どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

この世界の片隅に、5月から配信開始

2017年04月26日 16時15分00秒 | アニメ
iTunesストアや、Amazonビデオなどでも予約受付を開始しています。

いつもなら「これでいつでもどこでも存分に楽しめる\(^o^)/」って感じで嬉しい気持ちになるところなんですが...今回はぞんな気分になれない。

逆に存在が遠くなる感じがして寂しい気持ちになってしまう...なんでじゃろ?

もちろん購入するでしょうけど、やはりこの作品は映画館で味わうべきものなんだなぁと思います。

上映館も今月を境にして次々に終了してしまうようですが、今後もイベントやリバイバルで上映の機会あれば足を運びたい...そんな作品です。

そして!リンさんエピソード補完バージョンも待ちたい!

「この世界の片隅に」はまだまだ続くと信じています(^_^)



Perfume、イベントグッズ!

2017年04月25日 20時50分00秒 | 買い物
6月、幕張で行われるPerfume FES!! 2017、2日(金)前夜祭の電気グルーヴ、3日(土)のチャットモンチー両日ともにチケットゲットしましたよ!

予想はしてたけど、前夜祭は本当に激戦状態で、PTA先行は一次・二次ともに外れ、e+でも2回落選...ダメ元で応募したチケットぴあでやっと当選という(^_^;

...で晴れて2デイズ参加じゃ〜というところでグッズの情報(*^o^*)

よっっしゃ、どれどれ〜♪

≪Perfume 2017 イベントグッズ≫
【1】パーーーTシャツ size:S / M / L / XL / レディース 各¥3,000
【2】フラワーTシャツ size:S / M / L / XL / レディース 各¥3,000
【3】パーーータオル ¥1,500 
【4】サコッシュ ¥2,000
【5】TOKYO GIRL ミラー ¥800
【6】着せかえぱふゅそうこう ¥500
今期のデザインコンセプトは「長ーーーい『Perfume』の文字」だそうな...確かにロゴ文字の下辺をズズ〜っと伸ばしておりますねぇ(^_^)

いつもながらにTシャツにタオルと...ん?

サコッシュってなんだ?

スペックは...
本体:約 縦24㎝、横32㎝
ショルダー:約 幅2cm×長さ62cm~130cm(長さ調節可)
ポーチ:約 縦10.5㎝、横18㎝

小型のショルダーバッグみたいですね。

調べてみると、自転車のロードレースで使われている簡易な補給袋のことらしいです。

いろんな呼び方があるんですねぇ...。

絆創膏ってのも面白いですね。

29日(土・祝)13:00よりアスマートでも販売開始、ポイントもたまってるんで、通販で購入しておこうかと思います(^_^)



4月24日(月)のつぶやき

2017年04月25日 04時43分13秒 | 日記

この世界の片隅に、こうの史代原画展がタワレコ渋谷で開催!

2017年04月24日 20時55分00秒 | 日記
5月13日(土)〜30日(火)の期間!

8Fの催事場”SpaceHACHIKAI“...ここって1年半ほど前にPerfume展やった会場ですな(*^o^*)

ほどよい広さのある良い会場です。

「この世界の片隅に」に絞った原画展示らしいので、去年の呉市立美術館で行われた「マンガとアニメで見る『この世界の片隅に』展」の縮小版という感じなのかもしれないですね。

この動画は開催初日に行ったときのものです...すごく良い思い出です(*´д`*)

さて、来月の原画展でこうのさんによる記念ポスカが配布されるとのこと!

最近お気に入りのボールペンでのイラストですね。

こうのさんの手によるすずさんは大人びていたのですが、アニメの影響なのかドンドン可愛い方向になってますねぇ(^_^)

ってことでさっそく前売り券をゲットです!

ちなみに写真のポスカは呉市立美術館で、「公式アートブック」購入特典でいただいたものでございます(*^o^*)

タワレコでの会場では、記念グッズや原画を忠実に再現した直筆サイン入りアートグラフ(高画質デジタル複製画)の販売されるとのことで、財布のヒモが緩みそうで怖いです(^_^;

なにはともあれ、連休明けが楽しみじゃ!!



メガネが...(@_@;)

2017年04月23日 18時35分00秒 | 生活
昨夜、何気なくメガネを外したら...ツルがポロッと力なく折れてしまひ...。

経年的な金属疲労的な感じで(?)、蝶番部分が欠損した状態のようで(´д`)


このところゆがみが酷く、不安定だったんですが、とうとうダメになってしまいました...使ってから5年4ヶ月以上か...まぁそろそろ替え時かなぁとは思っていたんですけどね。

とにかくこのままではいられないので、近所のメガネ屋さんに行きました。

相談事は優先順位として
(1)ツルの補修(部品交換含め)は可能か?
(2)レンズのみを新しいフレームに転用可能か?
(3)新規購入しかないのか?
..ですが、(1)はメーカー確認と取り寄せで一ヶ月前後はかかりそう、(2)は現状のフレームより小さければ可能だが時間はかかる。

まぁ...期待はしてなかったのですが、現実的には(3)しかないってことでね(^_^;

購入して2年以内なら(1)・(2)に執着しちゃうかもですが、もう5年以上経ってるし、素直に新調することにしました。

遠近両用なので、一週間はかかるようです。

その間は今のメガネでなんとか凌ぐ必要があるので...。

セロテープで(笑)

この部分の応急処置はこれしかないそうですわ...はぁ(´д`)



久々に小津本を読む。

2017年04月22日 17時50分00秒 | 
映像文化を志す人へ 小津安二郎の映像を読み解く」。


著者は長年テレビ局に勤務、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わった人だけにビジュアル面から小津安二郎作品に迫り、解釈していくという形式です。

主に紀子三部作「晩春」「麦秋」「東京物語」を取り上げ、独自に絵コンテを起こして解説しているので、イメージしやすく、とても楽しく読めました。

でもなんか読み進めていくとですねぇ...まるで「この世界の片隅に」の解説をしているような錯覚をおぼえてしまうという奇妙な感覚もありました(^_^;

「例えば“笑い”というシチュエーションを考えてみる。観客の潜在的な感情が作品と重なった時、初めて笑いを誘うのである。そこにあるのは”嘘”のない笑い、これがリアリズムだと思う。決してギャグではない”真”の笑いである」

「作品の意図した”もののあわれ’”を表現するには、ドラマチックなものは妨げになると小津は常々考えていた。だから劇的な表現は自分の作品には不必要なものである。”もののあわれ’”という東洋的な映像を印象づけて描き出すには、静かに鎮ませた鈍色の映像が不可欠というのが徹底した信念であった。観客自身に、少しでもドラマの余韻を埋めさせるにはこの方法しかないと小津は腐心した」


小津作品の論考として特に目新しいものではないのですが、映画作品としての「この世界の片隅に」触れた後だと、やはり自分は小津的な要素に喜びを重ねていたを再認識できるんですね(^_^)

逆にいえば、監督の片渕さんは「この世界の片隅に」をもって、アニメ作品で初めて「もののあわれ」の領域に到達できたんじゃないかと思ったんです。

「この世界の片隅に」は説明調になることを避け、ドラマとしての起伏やテンションの高低差も少なく淡々としていますが、観客がその行間を埋めることで完成するという理想的な作品です。

「余白」とか「余情」と言われるものにつながっていきますが、これは以前、高橋治著「絢爛たる影絵」をご紹介しましたが、その中で若き高橋が執筆したシナリオを見ての小津の鋭い感想を思い起こします。

「上手くないね。君のは勘定合って銭足らずだ」
「どういう意味ですか」
「ああ、なにもかも全部書いちゃっちゃ駄目だということさ」
『東京物語』の撮影中、隠せ、隠せと出演者にいい続けた小津の姿が咄嗟に頭に蘇った。
「大事なのは勘定が合うことなのかい。それとも銭が残ることなのかい」
自分の体験を脚色したものだっただけに、そのシナリオは思い入れが過剰で、確かに説明的だった。 シチュエイションとストーリーはよくわかる。が、それが人を揺り動かすものに高まっていない。それを小津は勘定だけが合っているといったのだ。
「映画の人物というのは、懐に、なんか刃物のようなものをのんでなきゃ駄目なんだよ。確かに刃物がある。それがどんなものか、いつ抜かれるか。客はわくわくしながらそれを待っててくれるのさ。あのシナリオはあけっぴろげで、腰巻チラチラさせてる女みたいだな」
まさに袈裟がけに一刀両断だった。


世の中「あけっぴろげで、腰巻チラチラさせてる」作品がどれだけ多いことか!(^_^;

時空を超えて、今でも小津安二郎は問いかけ続けていると思います。

「この世界の片隅に」が好きで、何度でも映画館に足を運んでしまうのは、正に「銭が残る」からなんです(*^o^*)



4月21日(金)のつぶやき

2017年04月22日 04時48分55秒 | 日記

この世界の片隅に、尾道と高橋源一郎と

2017年04月21日 20時05分00秒 | 話題
高橋さんらしいドライで淡々としつつも、ズシリと重いものが残るちょっと不思議な感じもする寄稿文です。


高橋さんのお母上が尾道駅から乗る予定だった昭和20年8月6日午前7時58分着・広島駅行きの汽車。

すずさんと同年代のお母上はホームシックのため一時帰郷、この日職場に戻るために駅の行列に並ぶも、一人前で売り切れとなり断念したと...。

この汽車は定刻通りに広島駅に到着していたら、間違いなく乗客は原爆の惨禍に呑み込まれている筈です。

高橋さんはことある毎にその話を繰り返し聞かされるも「特別の感慨を持つことはなかった」と。

最近「この世界の片隅に」を観て、そのエピソードを思い出したが、映画の強い実在感に比べて、母上のそれは「ひどく淡いものにしか感じられなかった」と語ります。

こういう話って人によって、あるいは家族関係によって、思いの度合いにかなりの差があるようですね。私も父母から散々戦時中の話を聞かされましたけど、語り口と同じ話の繰り返しで、重みを感じないことが多いんですよね(^_^;

でもひょんな事から史実を調べてみたりすると、大きな空襲に遭っていたりして驚いたりします。

ましてや劇映画で素晴らしいと感じてしまった作品世界の中に、自分の身内も存在していたと思うと大きくイメージに差異があり奇妙に感じるんじゃないかと思うんですよね。

高橋さんと言えば、以前BS朝日のドキュメンタリー番組「名作"東京物語"のふるさと尾道 ~小津安二郎が描いた昭和の風景~」を観ました。

作品に縁のある場所を巡ったりしつつ、幼少期の思い出を語っていましたが、その時にも母上のエピソードを話していたような気もします。

物心つきはじめたころに家族で上京したため、尾道は懐かしくもどこか後ろ暗いような中途半端なヨソ者意識にもなっているというような、チクリとした痛みのある場所らしい話をしていたような気もします。

こういうのも...私にとっての岩手県盛岡と同じ...出身地を書くときに何気に悩みます(^_^;