ダンポポの種

備忘録です

太多線

2014年03月17日 20時20分20秒 | 旅のあと

去る3月8日(土)、青春18きっぷを使って、岐阜県を走る「太多線」(たいたせん)に乗りに出かけてきました。



↑太多線は、多治見~美濃太田間を結ぶ17.8kmの線です。
 今回は、京都駅から青春18きっぷで出掛け、太多線に乗車してきました。
 なお、当日は美濃太田から多治見へ向かって乗車してきました。(=上り方向の列車に乗ってきた)



平成26年3月8日(土曜日)。天気=晴れたり、曇ったり。

午前11時すぎに、自宅を出発しました。
「18きっぷの旅なのに、スタートが遅すぎるやろ
っていう感じですが、目当ては「太多線」だけなので、この時間からスタートしても十分に行って帰ってこられます

京都12時00分発の新快速近江塩津ゆき(12両編成。前寄り4両近江塩津ゆき、後寄り8両米原止まり)に乗って、米原へ-。
米原で普通大垣ゆきに、大垣で新快速豊橋ゆきに…、どんどん乗り継いで、〝道草なし〟で移動を続けて、岐阜へ着いたのが13時50分過ぎでした。

岐阜で高山本線に乗り換えて、美濃太田を目指します-。



↑岐阜にて。乗り換え待ちのひとときに撮影。
 313系の回送電車。



↑岐阜にて。
 14時すぎ、多治見から太多線・高山本線経由で走ってきた普通列車(キハ11形)が、終点の岐阜に到着したところ。
 この車両が、折り返し14時15分発の美濃太田ゆきになりました。



↑私もキハ11に乗り込んで、美濃太田を目指します。



↑岐阜を発車して2駅目、那加(なか)にて、対向の普通列車とすれ違い。



↑その次の駅、蘇原(そはら)では、対向のエル特急「ひだ」とすれ違い。



↑さらにその次の駅が、各務ヶ原。 駅名の読み方は「かがみがはら(駅)」。
 駅名標にも書いてあるように、ご当地の地名(市名)は「各務原市」で、これは「かかみがはら(市)」と読むのだそう。
 〝濁る or 濁らない〟の違いだけでなく、〝が〟を抜いて「かがみはら」や「かかみはら」と読む向きもあるらしい。 難読地名やね~
 市のホームページでは、「各務原市」・「かかみがはら(市)」となっているので、これが公式な表記・読み方ということやね。 覚えておこう!
 ちなみに、当地で高山本線と並行している名鉄の〝各務原線〟では、路線名・駅名とも、市名に合わせた表記・読み方になっています。



太多線 (たいたせん)
 ここからが、太多線です


↑美濃太田に着きました。ここで太多線に乗り換えます。
 すでに、太多線の多治見ゆきがホームに止まっていて、発車を待っていました。
 駅名は〝美濃太田〟だけど、ご当地の地名(市名)は「岐阜県 美濃加茂市」と言うのだそうです。

 ウィキペディアによりますと…、
 当地は、古くから中山道の〝太田宿〟として栄えた宿場町。また、出身の著名人も多く居て、坪内逍遥さんも、この地の生まれだったそう。



↑太多線の運行車両も「キハ11形」に違いあるまい…、と予想していたのですが、この時間帯はキハ47形の運用でした
 あっ、そうか…! 『時刻表』の列車番号を見たら、キハ11形による運用かどうか、判断できるんだったな。当日は、それを忘れていました。
 キハ47形、車両自体は〝古参〟の部類ですが、外観は美しく保たれています。 気持ちがいいですね。



↑キハ47の車内。
 おおっ ブルーの座席、健在っ
 実に懐かしい雰囲気の車内です。国鉄時代って、この色の座席が多かったよねぇ。









↑「便所のそばの席に座るんかい」と言われそうですが…(このとき、ほかにも空席はたくさんありました)
 懐かしい雰囲気の車内だし、今日はこの席に座って多治見まで行ってみようと思います。(←理由の説明になってないやん
 ここに座ったら、便所に視界を遮られるので、そちら側の車窓風景は全然見えないんだけどね。







↑美濃太田を15時05分に発車しました。
 高山本線(高山方面へ)の線路に別れを告げて、『太多線の旅』が始まりました。多治見までは17.8kmと、短い旅ですが…。



↑高山本線と別れてすぐ、車両基地が見えてきました。 美濃太田車両区と呼ぶそう。
 太多線や高山本線で運用されるディーゼルカーは、ここの車両区に配置されています。
 運用拠点というか、キハたちの〝ホーム(home)〟やね。



↑木曽川を渡っているところです。
 川の水量が、めっちゃ豊富に見えるでしょう?
 先ほど書いたように、便所に視界を遮られるので、反対側の車窓風景は私には確認できません (←ほかの席へ移れよ!)
 あとで地図を確認したら、この場所では、木曽川はせき止められて「ダム」になっているみたい。 だから、水量が豊富なんやね。



↑名鉄電車が見えて、可児(かに)に着きました。
 太多線と名鉄広見線の乗り換え駅です。JRの駅名は「可児」で、名鉄の駅名は「新可児」です。
 この画像では解読困難ですが、この名鉄電車の行き先は「中部国際空港」と表示されていました。
 なかなかの長距離を走っていくんやね~。



↑可児駅の駅名標。「かに」駅です。
 仮名書きの、この文字を見ていると、どうしても〝カニ〟を連想してしまうよねぇ (私だけか…
 この際だから、ついでに書きますが、〝エビ〟という読みの駅も、全国JR線のどこかにありますねん。ご存じでしょうか?
 海老名(えびな)じゃないよ。(←漢字では、ばっちり〝海老〟が入ってるけど
 答え。鳥取県の伯備線に、江尾(えび)という駅がありま~す。

えっ? こんなのお好きですか…
それじゃあ、もっと探してみましょう。
和歌山県の紀勢本線に、田子(たこ)という駅があります。
あと、もういっちょ、伯備線の駅ですが、井倉(いくら)という駅もあります。
埼玉県の東北本線には、土呂(とろ)駅も!

かに、えび、たこ、いくら、とろ、ですわ。
そうなりゃ、〝赤だし〟もあったほうがいいなぁ
大丈夫! 島根県の山陰本線に、浅利(あさり)という駅があるっ (北海道の函館本線にも、朝里(あさり)駅があります)
完ぺきやん

↑何の話をしてるねん



↑可児駅の駅舎です。



↑〝乗り鉄〟活動としては車窓風景も大事なんだけど、ここではつい、懐かしい車内の雰囲気に目がいってしまうなぁ~
 座席の背もたれに白いカバーが取り付けられているのが、見た目にもアクセントになっています。



↑壁面に残る、4つのネジ。
 昔は、当たり前のように取り付けられていた「吸い殻入れ(灰皿)」の、名残です。



↑途中駅での乗降客はそんなに多くはなかったけれど、かと言って、まったく乗り降りが無いわけでもありませんでした。
 姫(ひめ)でも、数人の乗車がありました。



↑まわりを丘陵地に囲まれた、その谷間の平坦地を進んでいく感じの、太多線のひとときでした。
 車窓風景は一見〝のどか〟なように見えて、視線をちょっと遠くへ向ければ丘陵地には新しい家々が建ち並んでいたりして、賑わいが感じられる印象でした。



↑左へ左へと大きくカーブして、まもなく多治見に到着です。



↑多治見に着きました。 (太多線発着ホームの、駅名標です。)
 これにて、太多線の乗車完了です



↑乗ってきたキハ47を、ここでも撮っておきました。
 しばし停留ののち、折り返し、岐阜ゆきになるんやね。(→この列車は、いま私が乗ってきたコースを逆戻りして行く)



↑多治見駅前のようす。


太多線に無事乗れたので、これで本日の目的は果たせました。
今から京都へ帰ります。

18きっぷなので、乗車ルートは好きに選べます。
いま乗ってきたキハ47形に揺られて、同じルートを逆戻りして岐阜までバックするのも悪くは無かったんだけど…、
まあ、別ルートで帰ることにするかな。

多治見駅の周辺を〝ぷらっ〟と歩いて気分転換をしてから、中央本線の快速電車に乗って名古屋へ出ました。
名古屋からは17時00分発の新快速米原ゆきに乗り、米原で播州赤穂ゆき(新快速)に乗り継いで、京都へ19時12分に到着。

太多線の旅、終了ー