↓つい何度も見てしまう映像です。私は…
全通した紀勢線
紀勢本線のうち、最後の最後まで〝未開通〟で残っていた三木里~新鹿間の線路が開通した時の映像ですね。
ニュース映像のようですが、船を使っての登校風景や、連絡輸送に活躍した国鉄バスなど、とても貴重な記録だと思います。
映像中にもありますが、三木里~新鹿間の鉄道が開通したのは昭和34年(1959年)7月15日のことでした。
これによって、紀勢本線が「全線開通」したのです。(←亀山から和歌山市まで線路がつながった、ということです)
今年は2009年なので、紀勢本線は「全通50周年」の節目を迎えます。
上の映像が撮られた時から数えて、50年が経過したということになりますね。
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↑現在の紀勢本線。(この図では、三重県南部の区間のみ掲載)
今は線路がつながっていますから、三重県と和歌山県にまたがって、紀伊半島の海沿いを
ぐるーっと列車で駆けめぐることができます。
尾鷲から熊野市にかけての沿線(図中の赤枠)は、険しい山々が海岸まで迫り出していて、鉄道や道路などの陸上交通にとっては、
行く手をさえぎられる〝難所〟でした。リアス式海岸と言ったらいいのかな。
現在も、その地形は変わりません。
上の映像のナレーションでは、
険しい地形が鉄道を阻んで、紀伊半島の南は、陸の孤島と呼ばれてきた。
と言っています。
↓昔の時刻表(復刻版)より。
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↑『汽車時間表』昭和9年12月号より。(以前にJTBから発行された復刻版です)
上の映像のなかで、作文を読む子どもの声が入っていますね。
いくら陸続きでも、遠く離れた島のように、交通が不便だった…
昔の人は、二木島までうんとこうんとこと山越えをして、それから船に乗って、鳥羽まで行ったそうだ…
(↑…と、たぶんそう言っているのだろうと思うのですが)
ここに出てくる「二木島から鳥羽までの船」というのは、これのことかな…?と私は勝手に思っております。
しかし…、紀伊半島の海沿いの町に寄りながら大阪~名古屋を結ぶ船(航路)があったのですね。
裏を返せば、紀伊半島の沿岸部を結ぶ鉄道・バスなどの陸上交通が未発達だった時代と言えましょう。
↓紀勢本線が全通する直前の「時刻表」から…
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↑昭和33年11月号『時刻表』(復刻版)より。
紀勢本線の全通まであと一歩!という時期です。
図に見えるように、この時期、三木里~新鹿間だけがつながっていません。
これは昭和33年の「時刻表」の地図ですが、翌昭和34年7月にこの区間が開通し、紀勢本線が全通したのです。
図中で、鉄道線のそばに並んで描かれている二重線は、バス路線を表します。
鉄道の未開通区間をカバーする国鉄バスによる連絡輸送が、尾鷲~紀伊木本(現在の熊野市)間で行われていたことがうかがえます。
映像のなかに出てくる国鉄バスの路線が、これに該当します。(←たぶん…)
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↑同じく昭和33年11月号『時刻表』(復刻版)より。
尾鷲~紀伊木本(熊野市)を結んだ、国鉄バスの時刻表です。(画面中段)
上の映像にあるように、国鉄バスも山越えの険しい道を走って、この区間を結んでいました。
バスが走って行けるような道が、それしか無かったのでしょうね。
所要時間がスゴイです。
尾鷲~紀伊木本(熊野市)を2時間40分かけて結んでいます…。
陸の孤島と呼ばれたわけが、この所要時間からも垣間見えるようであります。
同時に…、鉄道の未開通区間をカバーするべく、2時間40分をかけてでもこの区間を確かに結んでいた国鉄バスは偉大だと思います。
涙が出てきそうになります
ちなみに現在-、尾鷲~熊野市間は、特急列車で30分ほどで結ばれています。
↓3年前の夏に、紀伊半島を列車でぐるっと回ったときの画像です。
新宮駅で撮影した、特急「南紀号」(紀伊勝浦ゆき)です。
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全通した紀勢線
紀勢本線のうち、最後の最後まで〝未開通〟で残っていた三木里~新鹿間の線路が開通した時の映像ですね。
ニュース映像のようですが、船を使っての登校風景や、連絡輸送に活躍した国鉄バスなど、とても貴重な記録だと思います。
映像中にもありますが、三木里~新鹿間の鉄道が開通したのは昭和34年(1959年)7月15日のことでした。
これによって、紀勢本線が「全線開通」したのです。(←亀山から和歌山市まで線路がつながった、ということです)
今年は2009年なので、紀勢本線は「全通50周年」の節目を迎えます。
上の映像が撮られた時から数えて、50年が経過したということになりますね。
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↑現在の紀勢本線。(この図では、三重県南部の区間のみ掲載)
今は線路がつながっていますから、三重県と和歌山県にまたがって、紀伊半島の海沿いを
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尾鷲から熊野市にかけての沿線(図中の赤枠)は、険しい山々が海岸まで迫り出していて、鉄道や道路などの陸上交通にとっては、
行く手をさえぎられる〝難所〟でした。リアス式海岸と言ったらいいのかな。
現在も、その地形は変わりません。
上の映像のナレーションでは、
険しい地形が鉄道を阻んで、紀伊半島の南は、陸の孤島と呼ばれてきた。
と言っています。
↓昔の時刻表(復刻版)より。
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↑『汽車時間表』昭和9年12月号より。(以前にJTBから発行された復刻版です)
上の映像のなかで、作文を読む子どもの声が入っていますね。
いくら陸続きでも、遠く離れた島のように、交通が不便だった…
昔の人は、二木島までうんとこうんとこと山越えをして、それから船に乗って、鳥羽まで行ったそうだ…
(↑…と、たぶんそう言っているのだろうと思うのですが)
ここに出てくる「二木島から鳥羽までの船」というのは、これのことかな…?と私は勝手に思っております。
しかし…、紀伊半島の海沿いの町に寄りながら大阪~名古屋を結ぶ船(航路)があったのですね。
裏を返せば、紀伊半島の沿岸部を結ぶ鉄道・バスなどの陸上交通が未発達だった時代と言えましょう。
↓紀勢本線が全通する直前の「時刻表」から…
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↑昭和33年11月号『時刻表』(復刻版)より。
紀勢本線の全通まであと一歩!という時期です。
図に見えるように、この時期、三木里~新鹿間だけがつながっていません。
これは昭和33年の「時刻表」の地図ですが、翌昭和34年7月にこの区間が開通し、紀勢本線が全通したのです。
図中で、鉄道線のそばに並んで描かれている二重線は、バス路線を表します。
鉄道の未開通区間をカバーする国鉄バスによる連絡輸送が、尾鷲~紀伊木本(現在の熊野市)間で行われていたことがうかがえます。
映像のなかに出てくる国鉄バスの路線が、これに該当します。(←たぶん…)
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↑同じく昭和33年11月号『時刻表』(復刻版)より。
尾鷲~紀伊木本(熊野市)を結んだ、国鉄バスの時刻表です。(画面中段)
上の映像にあるように、国鉄バスも山越えの険しい道を走って、この区間を結んでいました。
バスが走って行けるような道が、それしか無かったのでしょうね。
所要時間がスゴイです。
尾鷲~紀伊木本(熊野市)を2時間40分かけて結んでいます…。
陸の孤島と呼ばれたわけが、この所要時間からも垣間見えるようであります。
同時に…、鉄道の未開通区間をカバーするべく、2時間40分をかけてでもこの区間を確かに結んでいた国鉄バスは偉大だと思います。
涙が出てきそうになります
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ちなみに現在-、尾鷲~熊野市間は、特急列車で30分ほどで結ばれています。
↓3年前の夏に、紀伊半島を列車でぐるっと回ったときの画像です。
新宮駅で撮影した、特急「南紀号」(紀伊勝浦ゆき)です。
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まだほとんどの区間を乗っていない、それが紀勢本線です。
こういう歴史があるのなら、一度行ってみようかな。
鈍行にはあまりこだわらずに。
最後の写真、3年前の夏に電話したら
白浜におられたことがありましたが、
そのときのですか。
ぜひ、乗りに出掛けてみてちょ。
紀勢本線って、途中でほかの線に乗り換えする駅がほとんど無いからな。
踏み込んだら、最後まで乗り通すしかない、…みたいな感じです。(乗り通さないなら、今来た道をバックするしかないというやつ)
思い切って、乗り通してみてください。
>最後の写真、3年前の夏に電話したら
>白浜におられたことがありましたが、
>そのときのですか。
そうです。
この写真を撮った後、くろしお号で天王寺へ向かったのです。
途中の白浜駅に停車したときに、toel氏から電話がかかってきたのでした。
で、急遽、その晩に京都で飲んだのだったな…。