高橋さんらしいドライで淡々としつつも、ズシリと重いものが残るちょっと不思議な感じもする
寄稿文です。
高橋さんのお母上が尾道駅から乗る予定だった昭和20年8月6日午前7時58分着・広島駅行きの汽車。
すずさんと同年代のお母上はホームシックのため一時帰郷、この日職場に戻るために駅の行列に並ぶも、一人前で売り切れとなり断念したと...。
この汽車は定刻通りに広島駅に到着していたら、間違いなく乗客は原爆の惨禍に呑み込まれている筈です。
高橋さんはことある毎にその話を繰り返し聞かされるも「特別の感慨を持つことはなかった」と。
最近「この世界の片隅に」を観て、そのエピソードを思い出したが、映画の強い実在感に比べて、母上のそれは「ひどく淡いものにしか感じられなかった」と語ります。
こういう話って人によって、あるいは家族関係によって、思いの度合いにかなりの差があるようですね。私も父母から散々戦時中の話を聞かされましたけど、語り口と同じ話の繰り返しで、重みを感じないことが多いんですよね(^_^;
でもひょんな事から史実を調べてみたりすると、大きな空襲に遭っていたりして驚いたりします。
ましてや劇映画で素晴らしいと感じてしまった作品世界の中に、自分の身内も存在していたと思うと大きくイメージに差異があり奇妙に感じるんじゃないかと思うんですよね。
高橋さんと言えば、以前BS朝日のドキュメンタリー番組「名作"東京物語"のふるさと尾道 ~小津安二郎が描いた昭和の風景~」を観ました。
作品に縁のある場所を巡ったりしつつ、幼少期の思い出を語っていましたが、その時にも母上のエピソードを話していたような気もします。
物心つきはじめたころに家族で上京したため、尾道は懐かしくもどこか後ろ暗いような中途半端なヨソ者意識にもなっているというような、チクリとした痛みのある場所らしい話をしていたような気もします。
こういうのも...私にとっての岩手県盛岡と同じ...出身地を書くときに何気に悩みます(^_^;