4CATS

この平穏退屈な日々にもそれなりに感動って在るもの。

ここ最近の雑感。久しぶりにゆっくりブログが書けたよろこび。

2022-03-26 10:29:51 | とりとめもない話
今年の2月からとうとう週5で働くことにした。

息子中1、娘小4で、有難いことに下校後、娘はすっ飛んで遊びに行くから、ママが毎日いなくて寂しいとも言わない。

一番気がかりだったのは、ボタンインコのNICOちゃん(通称にったん)のこと。
今まで週3で4時には帰ってこれてたから仕事のない月曜、火曜は彼と私は蜜月のように過ごしていたのだ。

毎朝、保育園の前を通って駅に向かう。
最近は在宅も多いから、そんな人はまあ、余裕を感じるけど、そうじゃない人はちょっとした闘いのような通園の日々なんだろうな、と。最近保育園に送るのはお父さんの割合のが高いのかもしれない。本当にそこんとこは、この10年で大きく変わった。3歳違いの息子と娘で言えば、息子の時は保護者会やPTAの係をお父さんが代わりにって人がまるでいなかったのに、娘の代は、色とりどり。

1ヶ月以上経って、あっという間に週5の生活にも慣れたけど、今まで捨て駒のようだった土日がとても大事になってくる。買い物もここで済ませておくのがベストだ。
子供たちも大きいので、食事の支度をするくらいで、後は何もないのだけど、帰ってきて、一息ついて、夕食作って、ピアノを練習して、お風呂に入ったら、あっという間に寝る時間なんだから、やっぱり保育園児のママたちには感服する。


中1、もうすぐ中2になる息子には精神的に手を焼いている。
思春期ってめんどくさい。正直言ってこっちが迷惑。
育て方を間違ったかなと本気で思ったりもする。
何度注意しても聞かない。
大人になって、やっと、そういえばあの時そんなこと言ってたなあと気づいてくれたりするのだろうか。

スマホ中毒、ゲーム中毒、制限を掻い潜る。

スマホを持たせるなら、息子の支払いは、コンビニ払いにしておくべきだったと思う。言うことを聞かなければ、支払いに行かなければ自然に止まるのだから。

言うことを聞いてくれるうちに受験させた方がよかったのかな、とも思う。でも、伸び伸びした子供時代を過ごさせたかったんだけど、伸び伸びというか、単にのんびりしすぎの小学生時代だったのか。

嫌なことはすぐ忘れる、引きづらない性格が長所だったけど、勉強面にもそれが生きてしまっていて、困っている。

などなど、書いたら正直悪口が止まらない。

中学生の息子を育てるって、本当ストレス。

それでも、生来おしゃべりな息子は、日々学校で起きたこと、思ったこと、友達のこと、勉強のこと色々話してくれる。気が向けばね。それはいつもとても楽しいし、驚かされる。でも普段は、部屋に篭る時間が圧倒的だ。

学校よりも、塾の先生にお世話になっている。私も勝手に心の拠り所にしている。
良い塾に入れて幸せ。

先日、中学女子のママたちから、こんな話を聞いた。
それは、中学女子たちが人前でマスクを外すことを異常に嫌がっているという話。
ここまでくると、まるで下着を脱ぐくらいの感覚になってるんだろうな、と思う。
マスク、大嫌いだったけど、マスクの与えてくれる安心感といったら・・・最近では計り知れない。可哀そうな子供たち。イキイキ笑顔の一番いい時をこんなマスクで覆い隠すのに慣れてしまっているなんて。

昨日、娘が先生が作ってくれたという生徒一人一人の顔写真をコラージュしてラミネート加工した大きな下敷きを嬉しそうにもらって帰ってきた。

それを見た私は思わず泣いてしまった。

だって、この2年間行事があっても半分覆い隠された顔の子供たちしか見れてなかったから、そのマスクを外して笑顔いっぱいで撮られた写真を見て、氷が溶けたように感じられたのだ。ママ、精神不安定なんじゃない〜と訝られながら、今ではすっかり慣れ親しんだコロナがもたらした長い2年間を呪った。

ドーピング問題で世界選手権への出場で揺れていたロシアが、まさかの戦争で出場出来なくなるなんて、世の中はどうなっていくんだろう。イタリアかぶれのプーチン大統領を暗殺する人は現れないのだろうか。Zマークって、まるで鉤十字みたいで本当にゾッとする。

冬晴れに安定していた天気も少しずつ崩れはじめて春の訪れを感じる。
満開の桜が今年も目に染みる。


「長いお別れ」〜ロンググッバイ〜を読んで・・

2022-03-24 21:20:22 | 私の読書日記
最近どハマりしている中島京子さんの「長いお別れ」を読んだ。
通勤時間を楽しみに変えてくれる作家さん。

物語は、認知症を発症した元中学校校長の昇平とその妻、3人の娘たちそれぞれの暮らし、共に歩んだ10年間(その間に3.11が挟まれる)が描かれている。
ともすれば、暗くなりがちな話なのに、根っから明るい妻陽子を軸にしんみりさせすぎることのない、当たり前の(実際壮絶とも言える日々だが)日常がそこには広がっている。

終わり方がまた秀逸で、作者の筆致の見事さに電車の中で涙を堪えるのに必死だった。

タイトルの長いお別れ、10年間の日々を想うとその通りだなあと思ってたんだけど、実際アメリカで、認知症のことを文字通り、ゆっくりお別れをするという意味で、ロンググッバイと呼ぶらしい。

映画化もされているみたいなので、いつか見てみたいな♡