ガンで闘病中だったロックミュージシャンの忌野清志郎さんが2日、癌性リンパ管症のため東京都内の病院で亡くなりました。58歳でした。一度はライブで健在ぶりをアピールしていましたが、遂に力尽きてしまいました…。もう清志郎さんのパフォーマンスは2度と見ることができません。
清志郎さんは1950年に東京都で生まれ、68年に「RCサクセション」を結成。70年に「宝くじは買わない」でデビューし、3枚目の「ぼくの好きな先生」でブレイク、その後「雨上がりの夜空に」、「スローバラード」といった代表曲を残し、1991年に活動休止。ソロでは坂本龍一さんとのコラボ曲「い・け・な・いルージュマジック」、「パパの歌」、「プライベート」などをリリースしました。
清志郎さんといえば、奇抜なメイクとコスチュームとライブパフォーマンスで有名でした。化粧品会社のCMで坂本さんとキスをしたり、社会問題をテーマにした曲を作り、「ザ・タイマーズ」というバンドでシングル曲とアルバム曲の発売中止に抗議する意味でライブに乱入、そしてフジテレビの「夜のヒットスタジオ」でFM東京を「腐ったラジオ」と批判する歌を熱唱し、「おまんこ野郎」と放送禁止用語を堂々と言い放つという武勇伝をやってくれました。さらには「君が代」をパンクにアレンジしたらレコード会社が発売を拒否したということもありました。社会問題・タブーに挑むという清志郎さんの反骨精神がファンに愛されたのです。
音楽活動以外では、東京から鹿児島まで縦断したことがきっかけで自転車愛好家になり、自宅から仕事先まで自転車で通えば、奥の細道を辿ったり、海外に行ったりしていました。2005年には自転車が盗難被害に遭いましたが、数日後に発見されるというニュースもありましたよね。他にも絵本「ブーアの森」を出版して、それをテーマにした曲がNHK「みんなのうた」で流れました。
2006年7月、清志郎さんは喉頭ガンを公表し、夏のロックフェスティバルなどのライブ活動を自粛して闘病生活に入ります。一度は死を宣告されましたが、徐々に回復し、2008年の日本武道館での『忌野清志郎 完全復活祭』で24曲を熱唱し完全復活をアピール。更なる活躍が期待されましたが、7月にガンが転移していたことがわかり、再び闘病生活に入りました。「清志郎はもう一度甦ってくる」とファンは信じていましたが、その祈りは届かず、ガン発覚から2年9カ月後の2009年5月2日に帰らぬ人となりました。
私は清水建設のCMで流れた「昼間のパパは~」の「パパの歌」で清志郎さんを知り、いろんな有名人と組んでいたという印象が強かったです。TOKIOのメンバーと覆面バンド「ぴんく」を結成したり、とんねるずの木梨憲武さんとは「ガンバレ日本」というサッカー日本代表の応援歌を歌ってました。それにコーヒーのCMで黒木瞳さんと共演したりとマルチな活動をしていましたよねえ。「思いあがったや~つぁ~、海が笑ってらあ~」って。GLAYやB'zとは全く違うタイプ、タブーに挑み続ける魂のアーティストでした。
清志郎さんのガンが発覚した時は、王貞治さん(胃がん)やプロレスラーの小橋健太選手(腎臓がん)とほぼ同時期、あの時は著名人がガンを告白したというのが相次いでましたね。不屈の精神とクレージーさで転移したガンをぶっ飛ばして這い上がり、もう一度派手なパフォーマンスで暴れまわるだろうと思いましたが、力尽きて天国に行ってしまうのは寂しい限りです。まだ58歳は若いし、来年は40周年を迎えるはずだったのに…。謹んでお悔やみを申し上げます。そしてこの言葉を送ります。「天国でも愛してるぜベイベー!」
清志郎さんは1950年に東京都で生まれ、68年に「RCサクセション」を結成。70年に「宝くじは買わない」でデビューし、3枚目の「ぼくの好きな先生」でブレイク、その後「雨上がりの夜空に」、「スローバラード」といった代表曲を残し、1991年に活動休止。ソロでは坂本龍一さんとのコラボ曲「い・け・な・いルージュマジック」、「パパの歌」、「プライベート」などをリリースしました。
清志郎さんといえば、奇抜なメイクとコスチュームとライブパフォーマンスで有名でした。化粧品会社のCMで坂本さんとキスをしたり、社会問題をテーマにした曲を作り、「ザ・タイマーズ」というバンドでシングル曲とアルバム曲の発売中止に抗議する意味でライブに乱入、そしてフジテレビの「夜のヒットスタジオ」でFM東京を「腐ったラジオ」と批判する歌を熱唱し、「おまんこ野郎」と放送禁止用語を堂々と言い放つという武勇伝をやってくれました。さらには「君が代」をパンクにアレンジしたらレコード会社が発売を拒否したということもありました。社会問題・タブーに挑むという清志郎さんの反骨精神がファンに愛されたのです。
音楽活動以外では、東京から鹿児島まで縦断したことがきっかけで自転車愛好家になり、自宅から仕事先まで自転車で通えば、奥の細道を辿ったり、海外に行ったりしていました。2005年には自転車が盗難被害に遭いましたが、数日後に発見されるというニュースもありましたよね。他にも絵本「ブーアの森」を出版して、それをテーマにした曲がNHK「みんなのうた」で流れました。
2006年7月、清志郎さんは喉頭ガンを公表し、夏のロックフェスティバルなどのライブ活動を自粛して闘病生活に入ります。一度は死を宣告されましたが、徐々に回復し、2008年の日本武道館での『忌野清志郎 完全復活祭』で24曲を熱唱し完全復活をアピール。更なる活躍が期待されましたが、7月にガンが転移していたことがわかり、再び闘病生活に入りました。「清志郎はもう一度甦ってくる」とファンは信じていましたが、その祈りは届かず、ガン発覚から2年9カ月後の2009年5月2日に帰らぬ人となりました。
私は清水建設のCMで流れた「昼間のパパは~」の「パパの歌」で清志郎さんを知り、いろんな有名人と組んでいたという印象が強かったです。TOKIOのメンバーと覆面バンド「ぴんく」を結成したり、とんねるずの木梨憲武さんとは「ガンバレ日本」というサッカー日本代表の応援歌を歌ってました。それにコーヒーのCMで黒木瞳さんと共演したりとマルチな活動をしていましたよねえ。「思いあがったや~つぁ~、海が笑ってらあ~」って。GLAYやB'zとは全く違うタイプ、タブーに挑み続ける魂のアーティストでした。
清志郎さんのガンが発覚した時は、王貞治さん(胃がん)やプロレスラーの小橋健太選手(腎臓がん)とほぼ同時期、あの時は著名人がガンを告白したというのが相次いでましたね。不屈の精神とクレージーさで転移したガンをぶっ飛ばして這い上がり、もう一度派手なパフォーマンスで暴れまわるだろうと思いましたが、力尽きて天国に行ってしまうのは寂しい限りです。まだ58歳は若いし、来年は40周年を迎えるはずだったのに…。謹んでお悔やみを申し上げます。そしてこの言葉を送ります。「天国でも愛してるぜベイベー!」
また歌ってくれるって思ってました。
好きなので多くを語れませんね。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします・・・。v±v
間寛平さんの世界一周マラソンの応援歌も歌っていたことで、まだまだ元気だと思ってたら、突然天国に行ってしまうなんて…。
不屈の精神で帰ってくると信じてたので、私もショックです。