周産期センターの適正な配置と内容の基準に関する研究」分担研究報告書には、次のように書かれている。
 「(筆者注・十分な当直体制ができる)医師の確保のためには、総合周産期母子医療センターの産科には14名、新生児科には7名(他に小児科に同数近くの医師)、地域周産期母子医療センターには7名の産科医と同数の小児科医(中に複数の新生児医療に経験を積んだ医師)が必要である。(中略)またこの人数を確保することにより、今後新たに若手医師の志望が増加し、将来のわが国の周産期医療の維持が可能になる」
 すでに10年前にこのような提言がされながら、なぜこれが実現するどころか、より事態が悪化してしまったのか。訴訟リスクの高さや政府・行政・国民の無理解、マスコミの的外れな報道にも責任があるだろう。だが、周産期医療を担う医師(特に、学会で重責を担う医師たち)にも、反省すべき点はなかっただろうか。
 「危険な状態から母子を助けたという充実感はなにものにも代え難いものがあります。産科に魅力を感じているのに、今回の事件でやる気をそがれた医師がいっぱいいる」
 と、ある地方の開業産婦人科医は話す。70年に1008人だった妊産婦死亡は、04年には49人まで減った。悲惨な出来事をここまで減らせたのは、過酷な現場で働く産婦人科医の努力の賜物だろう。それは積極的に評価すべきだ。
 しかし一方で、マスコミに患者寄りのコメントを寄せた医師に対し、匿名のネット掲示板で、感情的な誹謗中傷の書き込みをする医師が少なからずいた。異論があっても自由に発言できない空気が医師の中にあるのではないかと危惧する。
 大野病院の事故を教訓として、このような不幸な出来事を繰り返さないためにどうすればいいか、建設的な議論が喚起されることを望みたい。

ご意見・ご感想をお寄せ下さい。メールのあて先は、ronza@asahi.comです。

****** 以上、朝日新聞 論座、2006年7月号

参考: とりごろうblog
http://d.hatena.ne.jp/torigoro/


神奈川: 助産師の活躍期待

2006年06月03日 | 地域周産期医療

****** コメント

産科医と助産師の職場での役割分担を明確にして、互いに連携・協力して、それぞれ自分の職責をきっちりと果たし、全体として一つの仕事を遂行してゆくことが大切だと思う。

産科医は、ハイリスク妊娠・分娩の管理や正常妊娠・分娩経過中に異常が発生した場合の管理に専念すればよいと思う。正常妊娠・分娩に関しては、検診においても、分娩においても、助産師達が主役でできることはどんどん頑張ってやってほしいと考えている。

妊婦さんをハイリスク群とローリスク群に明確に色分けすることはなかなか難しいことだし、ローリスクと考えていた妊婦に突然異常が発生することも珍しくはない。同じ職場に、多くの産科医と助産師がいて、それぞれが自分の職責をきっちりと果たして、全体として、安全で患者満足度の高い分娩環境を提供してゆくのが産科施設の理想的な姿だと思う。

産科医の体制が不十分な産科ではリスクが大きすぎるという理由で病院の産科を廃止したというのに、そこに勤めていた助産師達がその地での産科業務を続けたくて助産院を開業するというのでは、ますますリスクが大きくなってしまうではないか。非常に大きな矛盾を感ずる。

****** 朝日新聞 神奈川、2006年5月19日

助産師の活躍期待

  産婦人科医不足で、お産の場が失われつつある中で、助産師への注目が高まっている。「助産師」は、お産や看護の教育を受けた人が取得できる国家資格。妊婦の内診や、お産の助け、へその緒の切断ができるのは医師と助産師だけだ。県内には70の助産院があり、そのうち40施設で年間1800件ほどのお産をしている。助産師が妊婦の検診や保健指導をする「助産師外来」を始めた病院もある。

(赤木桃子)

  「頭が下にありますよ。もう逆子に戻ることはないでしょう」

  診察台に横になった相模原市の会社員萱森晃子さん(30)に、助産師の尾崎信代さん(45)が話しかけた。胎児の成長を調べる超音波検査機器を使いながら、画面で赤ちゃんの様子を確認する。

  相模原市にある民間の渕野辺総合病院。お産を年に約280件扱う中規模の病院だ。助産師外来は昨年10月に始めた。尾崎さんと、もうひとりの助産師が週に5、6人の妊婦を診ている。

  妊娠20週以上で、正常な妊娠経過の人が希望すれば受けることができる。よほどの緊急時以外、手術したり、薬を投与したりといった医療行為は禁じられている。でも、次々に診療に追われる医師と違い、1人に30分ほどかけ、妊娠中の食生活といった細かな相談にも応じる。県内には、まだ少ない。

  助産師外来に来ていた萱森さんは「腰痛など医師には遠慮して言えないことも、助産師さんだと気軽に相談できる。何か問題があったら医師に診てもらえばいいので安心です」。

  助産師外来を始めようと、提案したのは尾崎さんだった。それまで2人いた常勤医の1人が辞めることになり、医師が1人になってもお産を続けられると考えたからだ。病院も受け入れた。

  助産師外来を選ぶのは妊婦全体の1~2割だが、病院の釼持稔医師は「診察の時間が限られている中、正常な経過の人を助産師がみてくれると、負担感はかなり減る」と話す。

  湘南地方に住む助産師(53)は、勤めている病院が秋にお産を休止するため、同じ病院のもうひとりの助産師と2人で助産院を開業しようと計画中だ。

  休止が決まった後、病院に「地域の人がお産できる場所を残したい」と訴えた。だが、病院には「何か問題があったときに困る」と拒まれた。

  開業する場所や時期は、まだ決まっていない。開業資金はどうするか、嘱託医をどう確保するか……心配の種は尽きない。「20年以上の経験があるので、自信はある。あわてず、のんびりやっていくつもりです」

  助産師は、もともとは「産婆」という職業として地域の身近な存在だった。県地域保健福祉課によると、県内には約1440人の助産師が働いている。その大半は、病院や診療所に勤めている。

  だが、病院の産科休止に伴い、県内のある民間病院を今年4月に辞めた助産師(33)は、こう漏らす。「本来なら1人でお産ができなければならないのに、何もできないことに気づいた。これまで医者におんぶに抱っこでやっていた」

  病院のお産は、医師が中心だ。助産師が、妊婦の診察から出産まで、医師なしですべてを受け持つことはない。

  助産師の資格を持つ、県立保健福祉大助教授の村上明美さんは、こう指摘する。「産科医をすぐに増やすのは難しい。助産師をもっと活用すべきで、そのためには全体のレベルアップが必要だ」

(朝日新聞、2006年05月19日)


北海道新聞:旭医大派遣の産婦人科医、室蘭・日鋼病院から引き揚げ

2006年06月01日 | 地域周産期医療

****** コメント

参考:http://www.jaog.or.jp/JAPANESE/jigyo/JYOSEI/center.htm

日本全国では、総合周産期母子医療センターが54施設、地域周産期母子医療センターが187施設認定されている。

北海道では、総合周産期母子医療センターが2施設、地域周産期母子医療センターが25施設認定されている。しかし、地域周産期母子医療センターと認定された施設が、次々に産科部門を閉鎖せざるを得ない事態に追い込まれているようなので、現在の2次医療圏を統合してより広域の二次医療圏に設定しなおし、2次医療圏の数を思い切って減らして医師の再配置を進めてゆくしかないと思われる。

****** 北海道新聞、2006年5月31日

旭医大派遣の産婦人科医、室蘭・日鋼病院から引き揚げ 9月末 大学病院の医師足りず  

2006/05/31

 【室蘭】旭川医大が日鋼記念病院(室蘭)に派遣している産婦人科の常勤医を9月末ですべて引き揚げることが30日、分かった。卒後臨床研修に伴う大学病院の医師不足が理由とみられる。危険性の高い出産を担う道認定の「地域周産期母子医療センター」は西胆振地域で同病院のみで、撤退に伴い重症者は苫小牧や札幌方面への搬送が必要になる可能性が高く、妊婦への負担が増しそうだ。

 同病院によると、大学側から昨年10月ごろ、「2006年秋まで派遣を続けるが、それ以上は困難」と通告があった。4月に4人が2人に減員され、9月末までにさらに2人減員の見通し。同病院は医師確保を急いでいるが、「センター機能が事実上消滅する可能性が高い」という。

 同病院は道内に25カ所ある地域周産期母子医療センターの一つ。新生児集中治療管理室(NICU)を三床備え、超未熟児の受け入れが可能で、切迫性流産や重度の妊娠中毒症などの診療も行う。05年度は398件の出産のうち四割弱がこうした危険性の高い症例だった。

 室蘭市内には市立室蘭総合病院や新日鉄室蘭総合病院にも産婦人科があるが、常勤医一、二人でNICUもない。近隣でセンター機能を持つ医療機関は、車で約一時間の苫小牧にしかない。

 道は01年度から、地域周産期母子医療センターを認定してきた。道によると、センターに認定されながら医師派遣の打ち切りなどで機能を果たせなくなった病院は、ほかに道立紋別病院など三カ所あるという。道子ども未来推進局は「医師の集約化など再配置を進め、センター機能を維持したいが、これまでの体制を守るのは難しい」としている。

(北海道新聞、2006年5月31日)


神戸新聞:県内の産科、10年で3割減

2006年06月01日 | 地域周産期医療

****** 神戸新聞、2006年6月1日

県内の産科、10年で3割減

 兵庫県内で産科・産婦人科の診療科目を設ける病院数が、十年前に比べ三割減っていることが、三十一日までの県の調査で分かった。二〇〇四年に始まった臨床研修制度の影響で、大学が派遣先の病院から医師を引き揚げるケースが目立つ上、激務などで産科医の希望者自体が減っているためという。六-七月も三病院が相次いで産科の休診を予定。県などは対策を検討している。

 県によると、産科・産婦人科病院は一九九六年は九十七カ所だったが、今春の調査では六十九。この中にはお産を一時休止している病院も含まれ、実際に子どもを産める病院はさらに少ない。

 六月には市立加西病院(加西市)と高砂市民病院(高砂市)が産科休診を予定。七月は神鋼病院(神戸市)が予定する。いずれも神戸大が、派遣していた医師を引き揚げるあおりを受けた。

 県産科婦人科学会長を務める丸尾猛・神戸大大学院教授によると、医師引き揚げは、臨床研修制度の導入で、大学病院の医師不足が深刻になったためだ。同制度は免許取得後、病院で二年間の臨床研修を義務付け。以前は大学病院医局に集中していた若手医師が、都市の民間病院に流出した。

 加えて近年、産科医は医学生の間で人気が低い。医師総数が年々増える中、県内の産科・産婦人科医は九六年から5%減り、〇四年は四百七十人。丸尾教授は「昼夜を問わず過酷な労働が続き、訴訟を起こされることも多い」と背景を語る。

 福島県の病院で帝王切開を受けた女性が死亡した事故では今年二月、業務上過失致死容疑などで一人勤務の担当医が逮捕された。日本産科婦人科学会は四月、リスクの高いお産を扱う公立、公的病院は三人以上の産科医を常勤させるべき、と提言。今回休診する三病院はいずれも二人勤務で、丸尾教授は「休診の代わりに、近隣の拠点病院に医師を集約したい」とする。県も本年度、助産師約十人に研修し、医師不足を補う方針。さらに「産科医への給与引き上げのための方策も検討したい」としている。(浅野広明)

(神戸新聞、2006年6月1日)

****** 参考:

産婦人科常勤医、2年で8%(412人)減

長野県の分娩施設 5年間で20施設減少


毎日新聞:産科医療:「出産診療取りやめ」次々、地域の格差拡大 県、病院の連携検討へ/山梨

2006年06月01日 | 地域周産期医療

****** コメント

根本的には、産科医数を増やしていかない限りは決して解決できない問題である。若手医師が新規参入しやすいように、現在の産科医療全体のやり方を大きく変革してゆく必要がある。一地方に限った問題ではないので、国策として、産婦人科医の労働条件の改善(産科医療の集約化、報酬の差別化など)、医療訴訟への対応(無過失補償制度など)、女性医師のバックアップシステムの構築など、強力に推進していく必要があると思われる。

****** 毎日新聞 山梨、2006年6月1日

産科医療:「出産診療取りやめ」次々、地域の格差拡大 県、病院の連携検討へ /山梨

 出産できる医療機関のある市町村が減り、地域格差が拡大している。8月以降は、県内で出産できる病院や診療所は22から19に減少し、峡北、峡南、東部に加え峡西地域にも全くない状況になる。このため県は1日、甲府市内で県医師会や県産婦人科医会などによる協議会を開き、産科医療の拠点となる大型病院と出産できない診療所が連携するシステムの構築に向け協議し、地域格差の是正を目指す。
 県内では7月までに白根徳洲会(南アルプス市)、社会保険山梨(甲府市)、加納岩総合(山梨市)の3病院が出産の診療を取り止める予定。04年11月には大月市立中央病院が、05年4月には上野原市立病院も取り止めた。大学付属病院などから派遣されていた医師の引き上げや看護師不足が原因。
 分娩が可能な医療機関があるのは8月以降、▽甲府市(4病院6診療所)▽甲州、中央、都留、富士吉田市、富士河口湖町(各1病院)▽甲斐、笛吹、山梨市、昭和町(各1診療所)――の8市2町(9病院10診療所)に減る。
 県医務課によると、派遣医師の引き上げの背景には、「いつ出産するか分からない」などと常に緊張を強いられ、他の科に比べ医療事故による責任問題が起こりやすい産科医療の現状がある。出産時の安全性を確保するため、病院のスタッフを増やし、出産は複数の医師でカバーできる態勢を整えるため引き上げるとみられる。
 これにより出産可能な病院が近くにない地域が拡大し、妊娠後の健康診断時から長距離通院したり、万一に備え出産時の入院期間を長くとる女性も出ている。このため、県は現状を踏まえた上で、出産可能な施設が自宅付近にない住民もできるだけ良質な医療を受けられるよう、病院間の連携方法の確立を目指す。
 協議会で県は国の方針に基づき診療所が妊婦の診察を、病院が出産を受け持つ役割分担制度「セミオープンシステム」を提示する。その後、委員に県内の出産可能な医療機関の分布などの現状を把握してもらい、医療機関の連携方法などについて協議する。【宇都宮裕一】

(毎日新聞) - 6月1日13時4分更新