学生時代の友達と4年ぶりに会った。これまた何年かぶりに降りた有楽町は朝から凄い人でびっくりさせられた。11時の開店前だったので、どの店の前にも長い列があるし、それ以外にも人、人、人。
日産裏のあずま通りを入った通りすぎてしまいそうな(実際通り過ぎた)味わい深い素敵な小道にあるジンホアという飲茶の店に行った。
4年ぶりに会っても彼女は時が止まったように26歳くらいにしか見えなかった。(実際は44歳)
その外見の可愛らしさとは裏腹に彼女の毒舌ぶりは以前にも増していて、まず彼女のお母さんが認知症を患っていて、日常生活、介護が大変なのだった。年はうちの母と同じく76歳で、何度かお会いしたことがあり、うちの母よりバリバリした(実際バリバリ働いてシングルで子供を中学から私立にやった)素敵なお母様だったし、母娘二人の生活だったので、これまたうちより全然密着した仲の良い母娘で、一番親に寄り付かなくなる20代の頃でも「ママと仕事の帰りに待ち合わせてね、」とか「ママとヘッドスパ行ってきて、」とかうちでは考えられない、濃い付き合いの元祖友達母娘の二人だった。
今、彼女はそのママに老人ホームに入ってほしいと思っているのだが、断固拒まれている。通りを挟んだ目の前のマンションに住んでいて、日中はヘルパーさんが来てくれているが、ヘルパーさんへの好き嫌いも含め、その采配に明け暮れているようだ。
私には計り知れないものがあるので、軽々しく口を挟むことなど出来もしないが、いつ死んでもいいと思ってる、にはさすがに閉口してしまった。だって、他の誰よりも仲良し母娘だったことを知っていたから・・
彼女には中学2年になる優秀な娘がいて、週に1回土曜日におばあちゃんのところに会いに行かせるのはヤングケアラーなんじゃないか、と。そんな目に合わせたくないという。
やっぱり、ある日突然ポックリと逝ってしまうことは実は相当の子供孝行なのだろうか。
彼女の辛辣さは続いて、3人子供のいる人で自分の知り合いにまともな人はいない、という持論が展開され、一人っ子、一人娘の彼女には3人以上はぽんぽん無計画に産んでいるだけと考えられるらしいのだ。3人いたら、愛情も3分の1になって目が行き届かず、子供がしたいこともさせてあげられないかもしれない(金銭的にも時間の都合的にも)というのが彼女の持論。私はむしろ3分の1というよりも、幸せも苦労も3倍になると思っている。もちろん、そこには持って生まれたものや相性、一概には計れない、十人十色の世界なのだから。
場所を変えて、コーヒーを飲んでいる間も延々話は続き、私は不寛容という言葉が頭をぐるぐるした。寛容でありたいと思った。そして、休日にランチをするならば、出来たら、重い話でも暗い話でもいい、寛容に愛を持って話せる相手ならば。