五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

憧れ

2007年09月11日 | 第3章 無意識の世界
何を求めて生きるか。

何を大切にして生きるか。

生を受けた瞬間から現在に至るまでの経験が、自分の体内の無意識から意識へと変換された瞬間を感じ取った三日間を体験しました。

それは夏の始まりに、ある観想修道会の儀式に招待を受けたことから始まったように思います。

生涯、その聖堂に足を踏み入れることは出来ないだろう、という思いと同時に、きっとその機会は訪れるだろう、という確信に満ちた期待が自分のイメージの中に共存しながら、ずっとずっと待ち続けていました。
35年前にその修道会で求めた十字架は、誰にも祝別されることなく、ずっと私の懐にしまわれていました。

(子供心にその十字架に惹かれ求めた話は以前、ブログに書きました。)

幼い頃に、祖父のアトリエで感じ取った「柱のようなもの」。神社の銀杏の木の下に佇み、機織り工場の音が響く中、そこから見えてきた「何か尊いもの」。
どれもこれも、私が生きるために必要なツールでした。

聖堂に座り、船越桂氏の作品、サルベの聖母像を見上げました。
その作品に出会うことは、私の「憧れ」。

1977年につくられた聖母。
船越桂氏も、まだまだお若い時でありましょう。
若さであるからこそ、表現し得たもの。
その聖母から、母性というよりも、処女性の強さを感じました。
若葉の香りというか、カモミールの香り、と表現するのが相応しいかもしれません。

青々しい香りの聖母が、イエスを抱き、音無く姿を顕わすのです。
とても静かです。

「自分の尊い命を 生涯その修道会に捧げる儀式」

戒律の生活。確かに厳しいでしょう。
私自身、式に臨むまで、かなりの緊張感がありました。
ところが、そこから見えてきたものは、生身の人間が醸し出す、「愛」そのものでした。
柱に殉じ、祈り、働き、学び、日々を繰り返すことは、自己の内を広げるための大きな役割を果たし、きっと修道者の方々の喜怒哀楽の豊かさは、多分私の想像を超えるものではないでしょうか。

・・・内なる内は外である・・・

内なるもの、本当に求めたいもの、本当に大切にしたいもの、それらを見据えると宇宙のように広がる外へと開放されていくのを感じます。

それは、言葉で表すならば、「愛」の一言かもしれません。
それ以外、思い浮かびません。

そして、ありがたいことに、35年前に求めた十字架は、ついに祝福を受けることとなりました。

人生における体験や解釈、そして想いの「パズル」が綺麗に繋がり納まる出来事は、やはり、憧れ、求め、大切に思い続けると、叶うようになっているのかもしれません。
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コメント (1)
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