天空☆faya-y的毎天☆

~faye-yの日常~ 天空疊著層層的思念。

書くということ

2015-07-02 20:47:32 | 
文校繋がりの中では、おそらく『絶歌』に関する意見のひとつの目線が同じだと思う。
倫理的な側面での否定的な意見ではない。
それは社会の人に任せよう。
(ですので、この件はここでは議論の対象としません)
「クローズアップ現代」の今日のテーマは『絶歌』について。ここででてきたのが彼の治療を担当していた医療少年院の院長である精神科医である。

・乱暴なことをしたなあというのが第一
・結果として失敗
・これを書くことによって癒されようとした。書くことによって陶酔し、すごい作品だと思った。
・これだけ書いたから許されるだろうと思った。
(要約)

3つめに上げられた言葉は、文校でどれだけ指摘される内容だろう!
さて、ある時のクラスメートに大きな出来事を背負った人がいた。彼(ずいぶん年上の人だが)は何度も何度も自分の状況・その場面にいたる直前を書いた小説を提出した。それも前編だけ。
私たちはクラスメートとして対等な立場だったので、率直に「小説としてどうなのか」を議論した。後編を書く参考になるだろうとアドバイスもした。しかし、彼は結局後半を書かず、アドバイスをした我々に恨み言を言って休学した。
書くことは彼にとって癒しだったんだろう。でも、それを客観的に咀嚼する気持ちはもたかなったのだ。
私たちは彼が書いたその場面を好奇心では読めなかった。書く仲間としてその出来事に捉われることなく忌憚のない意見を交わしたのだ。
元少年Aにそのような仲間がいなかったことは不幸だと思う。
書くことにより自己陶酔するのは危険な罠である。なぜなら精神的な成長がそこで止まってしまうからだ。
そういう事件を書いた小説でなくてもいろんな方の作品に対して「独りよがりで伝わるものがない」という意見を私たちは交わし、癒しを越え人に伝えることが作品を描くことだということをトレーニングした。
今回この作品は出版した出版社は被害者の心情を考えていないと批判されているけれど、加害者である元少年のこともまったく考えていない。文校でぼろくそに言われたらよかったのに。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする