今から50年ほど前、東京タワーが完成した昭和33年、集団就職で希望に燃えて東京に出て来た一人の少女がいた。その少女をめぐって繰り広げられる「三丁目の夕日」は、携帯もパソコンもなかった時代の下町の人情を描いた、可笑しくもペーソスに溢れた物語である。そんな時代をリアルタイムで生きた僕にとって、懐かしくもあり切なくもある。
冷蔵庫もテレビもなく、シュークリームも、アイスクリームも、バナナも、贅沢な食べ物だった。東京タワーからのテレビ放送が始まると、父が電気屋をやっていた関係で、我が家の前の俄作りの縁台に近所の人が集まり、力道山が活躍するプロレスを夢中で見た。「三丁目の夕日」に描かれた世界そのものだった。時はゆっくりと過ぎ、裕福ではなかったが、温かく幸せな人間模様があった。
欲しいものは何でも手に入り、携帯やパソコンは生活必需品になった今。居ながらにして買い物ができ、顔を見ながらの電話も可能だ。文明の発展はとどまるところを知らない。50年前とは比較にならないほど便利でリッチな世の中になった。それが幸せと比例するかどうかは疑問だ。人と人との繋がりは希薄になったような気がする。下町浅草の街、四丁目に住む我がマンションの最上階から見る「四丁目の夕日」は、冷たい冬空を燃えるように真っ赤に染めて、あの頃を懐かしむように足早に沈んでいった。