ナンバのロケット広場を覚えていますか?北摂に暮らした人には馴染みがないかも知れませんが、ミナミの待ち合わせ場所として有名でした。
僕も難波での待ち合わせ場所に、ここを使っていました。大阪府立体育会館でのプロレス観戦の際や、南海ホークスの試合観戦の時には特に。ビリー・ジョエル、エリック・クラプトン、ジョン・デンバーのコンサートが、鉄骨剥き出しの天井の旧・大阪府立体育会館で開催された時も、ここで友人と待ち合わせをしました。
「ロケット広場って、変な名前やな~。ロケットでも置いているの?」
「そう。」
え?あっさり「そう」と言われて「?」のまま、初めてここに行った時は驚くやら、馬鹿馬鹿しさに笑ってしまいました。本当にロケットがあったからです。
そもそも防災上の問題から、高島屋となんばCITYの間を1,000平方メートル空けるように、国が指導したことから、その当時の宇宙ブームに乗って、1978年(昭和53年)にロケットを設置しました。ロケットは、1977年(昭和52年)に日本初の静止衛星「きく2号」を打ち上げた「N-Iロケット」の1:1模型(約33m)。何とN-Iのメーカーである三菱重工業が製作したもので、地下1階から大空に向けてそそり立っていました。
2000年頃を境に、ポケットベルや携帯電話の普及などで待ち合わせの利用者が徐々に減少。所有者の南海電鉄は、2007年8月に「ロケット」を撤去し、「ロケット広場」の名称を「なんばガレリア」と変更しました。現在は、難波駅の1階と3階を結ぶ、高さ30メートル、広さ1,200平方メートルの明るく開放的な吹き抜け空間となりました。
撤去の日の写真
撤去後の現在。
こんな広場があったとは、関西人以外の人々や、今の若者には信じられないかも知れません。