あなたの信じて見えてくるものの「信じているもの」って何?
そして「見えてくるものは?」
私たちのカウンセリングの学びの中で、頻繁に問われる事柄です。
私の場合、実際に見えているものや人の言動には、深い深い背景があるものだ、、、ということに気づいたのは5歳くらいの時だと記憶しています。
「他人は自分の心の内とは違う解釈をする」ということです。
祖父のアトリエ。大きなキャンバスに描かれた絵には、私が見えない世界が描かれていました。「祖父には、この世界が観えているんだ・・・」「私には何が観えるんだろう?」そんなことを思いながら、祖父の横に座る自分がいました。
東京と高知と福井、生活文化の違う場所を知ることで、自分は変わらないのに私に対する人の解釈や表現が違うということも同時に体得していきました。
そのようなことを思い出すと人生の転機であり、第一段階の意識できる自我の目覚めは、やっぱり5歳です。
「他人と自分は違う」
でも、それで、人間不信になったということではありません。言葉遣いや解釈、表現が違っても、人に備わる「愛」は、みんな同じだ、ということをそのような体験で知覚したようです。
だから、自己概念に振り回されて、自分を取り巻く親しい人たちを、「嫌い」になる人は損だなぁと思います。
表面上の言葉とかちょっとし解釈で憤慨することに固執するよりも、相手の背景をもっと見据える努力をすることは、やわらかく生きていくために結構必要な手段のように思います。
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そして「見えてくるものは?」
私たちのカウンセリングの学びの中で、頻繁に問われる事柄です。
私の場合、実際に見えているものや人の言動には、深い深い背景があるものだ、、、ということに気づいたのは5歳くらいの時だと記憶しています。
「他人は自分の心の内とは違う解釈をする」ということです。
祖父のアトリエ。大きなキャンバスに描かれた絵には、私が見えない世界が描かれていました。「祖父には、この世界が観えているんだ・・・」「私には何が観えるんだろう?」そんなことを思いながら、祖父の横に座る自分がいました。
東京と高知と福井、生活文化の違う場所を知ることで、自分は変わらないのに私に対する人の解釈や表現が違うということも同時に体得していきました。
そのようなことを思い出すと人生の転機であり、第一段階の意識できる自我の目覚めは、やっぱり5歳です。
「他人と自分は違う」
でも、それで、人間不信になったということではありません。言葉遣いや解釈、表現が違っても、人に備わる「愛」は、みんな同じだ、ということをそのような体験で知覚したようです。
だから、自己概念に振り回されて、自分を取り巻く親しい人たちを、「嫌い」になる人は損だなぁと思います。
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