僕が小さな頃、近所の友達はみんな2年保育に行っていました。幼稚園に行っていない僕は、朝から幼稚園に行った友達が帰ってくるのが待ち遠しくて仕方がなかった。その間、外に出るのが恥ずかしいと思った頃もありました。「どうしたの?幼稚園に行かないの?」と、近所の人に言われることがあるからです。そんな時、訪問販売の人が我が家にやって来ました。「あいうえおブック」というひらかな、カタカナの本を販売に来たのです。
あいうえおブックは、世界文化社という会社の本でした。昭和40年発行で、全23巻。
定価は1冊320円でした。
少年マガジンほどの大きの白いハードカバーの本で、定期的に自宅に送って来ました。日本の民話、海外の童話のダイジェストや、いろんな内容が掲載されており、折り紙の折り方、紙飛行機の作り方も載っていました。オールカラーのその本を見て、自分から「買って!」と母親に頼んだことを今でも覚えています。母親は父親に相談もせず即決で申込をしてくれ、毎号本が届くたびに、「あ」「い」「う」という基本を教えてくれました。全部で20冊以上あったと思います。おそらく当時にしたら結構な値段の本だったのではないでしょうか。
これで文字を覚えた僕に母親が次にくれたものは、「少年マガジン」と「少年サンデー」。当時、母親は洋裁でオーダーメイドの女性服を縫っていました。そのお店「いづみや」という大阪は豊中市・服部にあったお店から仕事をもらって、自宅で縫って納品していたのですが、このお店のお姉さん、お兄さんが読み終えた週刊誌をもらって来てくれたのです。「あしたのジョー」などは連載開始からリアルタイムで読んでいました。漫画の本には漢字に「ふりかな」があるので、幼稚園世代の僕にも読めるわけです。そうやってマガジン、サンデーを制覇した(笑)僕は、次に図書館に通うようになりました。そこで「なぜ?なに?」の科学本?を読み、偉人伝を片っ端から読みました。この頃には大抵の漢字も読めるようになって行きました。
自慢になりますが小学校に入った時には、勿論普通の子供のようにウルトラマンの怪獣図鑑も宝物でしたが、大人が読む文庫本で、新潮文庫の「シャーロック・ホームズ」も読んでいました。もし母親が、「あいうえおブック」を買うことを、ためらったり、父親に相談して「まだ早い」なんて言われて買ってくれていなかったら・・僕の人生は変わっていたと思います。文字を読めるようになり、友達が幼稚園に行っている間、時間のあった僕はいろんなことに興味を持ち、知識を得て行きました。最初のきっかけは母親でしたが、その後は子供の好奇心です。中学校時代のIQは140でした。
もし母親が早い段階で文字を教えてくれていなかったら・・・教育、そして自分で考え行動するということを子供に与えることは大切だと思います。