青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

五月山の桜 ~もっと大勢に見られたい!

2023-03-26 | 昭和・懐かしい北摂の風景

桜が綺麗に咲いています。コロナが落ち着いて来た事もあり、まさに春到来という気分になります。(コロナには全く油断していませんが)

池田の五月山と言えば、昔から桜の名所。毎年大勢の人が押しかけていました。

僕が社会人になった頃は、会社で花見に行くのが普通の時代。その日は場所取りに行くのが、新入社員の仕事でした。シートを敷いて仕事を終えてみんなが集まるまで場所をキープする。今もそういう会社はあるのでしょうか?

夜桜を見ながら酒を飲み、カラオケまで持ち込んでのどんちゃん騒ぎも普通に見ることが出来ました。

今はそんな光景を全く見ることが無くなりましたが、それ以前に花見に行く人の数が減っているような気がします。体育会系の部活や会社の団体行動が否定され、個人の主張がまかり通るにつれ、良くも悪くも日本から「伝統」が沢山消えて行きます。その1つが花見の在り方なのでしょう。

会社で新入社員に酒を飲ませる事が適度の量であっても否定され、宴会芸や歌の強要はもっての外。確かに良い事なのかも知れませんが、それによって連帯感が希薄になり、同じ境遇の社員同士のぐちり酒や、会社や上司の批判の席ばかりが残っている。同期同士のSNS繋がりで弱い者が群れる。そういう光景が多いという、後輩達からの嘆きの声も聞きます。世代、時代によって価値観は変わります。

これは昭和42年(1967年)の池田市・五月山、秀望台のヘアピンカーブ付近の写真です。このように五月山の観光道路にどっと人出がありました。

秀望台に四阿(あずまや)があり、アイスクリームを売っています。懐かしい光景です。

 


子供は遊びに夢中!

2023-03-25 | 昭和・懐かしい北摂の風景

子供は遊ぶのが仕事。

でも、最近はその仕事が随分、昔とは変わってしまいました。今は子供が少なくなってしまったので、子供たちには友達が少ない。だから放課後は1人、自宅にいることが多く、ゲームやスマホの虜になるのでしょう。ティーネイジャーになってSNSで人と繋がると言っても、リアルに人と関係を築くのと、ネット上で繋がるのでは全く違います!

それを学ぶのが小さな時。

昭和49年(1974年)の団地近くの公園の様子です。

沢山の子供たちが遊びに夢中になっています。こういう場所で人間関係を学んでいくのが普通だった昭和と今の時代の違いが、世の中の違いになって表れているのでしょう。大勢の子供たちが遊ぶ光景が再び見ることが出来るようにならない限り、日本の将来に期待は出来ません。

 


宝塚・花のみちへ続く“商店街”

2023-03-24 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

阪急宝塚線・宝塚駅。宝塚歌劇で有名ですが、昔は「宝塚ファミリーランド」や「大温泉」もあった、阪急沿線の一大娯楽施設、レジャーランドでした。今は駅前も綺麗になりましたし、宝塚ホテルも「宝塚南口駅」より移転して来て、綺麗な町になりました。

僕が子供の頃、阪急宝塚駅の改札口を出た時に見た光景は、これ!

昭和40年(1965年)です。

左側の塀のように見えるのは、阪急宝塚駅の壁です。

土産物屋さんが建ち並ぶ宝塚駅前の商店街。この道を少し行くと、右側に温泉、宝塚歌劇の大劇場、宝塚ファミリーランドの入口が見えて来ました。

上の写真を撮影したのと同じ場所から見た、平成20年(2008年)の景色が下の写真です。現在もほとんど変わっていません。

全く違う景色というか、町になってしまいましたが、どちらも真っすぐに行くと「花のみち」へ通じているのは今も昔も同じです。宝塚の駅前は本当に、昔の面影は全くありませんが、今も昔もヅカ・ファンの人達が集うのは同じです!

 


桜が美しい “呉羽の里” 今昔の風景

2023-03-23 | 昭和・懐かしい北摂の風景

温かくなり、桜の開花宣言が続々と入って来ます。阪急宝塚線・池田と言えば、五月山の桜が美しく有名なのですが、もっと美しい場所があります。それはここ。

池田高校の少し北に位置する「呉羽の里」です。住所で言えば池田市旭丘の住宅地です。例年老人たちを乗せたデイサービスの車が、ゆっくりとこの界隈を廻っています。

呉羽の里の住宅地は昭和12年(1937年)に宅地開発され、当時周囲は梅林でした。この写真は昭和30年代のものですが、宅地内の通りは緑なす生垣を背景に桜が美しい。勿論道路はまだ舗装されておらず、両側には下水溝が見えます。

こちらが昨年の様子ですが、桜の木も大きく育ち、年々桜は美しく感じます。今年はまだこういう様子になるまでには少し時間が必要ですが、もう来週にはお年寄りたちの目を楽しませてくれることでしょう。

 


OS劇場と路面電車~この光景を知っていますか?

2023-03-22 | 昭和の映画館

大阪で1番の大きなシネラマ・スクリーンと言えば、OS劇場でした。OS劇場?シネラマ?今では知らない人も多いと思います。数ある大阪キタの映画館の中でも、ちょっと敷居が高い雰囲気がありました。

路面電車が劇場前を走っていますが、写真の撮影は映画館から道路を隔てた、現在のTOHOシネマズ梅田が入るHEPナビオの前からです。そう、梅田のド真ん中の景色。

若い人は大昔の光景に思うでしょうが、これは昭和44年(1969年)大阪万博の前年の光景です。僕にとっては昨日のように思い出せる光景です。

現在のようにお気軽に行く場所ではなく、よそ行きの服で出掛けるのが梅田でした。映画~百貨店~旭屋書店~外食。年に数回の贅沢のフルコースでした。

下のような面白い本が東京だと多く出版されているのですが、大阪のものはほとんど無いのが残念です。需要はあるのに・・写真が残っていないのかな?