紫式部とは、どんな人だったのだろう・・・?
源氏物語を読むにつれ、そんな想いがふつふつと湧き上がってきます。
こんなに自由奔放に登場人物の喜怒哀楽を表現できるなんて、紫式部はきっと心のバランスのとれた大物だったのでは?と勝手に推測しています。
書き手の心の防衛機制がどこか偏ったところがあれば、登場人物にあれだけのバラバラな個性の美を持たせるのは難しいはずです。
光源氏に、無尽蔵と思わせるくらいの財力を持たせ、心の内に「愛の孤独感」を秘めさせ、なんて非常な行動をするのだろうと読み手がハラハラしたと思いきや、愛した女性の面倒はきちんと責任を持ったりして・・・。
仕事も政治も外交も、祀りごとにも采配を振い、なんというか「出来る男」は古も変わらず・・・。
光源氏の持つ、感情の曼陀羅は、ユングにも繋がるし、チベット仏教の「死者の書」の中にある「80の自性の分別」にも繋がるところがあります。
ギリシャ神話の神のような大胆で、理不尽な自由奔放さではなく、陰と陽がこめられた、二元的な感情が魅力的に描かれているのです。
登場人物のそれぞれの感情の曼陀羅も同じく。
そんなわけで、源氏物語は、日本人の持つ、アイデンティティのふるさとのような
気がしてなりません。
紫式部の描く女性は、どの人も最後は自分で立って自己実現を成し遂げます。
光源氏が、どう望もうと、女性は自分の意思を貫き通していきます。
そこに紫式部の心の柱を読み取ることができると私は感じます。
いつの世も、人の自由意思の尊厳を怠るようなことがあれば、国は滅びていきます。国だけではなく、その場所から宿った歴史も文化も神話も消えてしまうように思います。
深層心理の中で恨みつらみで死んでいく六条の御息所は、心の自由を信じない自己概念の固さから、怨霊となって彷徨います。
源氏物語は「感情の宝庫」。
気長に読みながら生涯楽しめそうな物語に出会い、今更ながら古典を愉しむ入口に立てたような喜びを感じています。
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源氏物語を読むにつれ、そんな想いがふつふつと湧き上がってきます。
こんなに自由奔放に登場人物の喜怒哀楽を表現できるなんて、紫式部はきっと心のバランスのとれた大物だったのでは?と勝手に推測しています。
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光源氏に、無尽蔵と思わせるくらいの財力を持たせ、心の内に「愛の孤独感」を秘めさせ、なんて非常な行動をするのだろうと読み手がハラハラしたと思いきや、愛した女性の面倒はきちんと責任を持ったりして・・・。
仕事も政治も外交も、祀りごとにも采配を振い、なんというか「出来る男」は古も変わらず・・・。
光源氏の持つ、感情の曼陀羅は、ユングにも繋がるし、チベット仏教の「死者の書」の中にある「80の自性の分別」にも繋がるところがあります。
ギリシャ神話の神のような大胆で、理不尽な自由奔放さではなく、陰と陽がこめられた、二元的な感情が魅力的に描かれているのです。
登場人物のそれぞれの感情の曼陀羅も同じく。
そんなわけで、源氏物語は、日本人の持つ、アイデンティティのふるさとのような
気がしてなりません。
紫式部の描く女性は、どの人も最後は自分で立って自己実現を成し遂げます。
光源氏が、どう望もうと、女性は自分の意思を貫き通していきます。
そこに紫式部の心の柱を読み取ることができると私は感じます。
いつの世も、人の自由意思の尊厳を怠るようなことがあれば、国は滅びていきます。国だけではなく、その場所から宿った歴史も文化も神話も消えてしまうように思います。
深層心理の中で恨みつらみで死んでいく六条の御息所は、心の自由を信じない自己概念の固さから、怨霊となって彷徨います。
源氏物語は「感情の宝庫」。
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河合隼雄さんの<源氏物語と日本人:紫マンダラ:講談社>と<散華:紫式部の生涯:杉本苑子:中央文庫>をお読みになり、さらに素敵な文章を書いてくださいませ。