夏頃、太宰治の映画を見て、娘の太田治子さんの「明るい方へ」を読み、次には「斜陽」の元になったという太田さんのお母さんの日記「斜陽日記」を読んだ。これは太宰に勧められて書かれたものだが、とても面白かった。他人の日記なので余計に面白く、さらにこの方、文章もとても上手だと思う。この方の、人となりも面白ければ、終戦間際の様子も、とても興味深かった。何より、この斜陽族(落ちぶれた没落階級)である著者は、なんと玉音放送の3日前くらいに終戦になるという情報が伝えられていたという事実にびっくり。軍部でもないのに、知っている人はあの状況下で、3日も前に知っていたんだと思った。直後に、戦地に赴くからとわざわざ挨拶に来た人がいたんだから皮肉なものだ。
そして、この「斜陽日記」を読んだ後に、太宰治の「斜陽」をおそらく30年ぶりくらいに読んでみたら、すごく面白かった記憶があったというのに、もうこれは、盗作以外の何物でもないではないかとただただ唖然とさせられた。
書けと勧めて、その日記を何とか手に入れて、それをまんまと自分のものにして出版したなんて信じられないことだ。通りで、あんな文章が書けたものだと今思えば納得する。「斜陽」のお母様は、「斜陽日記」の太田静子さんの母太田キサさんなくしては、描けなかったものだ。
エピソードもあまりにしっかりパクってあって、あとほんのちょっと脚色してあるので、法螺吹きが書いたような話だなあとしみじみ思ったら、抱き合わせに収録された「パンドラの匣」という小説も何だか全然頭に入ってこなくなった。
興味ある人は、ぜひこの2冊を読み比べてほしい。