昨日お伝え出来なかった、大阪地下街の中心から東への通路についても書いておきたいと思います。
曽根崎警察前から北へ向かう通路を、コマ通りと呼びました。北へ向かうとまず、コマ通りからの脇道がありました。これが「OS通り」で、突き当りから地上に上がると、文字通りシネラマで有名だった「OS劇場」がありました。
このOS通りには飲食店が沢山あり、よく覚えているのが、この界隈で最も多くの座席を持つ喫茶店「マイアミ」でした。雑多な人々が買い物休憩に立ち寄るお店は、カップルのデート向きであるお洒落なお店ではありませんが、いつも賑わっていました。
その先には左には阪急グランドビルに通じる階段があり、右は1980年にオープンした「ナビオ阪急」への連絡通路がありました。出来立てのナビオ阪急は、ちょっと高級感溢れるブティックとお洒落な飲食街、映画館が売りでした。
そして、阪急ファイブ(ファイブについては後日特集します!)があり、ナビオと狭い道路1つ隔てて建っていたのが、今は無き「梅田コマ劇場」でした。コマ通りの名前はここから来ています。
この左に1980年代は国鉄と呼ばれたJRの線路があり、そのガード下に同じく80年にオープンしたのが今も残る「エスト」です。オープン当時は個性のある品物を置いているお店が沢山入っていました。現在のようなフードコートが入るような場所ではなく、遥かに高級感がありました。
阪急ファイブへの通路のあった「花の広場」より北の通路を「プチシャン」と呼び、左が阪急三番街、右にスポーツ、音楽、映像の専門店「阪急イングス」がありました。ここは今では広いフロアが100円ショップになってしまいました。どんどんどこの駅にもあるような安いお店が、高級店を侵食して行ったのを見るのは悲しかった。
そしてプチシャンは、このプチ北広場でおしまいでした。中心地から北は阪急村への通路だと言って良いと思います。
この近くには跳ねる噴水がありました。
1990年当時は待ち合わせの新スポットとして、この噴水は認知度アップ・ナンバー1でした。アメリカのディズニーワールドでも好評のウェット社の特許版でした。七色の光を受けて、まるで生きているように跳ねながら、輪を潜り抜けて行く水のシェイプは、その仕掛けを考えているだけも楽しかった。因みに第三水曜日が休みでした。