何をやっても経営が好転しなかった悲運の遊園地が、京都にかつて存在しました。1964年(昭和39年)に、「八瀬遊園」としてオープン。当初は人気の2つのプールと「くじらが泳ぐ水族館」で集客したものの、遊具が人気のない遊園地だった為、車社会が到来して若狭方面への海水浴客が増加すると経営は徐々に悪化。
そこで1983年(昭和58年)に、若者向けスポーツ遊園地としてリニューアルオープンしたのが、今日ご紹介する「スポーツバレー京都」でした。河原町から大原方面に車で約30分。洛北の緑の谷間のスポーツ・レジャーランド。約10万平方メートルの敷地に、3輪バギー、パワーボードといったモーターサイクルものと、ローラースケート、トライサイクル等の人力ものを併せ持つ新しいタイプのレジャーランドでした。
大阪・河内長野のサイクル・スポーツセンター開発にも技術協力した、元ホンダ技研の竹内社長と宮下副社長のコンビが考え出した乗物の遊びセンスは抜群。
人気のモトクロスは、女性にはノークラッチの小型マシンも用意されていました。
ホンダATC70ccには、初級・上級コースがあり、どちらも3~5分で1周。簡単そうで結構難しいと、何度でも楽しむことが出来ました。
左は小さなエンジン付きのスケボー「パワー・ボード」。右は全長800メートルのコースを走るキャンナムカーで、かなりの迫力がありました。
これはスズキの50ccエンジン搭載のバンパーボート。
オープンの年から京都・大学対抗アスレチック・ミーティングを主催して話題を集めたり、スポーツバレー・オリンピック等の企画が豊富で、レストラン、スタンドのメニューも、若い女性スタッフが自ら考え出したもので一杯でした。
ここを遊び心をもって楽しむ若者が増えて欲しいと思っていたのですが、経営は好転せず、1999年(平成11年)には、森の中に位置していることから「森のゆうえんち」としてリニューアルを図りましたが、これもまた実りませんでした。2001年(平成13年)11月30日にわづか2年の短命で閉園。跡地には会員制ホテル「エクシブ京都八瀬離宮」がオープンし、今やかつての面影は全く残っていません。