青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

70年大阪万博 ウルグアイ館の今!

2020-10-27 | ぶらり散歩

丁度1年前の秋、万博公園で開催していた「大阪万博ビフォーアフター展」に行った時のこと。

館内の懐かしい「万博goods売り場」で販売担当をされていたのが、白井達郎氏。氏は1970年の万博の「ウルグアイ館」の1部を自宅に移設、自宅を「万博ミュージアム」にしている方でした。万博当時の話がとても楽しかったです。

現在は閉館しているそうですが、調べてみると僕のすぐご近所で、小学校に面した場所にありました。写真の看板、黄色と青の鉄骨が、ウルグアイ館の本物です。スゴイ人だな~。驚きました。外観はこのように見ることが出来るわけですから、毎日通学中の子供たちに夢を与えていると嬉しいですね!

 

宮崎美子、表紙はこれ!~40周年記念カレンダー

2020-10-26 | 本は友達・読書も大切です!

女優・宮崎美子さんの芸能生活40周年を記念し、12月25日に発売される「宮崎美子40周年カレンダー&フォトブックセット」の、カレンダー表紙画像が、先週23日にリリースされました。

カレンダーの内容は、話題となったビキニカットや、このブログでも紹介した、白いドレスに素足で表情が見えるカットなど全8枚の撮り下ろしカレンダーとなっています。

後は、フォトブックセットのサイズやページ数などを教えてもらいたいものです。6,600円決して安くはないので。(笑)

 

“ 手描き看板 ” が懐かしい ~新世界国際劇場

2020-10-26 | 昭和の映画館

レンタルビデオもDVDも無かった、70年代から80年代初頭。映画好きの僕が、本で知った「世界の名作洋画」を観ようと思えば、TVで放送されるのを待つしかありませんでした。「風と共に去りぬ」や「ゴッドファーザー」「大脱走」「荒野の七人」がオンエアされる時は、数週間前から楽しみで仕方がありませんでした。放送は前編・後編の2週にまたがり、後編を待つのが苦痛でした。もしくはUHF放送局の深夜放送で、眠い目をこすりながら、B級西部劇や白黒の古い洋画を楽しみました。

しかし、テレビでいつ放送されるか分からない映画を待つよりも、自分から名画座を探した方が、1本でも多くの名作が楽しめました。1番よく行ったのが大阪・十三にあった「弥生座」。そして時には、天王寺やトビタ、新世界と言った物騒な街まで映画観たさに足を運びました。

「新世界国際劇場」は、今も残る名画座です。しかも今も手描き看板を掲げている劇場です。コロナウイルスで今年の春に閉館していた時は、こんなユニークは架空の作品の看板を掲げていました。「フェイクニュース」「決断~戒厳の長き夜」「コロナマン」の3本立て!(笑)

手描き看板を描くのは、手描き看板師の八条祥治さん。看板1枚を2日で仕上げるそうです。現在、日本広しと言えども、手描き看板はこの映画館だけになりました。

昔はあちこちにこういう映画館があり、阪急電車の車窓からは、梅田駅の手前の左右の線路沿いには、大きな映画の看板がズラリと並んでいました。今はそういう光景を見ることは叶いません。新世界国際では、毎週3本立ての映画が変わります。看板が新しくなるのは、毎週火曜日です。

劇場関係者の方々の努力を考えると、あまり言ってはいけないことですが、ここに行くならお昼間がオススメです。女性だけで行くのは避けた方が良いでしょう。正直、大阪の中でも治安の良くないエリアです。「どついたるねん」「王手」、「ビリケン」といった「新世界三部作」や、NHKの「ふたりっ子」舞台にもなり、イメージが改善されたものの、新世界は昔は隣に飛田遊郭があり、今は大阪きってのゲイタウンです。

そして、この新世界国際劇場の地下にある新世界国際地下劇場は、昔は名画座でしたが、今はポルノ映画館です。聞き慣れないかも知れませんが、「ハッテン場」としての顔を持っています。2つの劇場を、間違えて入らないで下さいね。

劇場の中は、このように誰もいなければ綺麗なものです。そこに集まる人たちのタイプによって、この映画館が「危ない場所」だと言われるのです。

昨今世の中の多くの人は、LGBTに対して非常に理解が深く、それが為に彼らに法的な配慮までも検討している。しかし、一方、大阪のこういう町がなぜ「危ない」「怖い」「治安が悪い」というイメージが今も持たれているのか?世界的な大都市ニューヨークにも怖い場所があるのか?そういう事も全て考え併せた上で、LGBT等に対しても考えるべきで、何も知らずにリベラル面して、LGBTに理解を示さない人を糾弾するのは慎んで欲しいと思う。僕は頭の固い年寄りで、子供たちが目にする時間帯に、そういう人たちを多数テレビに出すことにさえ反対です。

事実として、僕は大学時代にここに映画を純粋に観に行った時(どうしてもジョン・ウェインの西部劇特集をやっていて観たかった!)、横に座って来た男が股間に手を伸ばして来て憤慨しました。当時の僕は柔道2段。自分で軽く撃退しましたが、「何するんや?」とお仲間が集まって来た時は、物凄く不愉快な思いをしました。それから名画座には行かなくなりました。

もし、こういう率直な意見や事実を個人的なブログで書いて、あれこれ言われるようなら、それこそ言論の自由の侵害だと考えます。

 
 

畳の下から “ 木村政彦 ”

2020-10-25 | こんな「モノ」ありました!

まだまだ年末の大掃除には時期が早いですが、僕は大掃除が大好きでした?子供の頃は大掃除をすると、机の中から五百円札(古!)が出てきたり、写真や本が目に止まってつい読んだりしたものです。自分の部屋以外に目を移すと、応接間のソファの掃除をするのが楽しみでした。背もたれと座面の間の奥が、意外や硬貨の宝庫だったりしたものです。親父は小銭を財布ではなく、ズボンのポケットに入れており、そのままソファでうたた寝をすると、ポケットからこぼれた小銭がそこに落ちて行くのです。

学生時代には喫茶店や市場(現在のスーパー)などの、年末の大掃除のアルバイトをしたものです。喫茶店なら壁・天井のヤニを拭き取るのに、頭がヤニと洗剤の混ざったものでグリースのように固められたものですが、最悪なのは市場の焼き鳥コーナーやコロッケなどの揚げ物コーナーの換気扇の掃除。「こてこて」の脂と洗剤・水の混った液体を、頭から全身に被るのですから服はアウト。いくらお風呂に入っても、2~3日は臭いが身体から取れませんでした。高圧洗浄機のような便利なものはなく、手で洗うのが当たり前の時代でした。

もっと凄かったのは、このバイトの副収入でした。市場の床には排水溝があちらこちらに走っており、その上には鉄板でフタがされています(写真の黄色枠参照)。それを持ちあげ掃除するのですが、ゴキブリの死骸などかわいいもので、ネズミの腐乱死体まで出て来ます。しかし、そこには水で溶けかけた1万円札、五千円札、千円札、百枚近い硬貨が落ちているのです。🤩この合計が3万円以上あったので、自ら進んでこの「人の嫌がる仕事」をしました。

今だから時効で話せますが、この臭い硬貨は自動販売機に入れ、返却ボタンを押すと、当時は入れたものとは違う硬貨が返って来たので、それで綺麗にして「マネーロンダリング」とふざけて呼びました。お札も同じように両替機で1万円札を千円札に。千円札は硬貨にマネーロンダリングしたものです。

最近はあまり見ない光景ですが、やはり大掃除といえば、畳をあげて叩いたものでした。そして畳の下に敷く新聞紙を交換する。これを田舎で行った時に、とんでもないお宝を僕は見つけ、僕は今もそれを持っています。それがこの新聞です!

僕が所持する最も古い新聞。昭和29年12月21日の新聞です。翌日12月22日に蔵前国技館で開催された、プロレス日本ヘビー級王座決定戦「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と言われた日本史上最強の柔道家、鬼の木村政彦7段と力道山の1戦についての、決選前日の木村先生のインタビューが掲載されている新聞だったのです。

その新聞の下には、その1戦の広告が載っています。リングサイドが何と3,000円!その後1,500円、1,000円、500円、300円と、座席の値段が続くのですが、この当時のサラリーマンの月給が1万円そこそこの時代ですから、これはかなりの高額です。こういうことが分かるお宝が大掃除の時に見つかる。僕に見つけられるまでに、20年間も眠っていたのです。そしてもう1つ分かったこと・・そう!爺さん、東京までこの世紀の一戦を観に行っていたのです!(笑)お爺さんの代からプロレスファンだった我が家に伝わる、奇蹟の物語でした。

 

“ あの空に太陽が ” が 何とDVD化です!

2020-10-24 | 青春・名画劇場

1975年の映画「あの空に太陽が」をご存知の方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。僕もどこの映画館で観たかは覚えていませんが、なぜこの映画を観たかは覚えています。主題歌 "A Window to the Sky"を、当時大人気だったオリビア・ニュートン・ジョンが歌ったからです。

当時買ったサントラのLPレコードは、今も持っています。と言うのは、何年か前にオリビアのオールタイム・ベストをファン投票で選んでCD化したのですが、その時にこの曲を投票したものの、選ばれませんでした。しかし、この投票をした人の名前が何人か選ばれ、CDジャケットに掲載されるということで、僕の名前は選ばれて載りました。(笑)

この名曲がCDに収録されなかったのは、サントラのレーベルと、オリビアのその他の作品とのレーベルが違ったからでしょう。アルバム「そよ風の誘惑」「クリアリーラヴ」を発表した第一期黄金時代の曲ながら、ウィペディアのオリビアの「ディスコグラフィ」にさえ、載っていないのも解せません。

今回DVD化、ブルーレイ化されるのですが、アマゾンのその商品説明にさえオリビアの名前が出ていません。これでは、宣伝文句の片手落ちというものです。

映画のストーリーは、1956年度冬期オリンピックの選手だったジル・キンモントに起きた実話を基にしたもので、競技中の事故によって脊髄を損傷、首から下が麻痺し車椅子の生活を余儀なくされた女子スキー選手が、周囲の愛情に支えられ学校教師となるまでを描いたもので、続編も作られました。

なかなかの曲なので、ぜひオリビアを知っている方には聴いてもらいたい1曲です。勿論映画も悪くありません。原題は「THE OTHER SIDE OF THE MOUNTAIN / A WINDOW TO THE SKY」、邦題は「あの空に太陽が」。当時の映画には「いつも心に太陽を」とか「サンシャイン」とか、太陽をイメージした題名が多かった時期だったからでしょうか。