ダンポポの種

備忘録です

宮古と三鉄とドライブと、そして、旅の終わりへ

2013年07月26日 18時16分00秒 | 旅のあと
東北旅行、7月10日のまとめ(続き)。


【前回の内容(ちょっとだけ復習)】

釜石からバスを乗り継いできた私は、14時まえに宮古駅へ到着しました。
バスを利用するのはここまでで、この先は、再びJR線を利用して旅を続けます。

次に乗る列車は、JR山田線の、宮古15時52分発、普通・盛岡ゆきです。
その時刻まで約2時間待ちということになります。

この2時間待ちを利用して、三陸鉄道北リアス線にちょこっと乗ってみることにしました。

やや無理矢理なプランですが…、
宮古駅前からタクシーに乗って田老という町まで行き、田老駅を15時18分に通る北リアス線の列車に乗って宮古駅へ戻ってこよう、と考えています。
田老から宮古まで、北リアス線の列車で所要20分なので、宮古へは15時38分に到着します。
乗車予定の、宮古15時52分発・盛岡ゆき(JR山田線)には余裕で間に合う! という計画です

【復習、終わり】






宮古→田老 (タクシーで移動)

宮古駅前でバスを降りた私は、引き続いて、駅前からタクシーに乗り込みました。

「田老駅まで、お願いします」  (←マークは、私のセリフ(会話文)であることを示す。
と、運転手に頼んでみました。

もっとも、只今の時刻は14時ちょうど…。
これからまっすぐ田老駅へ向かってしまうと、たぶん〝(田老駅へ)早く着きすぎる〟ことになりそうです。
宮古~田老間は、北リアス線の列車で所要約20分だから、タクシーでも30分ぐらいで到達できるのではないかな?と思われます。
なので、急がずに、道中、適当に時間をつぶしながら田老へ向かってもらえると、私はありがたいのだけれど…

こういう場合は、正直に事情を説明して、運転手にも気持ちよく走ってもらうほうがいいかなと思いました。
私は、観光で宮古へ来たことと、北リアス線の列車に少し乗ってみたいので田老駅まで送り届けてほしいことを、運転手に伝えました。

そのうえで、
「田老駅15時18分の列車で宮古へ戻ってこようと思っています。だから、15時すぎに田老駅へ着けば、それでいいんです。
 15時になるまで、まだ時間に余裕があるので、今からまっすぐ田老へ向かうのではなく、この近辺をドライブしながら田老を目指してもらえませんか?」
と、ワガママなお願いを述べてみました…

タクシーに乗って「ドライブしてくれ…」とは、我ながら、何を言っているのかと、可笑しくなりました。
運転手も、不思議そうな顔で私のリクエストを聞いていたけれど、どうやら趣旨は理解してくれたようでした。良かった

『じゃぁ、浄土ヶ浜、行ってみますか?』
と、運転手が提案してくれるので、行ってみることにしました。
宮古駅からもそんなに遠くはない場所です。宮古の観光地と言えば、ここが有名なのだそうです。

◎浄土ヶ浜











浄土ヶ浜を見物したあと、タクシーは田老方面へと向かいました。

『ところで、お客さんは、どちらからですか?』

「私は、京都から来ました。」

『へぇ、京都からー

と、驚かれたりしながら、あれこれと車内での会話を楽しませてもらいました。


私も、運転手に聞いてみました。

「いま、NHKの朝の連続ドラマ(あまちゃん)が評判だけど、それによって観光客が増えたとか、宮古でも何か影響はありますか?」

『ドラマは人気みたいだけれど、宮古にはあんまり関係ないねー』 …という感想でした。

『さんてつ(三陸鉄道)が全部つながっていたら、久慈から宮古へやって来る人も増えたかもしれないけど…』
と、運転手は付け加えました。


「あと、〝じぇじぇじぇ!〟が独り歩きして、流行語みたいになってきてるけど、それは、地元としてはどうなんです?」
…と、聞いてみたりもしました。
(↑私が尋ねる内容は、〝あまちゃん〟のことばっかりかー


◎田老の防潮堤

タクシーは、田老の町に入りました。

あれが田老駅です』
と、クルマを走らせながら運転手は指をさして、駅の場所を教えてくれました。

運転手が指さす方向を目で追うと、確かに、ホームと、その上屋根が見えました。

『でも、まだ、駅へ行くには時間が早いですかね…、どうします?  防潮堤、見に行きますか?』
と、運転手が先に提案してくれました。

正直言うと、私も、田老の防潮堤を見てみたいなと思っていました。
高さ10mの、日本一と言われる巨大な防潮堤。
しかし、東日本大震災の大津波は、その巨大防潮堤をも乗り越えて、田老の町へ流れ込んだということです。



↑田老の町に入ると、大きな防潮堤が見えてきました。



↑修復工事が行われているのでしょうか。防潮堤の上には大型重機も見えます。



↑クルマを降りて、そばへ近づいてみると、やっぱり大きな防潮堤だと実感できました。



↑どうしようかと迷ったのですが、結局、登ってみました。(画面左手が海側)
 防げると考えられていた大津波が、この堤防を越えてしまったという、悲しみの現場…、と言えるだろうと思います。
 恐らくですが、地元の方たちの様々な気持ち、痛烈な思い、そして無念が、この防潮堤に込められてしまったと思うのです。
 そのような場所へ、部外者である私がノコノコやって来て、見学して帰る…っていうのは、どうなんだ
 この期に及んで、「私がここへ登ることに、果たして何の意味があるのだろうか」と自問しながら登りました。




なお、地元の宮古観光協会が、田老の防潮堤見学などを通じた防災学習(学ぶ防災)の取り組みをされているようです。

◆               ◆               ◆

防潮堤を見たあと、タクシーで田老の町をぐる~っと周回しました。
…とは言っても、建物がほとんど見当たらない風景が広がるばかりです。
建物の跡地に草が伸び放題になっているところも多く、なんとも、言葉が出てきません

付近をタクシーでひと回りしたあと、田老駅へ向かってもらいました。
田老駅前に、14時50分ごろに着きました。
『すみませんね、まだちょっと、時間が早かったようだけど…』
と、恐縮してくれる運転手に私もお礼を言いながら料金を支払い、タクシーを降りました。



田老→宮古 (三陸鉄道北リアス線)

↑三陸鉄道、北リアス線の田老駅です。トンネルみたいなのが、駅の出入り口でした。
 高架駅というか、築堤の上に線路が通っている区間なのですね。
 駅前から見上げた視線の先には、ホームの上屋根が見えていました。



↑暗い階段を昇ってくると、そこがホームです。



↑プラットホームから、駅前を眺めています。線路が一段高い築堤に敷かれているので、駅前を見おろす感じになります。
 草がたくさん伸びている部分しか見えませんが、もちろん…、もともと駅前には建物が並んでいたのです。(だって駅前だものな…)
 この駅付近は、海岸からは結構離れているように見えたけれど、あの日、防潮堤を越えた津波は、この駅前へも容赦なく押し寄せたようです。
 駅の本体はどうにか残ったんだけど、駅前周辺の建物が失われ、いま、人の気配が極端に乏しい状況になっています。



↑蒸し暑さのなか、誰もいないホームで、「たろう」の駅名板などを見ながら列車を待ちます。




…と、不意に、ホームに設置されたスピーカーから音声が流れてきました。
列車の運行状況についての案内放送でした。
田老駅は無人駅なので駅員はいませんから、これは、三陸鉄道の運行管理本部みたいなところから〝遠隔放送〟しているのでしょうね。

雑音まじりでやや聞き取りにくくもあった、スピーカーからの放送によると、
『さきほど地震があったため、北リアス線の列車は、線路の安全を確認しながら運行しています。そのため、列車のダイヤが遅れています』
ということでした。

(えっ、地震なんて、あったかな…?)
というのが、このときの私の感想です。全然気が付かなかったけれどな。
とにかく、安全確認のために列車ダイヤが遅れているらしい。ちょっと心配な展開になってきました


※この日は、午後2時20分すぎに東北地方で地震があり、宮古でも震度4を観測したそうです。
 地震の時刻というと…、さっき、私がタクシーで浄土ヶ浜のあたりを見物していた頃なのかなぁ。
 あとで震度4と聞いても、私は全然気づかなかったことだし、運転手もそんな話はしていませんでした。



↑田老駅の発車予定時刻だった15時18分を過ぎました。
 やっぱり、列車は来ません
 さらに経過して、15時30分を過ぎても、まだ来ません!

 宮古駅で山田線への接続時間は14分あります。
 『余裕で乗り換えられるやん』と思っていたけれど、にわかに雲行きが怪しくなってきました
 田老駅の発車がこれ以上遅れると、宮古での乗り換えが不可能になるかも…。こりゃマズいぞ~



↑小本方向のトンネルから〝ポォッ!〟と警笛の音がして、ようやく列車が姿を見せました。
 が… スピードが、遅いー
 警戒運転をするときの走り方ですね。時速25キロとか30キロ以下とか、そのあたりのスピードです。
 線路の安全を確認しながら走っているので、これは仕方がありません。

 列車が田老を発車したのは、20分遅れの15時38分でした。(←本当なら、宮古へ到着しているころの時刻ですわ
 この後も、終点の宮古到着まで徐行運転が続いたので、ダイヤの遅れはさらに拡大していきました。


                         


列車は徐行運転を続けて、16時15分ごろに宮古駅へ到着しました。所定より40分近い遅れとなりました
私はJRの改札口へ行ってみましたが、15時52分発の盛岡ゆき(私が乗ろうとしていた列車)は発車済みでした。仕方がないです。

次の列車は、宮古17時52分発の普通盛岡ゆきまで、ありません。
今夜も盛岡で宿泊する予定であれば、この列車を待って盛岡へ向かっても構わないのですが、私は『今夜じゅうに京都へ帰る!』つもりなので、
宮古17時52分発では遅すぎてダメなのです それだと、京都まで帰り着けへんのです


盛岡18時41分発の「はやて46号」に乗らねばならぬ!

↑私がなんとしても乗らねばならぬ列車が、盛岡18時41分発の「はやて46号」東京ゆきです。
 これで東京まで戻り、東京からは新大阪ゆき「最終のぞみ」にリレーして、京都まで帰ります


今回は、「山田線に乗るために宮古へ来た」というのが肝心な部分だったのですが、こんな展開になったので、もう、山田線は諦めます
ここからは、盛岡18時41分発の「はやて46号」に間に合うように …だけを考えて、盛岡駅を目指そうと思います。
くどいけれど、それに乗れなかったら、私は今夜じゅうに京都へ帰り着けなくなります。

16時15分に宮古駅に居る人間が、盛岡18時41分発の「はやて」に乗るためには、どうしたらいいか?
 ・山田線の次の列車を待っていては到底間に合わないので、JRで盛岡まで移動するという案はボツ!
 ・岩手県北バス「106急行」は、次の便が宮古駅17時00分発。これが盛岡駅へは19時15分着。「はやて46号」に間に合わない ので却下!

残された方法は、タクシー しかない
「えっ、ホンマに、宮古から盛岡までタクシーで行くの?」って、私も自分自身にツッコミを入れたい気分でした。
でも、迷っている暇はありません。とにかく早く盛岡へ向かわなければ

…と、これらの対応策の検討は、さきほど、徐行運転の北リアス線車内で、持参した『JR時刻表』を開いて、考えておきました。
山田線への乗り継ぎが絶望的となってゆく北リアス線車内で、私は「盛岡へはタクシーしかない!」と心を決めておりました。


宮古→盛岡 (タクシーで移動)

16時15分すぎ、私は再び、宮古駅前からタクシーに乗り込みます。

タクシー乗り場の先頭に止まっていた1台に声を掛けました。
「すみませんが、今から盛岡駅まで、お願いできますか?」
運転手は、気の毒そうな表情で、首を横に振りました。
今から遠距離を行くのは無理なクルマだったみたい。(もちろん、運転手にも都合があるでしょうから

やっぱり、宮古から盛岡までって、遠いんやね。
「わし、当たりの客ですか~?」などと悠長なことを言っている余裕はなく、逆に、迷惑な客なのかも…と、不安になります。

私は2台目に並んでいたクルマに移り、同じように声を掛けてみました。
そうしたら、この運転手はOK!してくれました。ありがとうー

ただ、出発前に確認しておかなくてはいけません。

「盛岡駅まで、どれぐらい時間がかかりますか? 2時間ぐらいで行けますか?」

『うーん 2時間ちょっと…、10分、20分ぐらいかかるかなぁ』

盛岡市の中心へ入っていくところで道路が渋滞しているかもしれず、そこで時間が掛かるかもしれない、のだそうです。

「盛岡18時41分発の新幹線に乗りたいのです。今から2時間20分ぐらいありますが、着けそうですかね?」

『スムーズに行けたなら、なんとかなぁ…。盛岡に入ってからの込み具合いが、分からないけれど』

夕方の時間帯にかかるので、帰宅ラッシュというか、盛岡の中心部の道路状況がカギを握りそうな展開です。


『どうされます?』

と、運転手のほうが私に確認を求めてきました。

「とにかく、盛岡駅までお願いします」

『わかりました!』


宮古から盛岡へと通じる国道106号線を突っ走っていきます。
106急行ならぬ、〝106タクシー〟やね (←そんなこと言うてる場合か!)


もう、ジタバタしても仕方ないので、流れにまかせよう。



みなみらんぼう ウィスキーの小瓶





↑運転手といろいろ喋りながら突っ走る、106号線の旅でした



↑ガードレールの向こうに、ちょこっと、レールが見えています。山田線です。



↑ぴんぼけ。山田線の踏切を撮ってみました。



↑盛岡の町へ入って、これは盛岡城址のあたり。
 ここまで来たら、盛岡駅までもうすぐです。



↑無事、盛岡駅前に着きました。
 運転手さん、遠いところまで本当にありがとうございました
 「これで京都へ帰れます!」と、お礼を言って、私は降りました。
 気になる料金は、25,700円でした



↑宮古からの道路は空いていて、盛岡市内に入ってからも、それほどの混雑ではありませんでした。
 宮古駅からちょうど2時間で盛岡駅に着きました。
 18時41分発の「はやて」に、間に合いました


盛岡→東京→京都 (新幹線)

↑盛岡駅の新幹線改札内にて。



↑同じく、新幹線改札内にて。



↑乗車券。タクシーに乗る前に、宮古駅でいったん払い戻しをすれば良かったのかも…。
 山田線の部分は無駄になってしまったけれど、この乗車券で盛岡の改札を入り、京都へ帰ってきました。





↑盛岡駅ホームに滑り込んできた「はやて46号」東京ゆき。E5系。



↑ポンと飛んで、これは上野に到着したときに写した一枚。





↑再掲画像。
 最後は東京21時20分発の「のぞみ265号」新大阪ゆきに乗り、京都へ帰ってきました。

終盤は思わぬ展開になりましたが、無事に帰ってくることができて、良かったです。


(おわり)


↑記事が長すぎる…

↑自分でも、だんだん、何を書きまとめようとしているのか、分からなくなってきた


(本当に、おわり)




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