五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

死んじゃダメ「リストカット」に気付いたら

2011年09月13日 | 第2章 五感と体感
駅の売店で売られている新聞の一面に書いてあったことが気になりながら昨日は学校の保護者勉強会に臨みました。

やはり、言うべきことは言わないと悔いが残るので、ここで書いておきます。

もし、自分の子供がリストカットしていることに気付いたら、見て見ぬふりをせず、腕を掴んで、子供の目をきちんとみつめて、やってはならないことを毅然と伝えてください。

「なんでそんなことをしたの?」という問い掛けではなく、「そんなことをしたら死んでしまう」ことをお母さんの言葉で訴え、その言葉から湧き出してくるお子さんの言葉(反応)に、否定も肯定もせず、最後まで聞いていただくことを望みます。

芸能人の行動による影響&連鎖が気になるところです。

もし、お母さんがお子さんのことで何らかの不安をお持ちでしたら、お母さんの言葉で自ら心配していることをお子さんに伝え、本人の意思を確認するのも良いかもしれません。

我が子が自分の身体に傷をつけたりすれば、特に母親は自分を全否定されたような気持になるのは当然のことと思います。
親が錯乱のあまり、子供に対し、逆ギレしてしまったら元も子もありません。
深呼吸し一歩間を置き、我が子を守るのも母親であることを忘れないでいただきたい、と切に願います。

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中秋の名月

2011年09月12日 | 第2章 五感と体感
本日は中秋の名月、今年は6年ぶりに満月だそうです。

ここ一週間の天気予報は、お天気が良いようです。

夜は月を眺め、虫の音を聴き、秋の夜風をそよそよと感じたいものです。

自己の体感を解釈するには、少々の文学的知識があると、解釈したものを言語表現するための表現力が豊かになるやもしれません。

日本も古来からの戦いの歴史を知れば知るほど、「私達の祖先はよく生き抜いてきたことよ・・・」と思います。

今年の中秋の名月は、どのような思いで月を愛でるのでしょう。

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解ってもらえない

2011年09月11日 | 第2章 五感と体感
「食べたくない」「死にたい」

毎日、そのような訴えを聞きながら、親の介護をしている人は、自分が精いっぱいやっているのに、なんでそんなことばかり口にするのか、ほとほと疲れ果てていらっしゃる方も多いと思います。

食べたくない…
死にたい…

甘えることのできる家族に伝達する「発する言葉の背景」とは一体何なのでしょう?

感情の言語化を平素している人でしたら、そういった言葉を発する前に、きっと違う言葉が発せられ、ひょっとしたら大事な家族に「死にたい」等と云う言葉を発しはしないかもしれません。

本当に言いたい事を我慢しているから、そのような言葉しか発することができない、という考え方もあるでしょうし、
自らが持つボキャブラリーの少なさ故、そのような言葉しか思いつかないのかもしれません。

ボキャブラリーが少ない。。。つまり、自分の発する言葉を意識してみると、案外同じような言葉だけを繰り返して使っているに過ぎない自分に気付いたりします。

親といえども、他者のことは解らないので、まず自分の中にある「解ってもらえない」「解ってほしい」モヤモヤした感情を、平素、どのように表現しているのか、意識化してみると良いかもしれません。

感情を言語化してくには、訓練が必要です。

どちらにしても、心の奥底の不安な感情を解ってもらえたら、毎日同じ言葉を繰り返すことが減っていくようです。

自己受容と他者受容は、マニュアル通りに上手にいきません。
自分の感情をお口に出してみると、自分の考え方(思考)の傾向が見え、それによって成される行動も、自分自身で意識化しやすくなるように思います。相手に解ってもらおうとする前に、自分自身が自分のことを解ってあげているかのほうが始めにやるべきことかもしれません。

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腫れものに触り合う

2011年09月10日 | 第2章 五感と体感
台風の襲来から始まった二学期ですが、ようやく落ち着いた週末を過ごすことができそうです。

2学期になると、夏休みまでに解決できなかった何らかの事を自分自身で持ち切れなくなってカウンセリングルームの予約を取られる方がボチボチ多くなってくるのではないでしょうか?

例えば、お子さんが学校に行きたくない、又は行くことができないという場合、
学校に行きたくない本人よりも、まずはお母様がいらしてくださると、とてもありがたく思います。

子供の言い分

母親の言い分

親子であっても、それぞれ見え方、感じ方は違いますが、問題意識を持った方がいらしていただくのが一番良いのです。

お母様が何らかの努力をし、自己のストレスと向き合うことを意識し出すと、家族はそれを何となく察知するようです。

すると、今までの腫れものに触り合うような関係が、少しずつ互いの真実へと接近してくるかもしれません。

「腫れもの」とは、上手な表現だと、いつも思います。
防衛機制がパンパンに張りめぐらされ、今にもはち切れんばかりの危うさとは、一体何なのでしょう…

それを知っているのは、自分自身です。自分の中に答えがあるからこそ、パンパンに張りめぐらすことができるのですから…

来週12日は保護者勉強会です。皆様にお会いするのを心待ちにしています。夏休みのあれこれをお聞きするのを楽しみにしています^^

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心のともしび

2011年09月09日 | 第2章 五感と体感
ラジオのニッポン放送で毎日早朝に放送されている「心のともしび」という番組があります。

「暗いと不平を云う前に進んであかりをつけましょう」(中国の故事だそうです)

というキャッチフレーズが流れ、毎回、色々な分野の方々が原稿を書き、それを俳優が朗読します。

戦後4年目の1949年にアメリカからやってきたハイヤット神父さんが始めた「心のともしび運動」は、現在、ラジオだけでなく、テレビでも放映され、定期的に小冊子を作り、日本全国の団体、個人の会員に配り、活動が続けられています。

ラジオをつけっぱなしで寝ていると、5時過ぎにキャッチフレーズとテーマ音楽で起されたことが度々あったことを思い出します。この番組を意識していなかった中学、高校の頃が何故か懐かしく思い出されるのです。

その心のともしび運動のハイヤット神父さんは2年前に亡くなり、今はハイヤット神父さんを東京オリンピックの年から支え続けられたマクドナルド神父さんがこの活動を支えていらっしゃいます。

毎日続けること60年。今年は、その「心のともしび」の60周年です。

マクドナルド神父さんは、背の高い大柄な方です。まっすぐな温かい眼差しで、相手が発する言葉を丁寧に聴かれ、そこから湧き出す自分の興味を素直に問いかけてこられます。楽しい話題になると身を乗り出して、相手の目の中に飛び込んでくるくらい、しっかりと相手を知ろうとします。それが、なんとも楽しく、話してい側は、まるで揺りかごに揺られているような心地よさを感じるのです。

心のともしびは京都に本部があります。1964年といえば、新幹線が開通した年でもあります。
開通したばかりの新幹線で両親の実家のある東京と転勤先の福井に行くために乗り換える米原を往復していた私はその頃はまだ幼稚園生でした。

「神父さんが、続けられてきた期間、私はこんなに成長しましたよ。」と私が言うと、「おやおや!」と微笑まれ、言っている私の方が感慨深くなりました。

嬉しい出会いに、心もワクワク。
私も今の自分の役割を粛々と続けていこうと、改めて元気を頂きました。ハイアット神父さんにお会いする機会はありませんでしたが、お二人はほんとうにベターハーフだと、しみじみ思い家路に着きました。
ありがとうございました。

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とにかく続けること

2011年09月08日 | 第2章 五感と体感
昨日は、朝から色々な仕事と用事があり、都内を歩き回りました。

一人の人間ができることには限界があります。大きなことを成し遂げる人もいらっしゃいますが、目の前のことをやり続けているから故成し得る結果だと思います。

自分の役割をひたすら続けていると、添い続けてくれる人もいれば、反発して離れていく人もいれば、気にしながらも遠巻きで眺めている人もいます。

私自身、大きな変化を求めるような生活を望んでいません。ただ、与えられた自分の役割を止めることなく、淡々と続けているつもりでいます。
そうすると、周りの一喜一憂が具体的に見えてきたり、風当たりが強くなったり、共感してくださったり、助けてくださったりする人が現れるわけです。

一昨日、自分の傾向について、考えるセッションがありました。

父の転勤で、住まいの場所が変わるたびに、多様な人と出会い、自分は自分であるという意識が育てられたのは確かなようです。この考え方が閃いたのは小学生の頃だったと記憶しています。

自分が多様な文化を経験しても、私は変わらず私なのです。

自分自身の個性を自らどうしようとしても、どうにもならないこともままあります。

私と付き合う方々は、私という人間を見続けているわけです。私と関わる相手を私が見続けていることと同じです。

ひたすら自分の役割を続けていくと、よき繋がりとよき出会いに恵まれてくるのは、ほんとうのことだと思います。

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生きるための神話

2011年09月07日 | 第2章 五感と体感
東日本大震災から半年が経とうとしています。原発の問題に関しては、私自身の問題として何を選択し何をすべきかは、経過を窺いながらという状況です。

そんな中、地震と津波の被害に遭われた地域の方々の復興へのニュースが私の目と耳に入ってきます。

身体一つで生き延びて、ようやく仕事の目処が立ってきた方々の姿を拝見し、生きることの意味を学ばせて頂いている自分が居ます。

今回の台風12号では、甚大な被害が発生し、日本が山と海の国であることを強く意識させられました。

自分が住まう土地で生きるために、どんな条件が必要なのか、色々な技術が発達し、安心して生活できるために工夫を重ねてきましたが、予想をはるかに超えた自然の猛威に打つ手はありませんでした。

山の民、海の民が、長い歴史の中で語り継いできたことは、神話となり、人々が生き伸びていくための大切なマニュアルとなっていきます。
「神話を大切にしない民族」について、以前学んだことをふと思い出しています。

神話を持たない民族は滅びる、と教えられた時、どんな意味が含まれているのか、随分考えました。

生きている地球の表層に暮らす私達人間は、宇宙から見たら目に見えない小さな生き物にしか過ぎません。

経験したことを学び、それを後世に伝えることは、今を生きている私達の役割でもありましょう。

岡本太郎の「明日の神話」は、ピカソの「ゲルニカ」同様、後世に伝えるためのモニュメントなのです。そのような視点で考えると、映画「2001年宇宙の旅」、「AI」、「猿の惑星」等は、後世に残すための神話となり得るかもしれません。

古文書から紐解く知恵と後世に残す知恵は、人が生き延びるためのマニュアルとなります。

先祖の知恵。後世への知恵。

役割を繋いでいくのは、今を生きている私達自身…

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何事もまず10年

2011年09月05日 | 第2章 五感と体感
東京表具経師内装文化協会主催の作品展を見てきました。

ここ数カ月間、扁額を作っていたこともあり、襖や屏風の技術が気になり、色々な作品を細々と拝見させていただきました。
もちろん、お馴染み、表装も一作入魂の素晴らしい掛け軸をたくさん拝見することができ、多方面にわたり、勉強させていただきました。

仕事の丁寧さは必須の条件でありましょうが、一作に対する思い入れは様々です。

ここまでするか、というくらい細かい作業を経て仕上がっている軸を感心しながら拝見し、私は、まだここまでの執着で作っていないことを自覚しました。

子育てしながらボチボチと表装を習い始めて10年くらいで、ようやく「何が解らないか」が言語化できるようになり、そこからまた更に時が断ち、そろそろ折り返し地点が近づきだし、ようやく他者の作品を見て、自分に取り入れたいという情動が湧いてきたような気持が湧いています。あまりにものんびりした話ですが、私にとって順当なペースかな、とも思います。

先日、ヴァイオリニストの古澤巌さんが「ようやくヴァイオリンの持ち方がわかったよ…」とおっしゃられたという話を聞きました。天才的なヴァイオリニストがそんなことを云うなんて、と思う人もいるかもしれませんが、何かわかるような気がします。

職人の世界は特に、師匠は教えてはくれません。弟子は師匠の姿を見ながら体得していきます。姿を真似ていくうちに、何が自分が解らないかが見えてきます。それが見えてきた時に、ようやく師匠に具体的な質問ができるのです。

あまりにものんびりした話ですが、私はようやくそれができるようになってきたように思います。

10年どころの話ではありません。そろそろ二回目の折り返し地点が見えています。

じっくりと師匠に付き、10年続けることができたら、たぶん自分の身体が続く限り、やっていくものかもしれない、と思えるように思います。そこから先は自分次第です。

素晴らしい技術の作品を拝見し、取り入れていきたいアイディアにも沢山出合い、とっても充実した時を過ごさせていただきました。

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高知と台風

2011年09月03日 | 悔いのない人生とは?
昨日は、台風のニュースの中で何度も私が5歳まで住んでいた奈半利町が映し出されていました。

昨年45年ぶりに訪れた町は、私が過ごしていた5歳までの記憶を蘇らす建物や風景が未だ残っていました。
私が強く印象に残っているのは台風の準備です。父の会社の関係者の方々が、長屋の社宅の雨戸を打ちつけに来てくださり、台風が通過している間は、母が作ったおにぎりが食卓に置かれ、必ず停電になるので、ロウソクが立てられます。

父が仕事で関わっていた山奥のダム周辺の村や町も台風の被害を受けているようです。

異常事態であっても、怖いという感情はありませんでした。むしろ、普段は居ない大人の男衆が、ワイワイやってきて作業ししている姿を眺め、いつもは忙しい母も腹を括って大人しく食卓の前でじっとしているので、いつもよりも自分が大事にされているような気持が湧いてきて安心感が湧き出していたようです。

荒れた海は怖いです。でも、嵐が過ぎた海は、濁り、うねりながらもいつもの深く青黒い海へと徐々に戻っていきます。
凪を待つまで、人の力ではどうしようもありません。ただ、ただ、海を眺めるばかりです。

空海が若かりし頃、暁の星が口に飛び込んできたのは室戸岬の洞穴での修業中の出来事です。
太平洋の海原の先にはほんとうに海と空しか無いと思わせるのが高知の海です。
空と海しか見えてこない風景は、私の心の原風景の一つと言うことができます。

天気図を見ながら、豪快な海原と水の豊かな山に育つ木々、そしてそのような環境の中で暮らす人々を昨年の旅と重ねながら、体感と共に思い出しています。

豪快な気候と自然は、やっぱり豪快な人を育てるのかもしれません。
坂本龍馬に中岡慎太郎、それと岩崎弥太郎…

政治に豪快さを必要としなくなった昨今、静かな水辺でドジョウの生活を維持できるのはいつまでかな(^^;)、とも思ったり・・・

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東急セミナーBE雪谷教室:「生き甲斐のための心理学講座」
10月21日、11月18日、12月16日計3回(いずれも金曜日)13:30~15:30

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夏休み明けの嵐

2011年09月02日 | 第2章 五感と体感
偏西風が日本よりも北にあるため、台風さんは、のんびりと自分のペースで進行中です。

私が関わる学校は、只今警報か出ている区域に掛かっているので、本日も休校です。

朝にテレビをつける習慣は無いのですが、さすがに天気図が気になり、天気予報で警報を確認。そんなわけで、今日は一日家にいることになりそうです。

きっと生徒さんたちは、二日続けて^^//ラッキー!!と叫び、お母様方は、ええぇ~~××;、と、ようやく家族から解放され息抜きができることを楽しみにしていたのに・・・、とがっくりされていることでしょう。

こんな日は、へたに動かず、やり残したものを片付ける日にしたほうが良さそうです。

来週末に発送を予定していた通信講座生の会報は、ちょっと早めに送ることができそうですし、10月発行するNPO法人キュールの会報内容も練ることができそうです。

来週から一気に始まる各講座の準備も、8月中のイベントと作品制作に押されて、なんとなく中途半端でしたので、ここでしっかり地固めしたいところです。

来週火曜日9月6日は、鎌倉腰越の勉強会です。二カ月ぶりにお会いする皆様と夏のあれこれを語り合いながら学習し、深まる秋を充実したものにしていきたいものです。

… … …

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発する言葉と遠い過去

2011年09月01日 | 第2章 五感と体感
カウンセリングの理論の学びと同時に何故、歴史や、現世人類の誕生と移動、民俗学、宗教を学ぶのでしょう。

「私」と「あなた」という関係は、深い深い人類の歴史が裏打ちされた上で成り立っています。

私が発する言葉、そして考え方は、どこから湧き出してくるのでしょう?
もちろん、自己の成育史は、それを紐解くのに無くてなならない情報です。
でも、それだけではありません。
私達は、父と母から生まれ、その父と母も、それぞれの父と母から生まれています。それを考えると、「私」は、多数の人間のDNAによって存在していることに気付かされます。
そのことを思うと、人はどのように生まれ、どのように移動し、どのようなコミュニティ及び環境からどういった事を学習し、どのような思考と感情が湧き出し行動しているか、私自身興味が無尽蔵に湧いてくるのです。

私自身、西洋で生まれた心理学という学問の背景を学ぶため、ギリシャ神話やケルト民族、そしてキリスト教以前の宗教から現代の流れを学んできました。そして、日本人である自己の背景を学ぶために歴史、文学、民俗、古層を探る宗教から現代のもの等を、興味の流れに添いながら毎年テーマを決めて学ぶ努力をしています。でも、知ることによって、どんどん次への興味が湧いてきます。

一人の人間の発する言葉の背景には、膨大な過去の歴史があるわけです。

自分自身が発する言葉と出会った人の言葉=言霊を大切にしていきたいという思いが湧かなくては、この学びは難しいかもしれません。

何故、自分にこんな感情が湧いてくるのか?

何故、自分はこんな考え方をするのか?

何故、自分はこんな行動をするのか?

生まれてから今日までの自己の成育史は、これらの問いの答えを出すための大切な材料です。しかし、それだけではないことも意識のどこかに置いておくと、いつまでたっても親のせいにしている自分が小さく見えてくるかもしれません。

「知」は、自己を柔軟にしていくはずです。

そろそろ、シュメールを真面目に学ぶ時期に入ってきたようです。一見メビウスの輪のようですが、螺旋状のように上には昇っているのは確かなようです。私にとって学びの喜びとは、そういことを体感する事かもしれません。
あと数年したら、学び始めた頃の振り出しに多少の厚みを付けて戻る予感がしています。

… … …

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