五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

向き合い方

2014年11月06日 | 第2章 五感と体感
自分が携え続けている問題といつ向き合うか?

否が応でも向き合わざる得ない時もありましょう。

向き合う事に触れない人生を送ることもありましょう。

真正面に向き合いながらも、それに対する解釈が明るい人もいれば、暗い人もいらっしゃることでしょう。

最近、正直に向き合うことと素直に向き合う事の違いのニュアンスを何となく考えることが多いのです。

「正直過ぎて損をしている」という言葉は使われますが、「素直すぎて損をしている」という言葉はあまり使われないように思います。

「正直」は、ダイレクトであり、直球であるように思いますが、「素直」は、穏やかな肯定感を感じソフトなイメージを持ちます。

確かに私も「あなたは素直な人」と云われると嬉しい気持が湧きますが、「あなたは正直な人」だ、と言われると、何となく受け容れがたい感情が湧きます。

向き合うものに正直か?

向き合うものに素直か?

理屈で考えるのは難しいかもしれませんが、素直を前提とした正直でありたいものだ、と、高い高い秋の空を眺めながらそんなことを思ったのでありました。


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鎌倉の海

2014年11月05日 | 第2章 五感と体感
昨日は、鎌倉腰越の勉強会。秋晴れが爽やかで、江ノ電は愉しげな観光客でいっぱい。
いきつけの和食屋さんも連休中はたいへん繁盛したようで、お店の眼の前を走る江ノ電も重そうに走っていたそうです。

シーズンオフの平日は長閑な漁港の雰囲気が漂う腰越も紅葉狩りには少し早いけれど、秋の風情を存分に味わいました。

勉強会が終わるのは16時。まだ日が暮れるには時間があったので久しぶりに由比ヶ浜を歩こうということとなり、夕餉の支度をする匂いを嗅ぎながら住宅地を歩き、稲村ケ崎の向こうに沈む太陽の鮮やかな橙色に皆と感動し、砂浜の散歩を嫌がる柴犬と飼い主の様子を楽しみ、鎌倉散策を終える頃にはどっぷりと日が暮れていました。

頼朝が活躍し出した頃から北条家滅亡まで遡ると、由比ヶ浜は一気に悲しげになり、歴史を学び始めた小学生の頃から由比ヶ浜は、血の香りが漂うイメージがあり、由比ヶ浜に行くなら葉山か稲村ケ崎より西側と決めていたことをふと思い出しました、。鎌倉の海は嫌いな風景ではありませんが、一方で、そのような気持と重ね合わせながら観てきたのです。

ここ10年、腰越に縁があり、義経が頼朝から足止めを食らい、腰越状をしたためた万福寺あたりから見る海の風景に、何か癒されるものを感じています。
頼朝よりも義経に感情移入したい自分の願望が叶う場所でもあるのです。

自分の居場所であろう場所に落ち着くことを赦されず、待機した末に悲しい結末となる静御前と義経の物語は何が史実かは解りませんが、頼朝の嫉妬と猜疑心に翻弄されたことは間違いではないはずです。

時空を超えて呑気に歴史妄想しているしている時は、魂がその時代に着地しているような気持になります。
そんな時間と体感を持てる私は幸せだなぁ~と思うのです。

いつもは車で通り過ぎてしまう由比ヶ浜界隈。皆様とゆるりとお喋りしながら歩くことが出来、とても楽しい時間を過ごしました。

ありがたや
ありがたや

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仕事の始末

2014年11月04日 | 第2章 五感と体感
30年来の付き合いの友人と二年ぶりに再会し、しかも二人きりで会うのは20数年ぶり。。。
懐かしい場所を歩きながら記憶を辿る素敵な時間を過ごしました。
時を隔てても、あの時の記憶は鮮明なのですが、記憶しているものが互いに違うことに、「人の記憶は自分次第だ」と笑いあいました。

懐かしい話題もありましたが、互いの近況を語り、私よりも少しばかりお姉さんの彼女の暮らし方の整理、やってきた仕事の始末を興味深く聞きました。
仕事をどう始末をつけるか、という解釈に、とてもすっきりしたものを感じ、改めて自分の役割は、時間と立場で違ってくることを怖がらないことにやはり頭のいい人だ。。。と、感心したのです。

「自分の役割は、自分を取り巻く環境と体力を考えるとここまで。」というボーダーラインを明確に持っていて、それを自分が担うに相応しいか否かを吟味した末に、環境に適応力のある相応しい人材を育てることに矛先を変えてゆくアッパレさに深く学ばせてもらいました。

できないのなら辞める。

さっぱりしているなーー。

引き際は強制終了させられることもありますが、自分の身の丈を知る中で後任を決め、継ぎながら引いていくことを上手にしちゃうところに、彼女のカッコ良さを感じ、私の眼がハートに。

私自身も生涯現役と思いながらも育てることは大きなテーマです。
若ければ良いという仕事でもない為、ついつい自分の経験に胡坐をかくことは、とても危険なことです。
時間をかけて互いに学び合う時間を持たない限り、知識と体感は結びついていきません。

誰にバトンを渡すか。

そろそろ、そんな出会いも期待したいところです。こればかりは御縁を得るしかありません。
私よりも20歳ぐらい年下の人の出会いを祈願の項目に加えることにします。

念ずれば叶う。これ、真理です(笑)あと3,4年で出会いたいものです。

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お片付け

2014年11月03日 | 第2章 五感と体感
イメージして思い巡らす
Visualize

言語化する。書いたり話したり、宣言したりする。
Verbalize

そして、行動する。実現したいものに向かって行動する。実行する。つまり、動く。
Vitalize

これらは、「願望を実現するための3Vの法則」と云われており、方々の研修会にも使われている理論です。

9月からわき目も振らず突っ走り、この連休は、山になっている書類や手紙を整理したり、処理する時間を設けて、片付を勤しんでいます。
こうやって紙類を整理していると、自分が考えなくてなならないことや、考えることを拒否していること、遠回しにしていることが、顕わに見えてくるのです。

遠回しにしているものに関しては、なかなか片付けられません。近い将来やらなくてはならないとは思うので、ファイルに仕舞うのも躊躇します。なので、諸々を片付けていくうちに、もやもやしたものほど残されて山積みになっていくわけです。

この「もやもやしたものをいつ片付けるか」。
それが、問題です…

それにしてもペーパーレスと云われている時代とはいえ、以前よりも増して、印刷技術が高まり、捨てにくいパンフレットの取り扱いにも迷います。

そんな連休のさ中、夢の実現のために動き出した友人知人から、いくつかの御知らせを頂きました。
私よりも若く、これから経験を積んで新しい世界を築いていこうとしている方の決意は、ほんとうに美しいと思い、惚れ惚れします。その上、私自身にも元気の気が入ってきます。

私自身が取捨選択してきたものは、確かに私を私らしく強化してきました。
人生半世紀を過ぎると、取捨選択していく幅も狭くなってきているようにも思います。それは、今までの整理の成果でもあるかもしれません。

部屋の片付けの仕方は、人の傾向そのものだと、しみじみ思います。確かに比例しています。

頭の整理は、自分なりに洗練された3Vに繋がりそうです。

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生育史は宝物

2014年11月01日 | 第2章 五感と体感
子育ての過程において、親が常に我が子の行く道を先回りして、守り続け、間違いが起きないように管理ができる場所は、家庭内でありましょう。
親の教育、養育の傾向は、赤ちゃんの頃から身につけられるものであるため、自分のもともとの性質と混じりながら形成されて、個性化していきます。「遺伝・環境・老化」&「分泌・自律神経・免疫」

そして、自分の考え方や湧き出す感情が行動として表れます。
おムツが濡れれば、気持悪いし、泣けばお母さんやお父さんが取り変えてくれます。お腹が空いたら、泣いて訴えます。そうすれば、やはり自分の要求を誰かが満たしてくれます。
もし、赤ちゃんの時から満たしてくれないものが多かったらどうでしょう。。。

満たしてくれるもの。満たしてくれないもの。
それらの兼ね合いを測りながら人は成長していくように思います。

何か事が起こった時、「行動」として表れた時に初めてその人の「考え」や「湧き出しやすい感情」が見えてくるケースも多いように思います。

子供が事件や事故に巻き込まれないようにするための教育も大事でしょうし、あれこれと子供の事を心配する母心は、時には過剰になるのも自分が産んだ子ゆえ、心配して当然のことです。

我が子を心配する自分は、一体、何が不安で心配しているのか。。。そして、何が満たされなくて不安になり、心配しているのか?

まずは、自分と子供を切り離して、自分自身の不安と向き合う必要がある場合もあります。

子供はお母さんが幸せそうに見えると自分も幸せです。

お母さん自身の幸せの体感を赤ちゃんはちゃんと感じ取っているのです。
神秘的だな~と、思います。

我が子を育てるお仕事は大変な労力が必要です。これも、やってみなくちゃ解りませんし、改めて子育てをしている人を見て、大変だったな~~と、気付くものです。

体験と体感は、人を育てます。

「人の成長は死ぬまでである」と言われている所以は、そこにあるのかもしれません。

自分の体験と体感は自分自身の大切な宝物です。

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