いわゆる現役世代から退く時期になると、実際には「自分はまだ若い」という部分と、「年とったな~」の部分が混在して来ます。真実は「心は未だ若く、身体は年月と共に・・」ではないでしょうか。
そう思うのが、今日の写真。これは大阪は、阪急宝塚線・蛍池駅の昭和40年代初期と現在。どちらもほぼ同じ場所から同じ角度で撮影したものです。古い写真は駅の正面を撮影したものですが、当然自動改札も券売機さえもありません。
僕はこの当時の記憶はハッキリ持っています。撮影者の立ち位置は、駅前商店街の真ん中。左右には左は布団屋、果物屋、本屋、ボタン屋、電気屋。右はカメラ屋、新聞屋、飲み屋、靴屋、レストランと賑わっていました。そして撮影者の後方に、中央市場やパチンコ屋、喫茶店、花屋、床屋、氷屋・・・。公民館は現在も当時と変わらずあります。
今はモノレールと阪急電車が相互乗り入れする駅になり、左右は大きな商業ビルに。線路の位置は変わっていませんが(高架ではない)、モノレールとの兼ね合いで、改札口は高架の上になり、ホームは地上に降りる形になりました。モノレールの1つ先の駅は大阪空港、反対は千里中央・万博公園・門真方面。バス亭からは関空行の高速バスも出ています。梅田に出るのも、宝塚経由で西宮や神戸に行くのもアクセスが便利。だから、地元のお店は・・・さびれました。
隣石橋駅やその次の池田~川西の方が賑わっています。大阪方向の豊中・岡町の方は逆に静かな町になりました。
この古い写真に写っている世界で、僕たちは間違いなく子供時代を過ごしました。秘密基地を作ったり、虫取りをしたり。カブト虫・クワガタ、カミキリ、オケラ、ゲンゴロウ、タガメ、シオカラトンボ、何よりも玉虫まで毎年採集していました。
皆さんも自分が育った町の、自分のご近所の写真を探してみれば、自分が長い間生きて来たことを実感すると思います。僕が就職した頃は55歳定年でしたから、僕もとっくに老後を楽しんでいる年齢になっています。心は若く、身体のケアはそれなりに!特にコロナの影響での、知らず知らずの2年間の運動不足は、健康を蝕んでいる可能性大です。