ボケてて7/15とかしてました。
ポチッと よろしくね。
↓ ↓ ↓
県北に書類を取りに行くという用事があって出かけたわけですが
どうせそちらの方まで出かけるのなら
ついでにと言っちゃぁなんですが お彼岸が近いということもあり
菩提寺へ お参りに・・と立ち寄りました。
今回 時間の都合で お墓の方には行かなかったのですが
お寺でお参りを済ませると お坊さんのお父様が
「まあお茶でも飲んでいきなさい・・」と。
こちらのお父様は 元々教職に就いておられた方で
歴史研究家でもあり 講演会などをよく開いておられます。
「栗を持っておかえり。」 と。
「うわぁ!いいんですか!」
折しもこの日は お仲間とのお月見の会が 某料亭であるらしく
お初物をお供えするとかで
裏山で収穫した栗や銀杏の種分けをされ準備されていたようです。
そして 雨が降らなかったのは県北でも同じようなもので
たいそうお金をかけて 川から水を引いたりしたとのこと。
「里芋いるかえ!?」
で、このとき聞いた話。
幕末に 下関戦争(馬関戦争)というのがありました。
長州藩と、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、
文久3年(1863年)と同4年(1864年)の前後二回にわたる
攘夷思想に基づく武力衝突事件。
国東半島の北に姫島という島がありますが・・
地理的に九州の海上交通の要所にあります。
なので、列強4国の下関戦争の列強艦隊は姫島沖に集結し
長州攻撃を開始しました。
そういえば何年か前に下関に行ったときに 砲台跡 ってのがありましたっけ。
この際に 外国船の人たちが 大量の里芋と牛スジを姫島で調達した
という史実があるそうで・・・・
外国の人たちが 里芋で どんな料理を作ったんやろうか・・と先生。
「私やったら、里芋と牛スジ 醤油とみりんで煮付けるけど!」
とか バカ言いながら 結構楽しい時間を過ごしたんですよ。
ありがたく 栗と銀杏をいただき帰ろうとしたときに
栗を もう一袋いただき・・・
お寺を後にしました。
わたし いったい何しに来たんやろか?
今週というか 先週というか 月曜日の畑日に雨で
ブログネタもないなぁ・・と諦めてたとこに
いただきものありで、こりゃよかった!
なので 慌てて 観光案内くっつけます。(笑)
国東半島から 蕎麦で有名な豊後高田方面に向かうとき
縁結びの神様の粟島神社というのがありますが
恋叶ロードというらしい。
真玉海岸の方では 干潟が広がり 夕日がきれいなとこです。
と 取ってつけたような 観光案内。(笑)
で栗なんですけどね。
去年は 台風の影響で 当地は かなり不作 だったらしいけれど
今年は 豊作らしく
実は 家に在庫があるんですわ。二つ。
いただいたものを含めて 栗長者になりました。
帰り道、こちらは 国東半島の 名所・旧跡が点在する山の中ですが
運転してても 川の水の音がゴーゴー聞こえたので
大きな川でもあるのかと・・・
反対車線走行中だったけれど(笑)
車を停めて見に行くと 田んぼでした。
あの奥の方に川が流れているらしい。
豊かだわ~~~
あと、こんなお買い物もしましたよ。(^_-)
訪問ありがとうございます。
お帰りに ポチっと応援いただくと
嬉しいです。
↓ ↓ ↓