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★★ 2011/3/30に被災地へ ★★ 

2011-04-01 | 3.11復興活動
一年中潜っていた女川。
浜で挨拶して、顔馴染みになった方。
アフターダイブでお世話になっていたランチの店や、買い物でお世話になった店。
「皆さん、大丈夫なんだろうか・・・?」
これから私たちも復興の手伝いをしていくつもりなのだからこそ、現在の女川の惨状を実際に見ておかなければならないと思いました。

そして、石巻でいつもお世話になっている方や、塩釜で被災したお客様が心配でした。


あの日から20日目の3月30日、スタッフ各自の身の回りの状況も落ち着いてきたので、行ける面子で被災地へ行くことにしました。

救援物資は出来る範囲で集めて。
それから。
DM候補生のK野さんのご好意で、カップメン320食・スープ3,040食を持っていく事が出来ました。


まずは塩釜に向かって、国道45号を走っていくと・・・。
仙台市と多賀城市の境目辺りから、津波に襲われた町並みがありました。
おびただしい車が、無残な姿で転がっていました・・・。


塩釜のM君は、震災当時職場で津波に襲われ、建物の3階で一夜を明かしたそうです。
自家用車は廃車です。
奥様は、マンション10階の自宅から、津波が何回にもわたって襲ってくる様子を見ていたとのこと。辛くて、怖かった様子を話してくれました。
まずは、元気そうなお二人を見て一安心でした。


女川町へ入ると、衝撃的な映像が次から次へと目の中に飛び込んできました。
「こんな奥まで・・・」という場所にまで、津波は襲っていたのです。
  
地盤沈下しているため、港近くの道路には海水が波打ってました。
  
電車も流され、墓地の上に横たわってました。

石浜へ続く道も、知らない道のようです。
 
高台から見ると、町が消えたという事実が・・・。


知っていたはずの町並みはなくて・・・。
町が消えてしまった惨状を目の当たりにして、本当に言葉が出てきませんでした・・・。


それでも、会った女川町の人に話を聞いて、情報を得て。
救援物資を避難所の方へ届けて。

私たちは女川を後にしました。


石巻でも、至る所で被災しております。

渡波地区では、全壊した家、半壊の家、ひっくり返った車、道の脇に船・・・。

旧北上川周辺でも、いまだに浸水している道路や、瓦礫の山・・・。
 
門脇地区では、津波の被害に加えて火災の被害も大きかった地区です。
  

石巻では、知人の皆様の顔を見れてホッとし、無事物資を渡して、私たちは帰路についたのでした。


被災地の光景を思い出しただけで、胸が痛くなり、涙が出てきそうになります。
でも、被災した皆様は比べられない程大きな痛みであり辛さなのです。
今、私たちが出来ることは僅かなことですが、それでも何かをしたいと思うのです。

また、近いうちに行く予定です。


※写真を載せるべきか載せないべきか悩みましたが、被災地の状況を私たちの目線で伝えたいと考え、載せる事にしました。


(訪問者:大島・長谷川・K野・KODAMA、文:KODAMA)