原作漫画「この世界の片隅に」を書き上げた後の作者自らのメッセージが重く響きます。
新しい課題
戦争を生き延びた人々は、亡くした誰かの栄誉のためにその人の記憶を語った。では、語っているかれらの栄誉を語るのはいったい誰だろう。
絶対忘れてはならない事がある。わたし達は、戦後に生まれたからといって、戦争を知らない世代では決してないという事だ。今という時代を生きている我々は、この国の戦争を経験した人に触れられる、ほぼ最後の世代の人間と「なろうとしている」(これは「なってしまう」ではなく、「なる努力をし続けている」という意味だ。この国がもう永遠に戦争を起こさないなんて決まっている事でも何でもない)。戦争を伝えるという事が果たしてわたしに出来たかどうかはわからない。ただ、戦争を経験した人達が戦後もずっと、亡くした誰かを思って泣いてばかり、国に対して怒ってばかりの人生を送ったわけではないという事、苦難を乗り越えて、誰かや何かの記憶を語ったり秘めたりしながらわたし達に接してくれた、という現実こそが、わたし達にしか伝える事の出来ない戦争の一面だとも思うのだ。(平凡倶楽部「戦争を描くという事」より)
「戦争を知らない子供たち」という団塊世代の反戦歌を想起させますが...。
さらにその下の世代である自分たちに突き付けられているテーマでもあるんですよね。
「戦争」という状況は悲惨で不自由で重苦しい...従来はその部分を強調し続け、多くの人にとっては拒絶の対象となってしまった。映画・漫画・アニメなどで表現したくても、製作に賛同する人も団体も腰が引けてしまい、企画が通らない。
結果的にどんどん遠く風化した存在になっていくという悪循環。
そこに現れた「この世界の片隅に」は、まさに上述の「亡くした誰かを思って泣いてばかり、国に対して怒ってばかりの人生を送ったわけではない」という事を気づかせてくれた作品でした。
古い写真のような色の無いモノクロームな世界ではなく、今の我々と同じ血が通い、笑えもすれば泣きもする同じ人達なんですよね。
NHK「おはよう日本」でのインタビューにおいても、その考えは一貫しています。
簡潔な言葉ですが、確かにその通りだよなぁと...。
間違いなく、今生きている私たちは一人残らず戦争を生き延びた人達の子孫なのです。
最低でも、それを忘れてはいけないなと思いました。
新しい課題
戦争を生き延びた人々は、亡くした誰かの栄誉のためにその人の記憶を語った。では、語っているかれらの栄誉を語るのはいったい誰だろう。
絶対忘れてはならない事がある。わたし達は、戦後に生まれたからといって、戦争を知らない世代では決してないという事だ。今という時代を生きている我々は、この国の戦争を経験した人に触れられる、ほぼ最後の世代の人間と「なろうとしている」(これは「なってしまう」ではなく、「なる努力をし続けている」という意味だ。この国がもう永遠に戦争を起こさないなんて決まっている事でも何でもない)。戦争を伝えるという事が果たしてわたしに出来たかどうかはわからない。ただ、戦争を経験した人達が戦後もずっと、亡くした誰かを思って泣いてばかり、国に対して怒ってばかりの人生を送ったわけではないという事、苦難を乗り越えて、誰かや何かの記憶を語ったり秘めたりしながらわたし達に接してくれた、という現実こそが、わたし達にしか伝える事の出来ない戦争の一面だとも思うのだ。(平凡倶楽部「戦争を描くという事」より)
「戦争を知らない子供たち」という団塊世代の反戦歌を想起させますが...。
さらにその下の世代である自分たちに突き付けられているテーマでもあるんですよね。
「戦争」という状況は悲惨で不自由で重苦しい...従来はその部分を強調し続け、多くの人にとっては拒絶の対象となってしまった。映画・漫画・アニメなどで表現したくても、製作に賛同する人も団体も腰が引けてしまい、企画が通らない。
結果的にどんどん遠く風化した存在になっていくという悪循環。
そこに現れた「この世界の片隅に」は、まさに上述の「亡くした誰かを思って泣いてばかり、国に対して怒ってばかりの人生を送ったわけではない」という事を気づかせてくれた作品でした。
古い写真のような色の無いモノクロームな世界ではなく、今の我々と同じ血が通い、笑えもすれば泣きもする同じ人達なんですよね。
NHK「おはよう日本」でのインタビューにおいても、その考えは一貫しています。
簡潔な言葉ですが、確かにその通りだよなぁと...。
間違いなく、今生きている私たちは一人残らず戦争を生き延びた人達の子孫なのです。
最低でも、それを忘れてはいけないなと思いました。