青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

日本専売公社・梅田たばこサービスセンター

2023-02-10 | 昭和・懐かしい大阪の風景

喫煙は今では完全に「悪しき習慣」のように扱われていますが、80年代の喫煙率は相当なものでした。町中至る所にタバコの自動販売機があり、禁煙の喫茶店を探すなんて至難の業。20歳の禁煙なんて言葉があったほど、男の子はカッコつけて喫煙したし、可愛いあの子もファッションのように手を出したこともある。TVドラマや映画の中でも、み~んなタバコを吸っていたし、TVのタバコのコマーシャルもハリウッド俳優まで使い、雑誌の裏表紙はタバコかウイスキーの広告といった具合に、世の中タバコだらけでした。

初めてタバコを吸った時の感動は忘れられない。でも、今では習慣になってしまい面白く無い。そんな時に行くのが、「梅田たばこサービスセンター」でした。写真は駅前第一ビル1Fのお店。看板が「日本専売公社」となっています。(笑)梅田以外にも、千里中央、神戸大丸、京都大丸、虹のまちにもありました。

ここには当時、洋モクのフィルターたばこだけでも78種、国産でも36種類のたばこを置いてありましたので、知らないタバコだらけ。いつもの銘柄を離れて未知なるタバコで、新鮮さを取り戻すなんてことを考えた人が多かった。

手作りパイプ用の素材も置いてあり、第1、第3土曜日には無料の教室が開催されて教えてくれていました。

既製のタバコでは物足りないという人は、ハッカをフィルターにしみ込ませて即席ハッカタバコにしたり、アパラギをしみ込ませてインドタバコ然にしたり。インド風タバコを楽しみたい人は、写真のアパラギとランバージャックのペアがベストでした。

映画を観てかぶれた人には、このエスタードという名前のタバコ巻き機も流行。英語辞書のページを破った紙で、タバコを巻くなんて人も大学時代には周囲にいました。(笑)器用な人はタバコの紙をスッと舐めて、その場でタバコを巻いて火をつける・・・なんて強者もいました。

昔はこういうお店の紹介には・・・

必ず綺麗な女性店員さんの写真も、雑誌などでは掲載されていましたね。今と違って世の中が大らかで、やれプライバシーだ、個人情報だと目くじらを立てなくても平和な世の中でした。雑誌には文通募集コーナーがあり、そこには住所・氏名が堂々と掲載されていましたし、卒業アルバムにも生徒の住所・氏名・電話番号も掲載されていました。NTTの電話番号調べのサービスも、普通に使われていました。

今は世の中が便利になって、法整備も進んだのに、陰湿な犯罪やストーカー行為が増えました。人間が馬鹿になるのが止まりません。


元気だった “片山商店街 ~ファミリーロード”

2023-02-09 | 昭和・懐かしい北摂の風景

時代と共に変わるのは「景色」だけではありません。「地名」や、その土地にゆかりの「名称」さえも変わって行きます。

「ファミリーロード」という名称をネットで検索すると、設立70余年の大阪府八尾市のファミリーロードがズラリと出て来ます。数ページ見ましたが、八尾市のものばかり。ファミリーロードの後に吹田市と入れて検索しても、出てくるのは八尾市のファミリーロードばかり。しかし、大阪府・吹田市にもファミリーロードはありました

ここは昭和57年(1982年)の吹田市。国鉄吹田駅北口付近の片山商店街です。国鉄吹田駅東の地下道を抜けた辺り、ゲートに「片山商店街ファミリーロード」と掲げる。

駅南側に「吹田さんくす」が完成し、この当時は駅北口周辺の再開発が課題となっていました。ここを歩いて買い物をしました。今も残っているお店もありますが、この頃と比べれば現在の町は綺麗になりましたが、寂しい雰囲気になってしまいました。

 


“Windows95” を手に入れた日!

2023-02-08 | 昭和・思い出は色褪せない

今ではPCは大抵の会社で、皆さんに使われています。たいていの人は自宅にPCを持っていますし、PCが無くてもスマホからインターネットにアクセス出来ます。でも、僕が働き盛りの時代には、PCはまだまだ一般に普及していませんでした。

96年の5月、僕は仲の良い友人達とゴルフに行きました。楽しいラウンド後のコーヒーの席で、彼らは何やら僕には理解出来ない話を始めました。

それがパソコンの話でした。

A氏が会社でPCを使わなければならない羽目になったので、パソコン開発者のS氏、それが趣味のI氏がPCの説明をしていたのです。自分は完全に蚊帳の外。口惜しいと共に恥ずかしくなりました。同じ社会人として遅れを取りたくないと思い、質問をしました。

「そのPCって、何が出来るの?」
「何でも!」
「本を作ったり、新聞を作ったり出来る?」
「当然。そんなの序の口」
「音楽を作曲したり、譜面をおこしたり出来たら楽なのに」
「それも出来る。メールやインターネットで通信費を安くして、海外との交流も出来る!」
「それじゃあ、まるで僕の為に発明されたようなものじゃないか?」
「その通り!」
「じゃあ、買ったら使い方を教えてくれる?」
「いいよ!」

僕もPCを購入しようとすぐに決意しましたが、いかんせんお金が無い。そこで自分のコレクションのCDや映画VTR、値打ちもののコレクターズ・レコードを惜しげも無く売り払い、思い切ってPCを購入したのです。僕は一つ新しいことにのめり込むと、それまで夢中になったものでも換金します。最初から買わなかったらいいのにと言われることも。しかし買ったものは、なぜか買った時以上の値段で売れて、毎回株のように利益を得ています。(笑)



購入したのは、富士通のディスクトップでした。

さて購入後PCを使い倒す為に、I氏に質問攻め。ところが「人に教えてもらうのは部長以上の年寄り。君は部長じゃないから自分で勉強しなさい。」とのオコトバでした。とんでもない食わせ物 いや、良き友人です。(初歩は自分で独学しましたが、高度になってくると親切に教えてくれました。)自分で学ぶ。当たり前のことです。

この直後、長年の柔道での無茶がたたり、右膝半月板及び靭帯の手術・入院のため、三カ月も会社を休むことになり、幸運?にも病院で、そして自宅でゆっくりPCの勉強が出来ました。

早速電子メールを導入。距離が離れていたり、なかなか電話連絡が出来ない友人たちとも頻繁にコミュニケーションが取れるようになり、ネットワークがますます広がって行きました。まだメールが一般化していない時期に、音楽ファイルや写真を添付して送ったり、ホームページを丸ごと圧縮して相手に送ったり、JAVAも含め、かなり最新の技術を皆で学んで楽しみました。

インターネットに接続し、ゴルフのマスターズや全米オープンの日本でのTV放送開始前に選手のスコアをリアルタイムで知ることも出来ましたし、TVに映らない選手のスコアも調べる事が出来ました。知りたい情報を真夜中でも入手。友人から受ける刺激は本当に自己啓発に繋がります。もし、あの日のゴルフが無かったら・・・考えただけで恐ろしい。人生が変わっていたでしょう。友人は大切にしなくてはなりませんね。皆いろいろな情報・知識の引き出しを持っていますから、常に刺激があります。

仕事でもPCは大活躍しました。JavaやJavaスクリプト、簡単なビジュアルベイシック、エクセルの関数などはマスターし、仕事でPCを使って業務効率を上げて行きました。ところが、「そんなものを使って、自分だけが楽をしていいのか?」という言葉を上司が口にした時、僕は転職を決意しました。誰もが躍起になってPCの使い方を覚えようと努力している時、僕の会社の部長クラスは、「そんなものは使いたくない。ワープロで十分。この歳になって、そんなややこしいものを導入したくない」と思っている人ばかりだったのです。

しかし、携帯が当たり前になった為に、家の黒電話が無くなり、電話のかけ方を学ぶ機会を失ったり、携帯メールが物心ついた時から当たり前だった為、字が下手だったり、手紙を書けない人が増えたり。PCだけに留まっていれば良いものがスマホという形になったことで、人間はかなり多くの必要不可欠なものを失っているような気がします。


大正浪漫を感じさせる趣のある “駅舎”

2023-02-07 | 昭和・懐かしい北摂の風景

旧吹田駅、僕に言わせると国鉄吹田駅は、大正浪漫を感じさせる趣のある素晴らしい駅舎でした。東京・中央線の旧国立駅のようです。スペイン風で屋根の出が少ないので、残念ながら外壁を雨から守る機能が劣っていたのでしょう。

吹田駅中央口駅舎は、現在の駅舎ビルよりも南寄りの場所にありました。この写真は昭和51年(1976年)のものですが、駅前の再開発は既に始まり、駅周辺では立ち退いた住宅の解体も進んでいました。新駅舎の開業は、昭和54年(1979年)でした。


一射絶命 ~街中で目にするような言葉?

2023-02-06 | 今を考える
街を歩いていると、「お!」と目を引く言葉が目に留まりました。
 
 
「一射絶命」とは、数多く射るのではなく、一本でもよいから命がけでやれ!後があると思うな!という意味で使われ、「弓袋の内側」に書いてあるのを目にしたことがあります。
 
それなら野球の「一球入魂」のように「一射入魂」でも良さそうなのに、「絶命」とは・・・。昔の人の言葉には迫力がありますが、そもそも「一矢で相手の命を絶て」という意味も含まれていたのかも知れません。
 
僕は柔道の勝ち抜き戦で先鋒をつとめ、2人を抜いて3人目で負けた時に役目を果たせたと安心していたら、先輩に「お前はアホか!負けたというのは自分が死んだのと同じ。負けて喜ぶな!3人目をなぜ引き分けて来れなかったのか!生きて帰って来い!」と一喝されたことが忘れられません。
 
そう、僕は3人目で負けたので、相手は実質2人減っただけ。最後が引き分けなら5対5の試合は、僕の大学は4人残し。相手校は2人残しで、圧倒的に我が校有利。しかも僕も生きていた!
 
生と死という言葉は本当に重みのある言葉。お洒落かも知れませんが、暴走族のように部活のユニフォームの背中にプリントするような軽い言葉ではない気がします。近頃では、いろんな言葉が本当に軽く使われるようになりました。