五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

国宝展徒然

2014年11月24日 | 第2章 五感と体感
東京国立博物館、通称トーハクに行ってきました。
並ぶこと覚悟でしたが、閉館一時間半前ともなると入場規制も甘くなり、40分待ちと書かれてあるプラカードの地点から20分待ちで入ることが出来ました。
並ぶ人々の会話を何気なく愉しみ、建物の間から見ることのできる東京スカイツリーを眺め、多分今年最後であろうトーハク詣でを心に留めているうちにあっという間に入館。

私自身、半世紀かけて各地で見てきたものがどのくらいあるかを意識してみることも今回の混雑覚悟の拝観の目的の一つでした。
私の歴史の学びは小学生の歴史の授業で空海と出会った頃からが始まりです。以来、形にした信仰を見る旅を続けてきました。
ここ10年ぐらいは、縄文の時代に想いを馳せつつ、4世紀から7世紀の古墳の前に立つことも旅の喜びとなり、美術館や寺院のみならず、土地そのものに立つことに重きを置いて歩く様になりました。

わざわざ、各地に出向いて観たつもりでいても、「あれ?これ観たっけ。。。」と思う事は頻繁ですし。。。

凡人の自分が記憶に留めることは難しいものです。

福岡の宗像大社も想いを籠めて現地で拝見したものの、「ほぉ~~」ってな具合です(笑)
京都の〇〇院では、修業中のお坊さんが面倒くさそうにご朱印を書いている姿に思わずお説教したくなる気持を抑えて小さなお堂に納められている阿弥陀如来と菩薩の姿を拝見したことも楽しく思い出されました。

宇治の平等院では、本堂改修中に展示室で拝観した雲中供養菩薩のあまりの美しさに、私が天に逝くときにこの方々に雲に乗って出迎えてほしいと本気で思い、以後、私の想う天国の入口には雲中供養菩薩がしっかりと漂っています。

国宝展で初めて習合した四体の土偶は、閉館寸前の空いた部屋で舐めるように拝見し、幸運なことに金印は、閉館後にも並んで見ることができるというので、並びながら悠々と日本書紀の写しや雪舟の山水画を眺め、有意義な国宝展拝観を果たすことができました。

奈良桜井市の安陪文殊院は、未だ訪れたことが無く、これは実際に行かねば、と、私の「行かねばリスト」に加わりました。
善財童子の躍動感に胸がときめき、思わず一緒に手を合わせ、次回は奈良で会いましょう、と、童子さんと約束致しました。

私の「カタチにした信仰に出合う旅」は、まだまだ続きそうです。

支倉常長の肖像画は、幾度か拝見する機会がありましたが、彼の持つ十字架(キリストの磔刑)は、初めて拝見しました。十字架から外されて別々に展示されていましたが、常長が常に握っていたであろう形跡がキリストの滑らかさから伝わり、信ずることで見えてくるものは、人によって媒体が違えども同じであることを改めて深く感じ取り、清々しい思いで国宝展を見終えたのでありました。

ひさしぶりに、大倉集古館にも訪れたくなりました。丁度、ホテルオークラ東京では昭和のケーキを再現した企画をしているそうです。久しぶりに激甘のケーキでお茶をしたくなっています。

日本では勤労感謝、キリスト教の国では感謝祭の祭日の連休は本日までですね。
秋の実りに感謝して、冬至に向かう待降節を心して過ごしたいものです。

合掌

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