どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

「2001年宇宙の旅」に「晩春」を感じる(2)

2018年11月07日 20時50分00秒 | 映画
前回考察の補足みたいなものではありますが...2003年「小津安二郎生誕100年記念 国際シンポジウム」が開かれ、登壇した映画監督・吉田喜重さんがこんな発言を。

日本の言葉には「未生の夢、未生の愛」という表現があります。生まれる以前の夢をわれわれは見てしまう。生まれる以前の愛を知る。お母さんのおなかに子供が宿るとき、お卸さんと子供は一体になっている。男性の場合はそういう経験がないにしても、その娘からすると、自分が生まれる前に父の肉体のなかにいたという愛があるわけです。生まれる前に見た夢を、生まれてしまったときにはもう忘れているでしょう。でも生まれる前に父の肉体のなかにおり、合体していた。これを近親相姦と呼んでいいかどうか疑問です。しかしそれが本当の人間の愛かもしれません。

話題として取り上げたのは「晩春」における余りにも有名なシーン。

京都を旅する父娘が、宿で夫婦のように床を並べるところで、鑑賞者に様々な妄想を抱かせてしまう場面です。


床につく紀子と、闇に妖しく光る壺...そのカットバックが二度も反復されます。

吉田さんの言う「未生の夢」との言葉を改めて聞き、「2001年宇宙の旅」におけるボーマンの臨終とスターチャイルドへの転生を想起してしまいました。


臨終を迎えるボーマンは、紀子と先に眠ってしまう父・周吉...そしてモノリスは壺...初めてそんな風に重なって見えてしまった。

猿から進化し、2001年までに到達した人類の歴史全てを「未生の夢」と括り、宇宙空間から新たな?青く輝く地球らしき惑星を見つめるスターチャイルド...あまりに壮大ですが、小津さんの「晩春」はそこまでも含めて語っているかのようにも感じてしまう。「人間生活の歴史や順序」なんてセリフもありますしね...。

壺の謎解釈も、性的なものを象徴しているのではないかとか、いや寧ろそういった妄想を封じ込め浄化する機能の器ではないか...など多々あり、「晩春」という作品を永遠普遍なものにしていて、モノリスと同種の匂いを感じてしまうのです(^_^)