由布岳の すすきの原を 馬走り
馬糞 Bafun
由布高原は、九州におわす神々が、守り抜いてきた聖
域である。
現代の高天原というべき神聖な高原は、清らかさを感じ
させる。
その高原の一角に乗馬倶楽部があった。
ところで、九州北部にはこうした乗馬倶楽部が少なく
ない。
因みに、福岡県は全国でも有数の乗馬倶楽部集中地域
であるらしい。
誇るべき文化ではないか。
もっと気楽に乗馬を楽しめる国にしたいものである。
最近、競馬、競輪がはやらなくなってきて、公営ギャ
ンブルが閉鎖に追い込まれているらしい。
日本の公営ギャンブルは、エゲレスと違って、貴族が
楽しむという優雅さに欠ける。
いかにも女房泣かせで貧乏ったらしの博徒が集まった
とい品の悪さが定着している。
まさに丁半賭博の雰囲気である。
最近、公営カジノを作ろうという案が自民党の中で追
い込みに入っているらしい。
本来は、政治からギャンブル性を除去して、安定を追
求してゆかなければならないのだが、どうも、博打好き
が身に染み付いているらしい。
そこで、ギャンブル立国論ではなく、スポーツ建国論を提唱したい。
生涯スポーツを推進することは国家政策であるから、
推奨されるべき身近なスポーツを普及するという役割が、
プロスポーツには期待されている。
すなわち、野球やバレー、バスケットなども視野に入
ってくる。
そこで、こうしたプロスポーツを発展させるためには、
まず、公設民営化の方式で、プロスポーツを自治体ごと
に立ちあげるのである。
選手の手当ては、公務員に準じて支払う。
入団、退団は、監督の権限事項である。
生涯公務員というような社会主義なのではない。
そこで、実績を積めば、地域スポーツクラブの指導と
いう仕事にも就くことができる。
スポーツの職業化はもっと、推進するべきなのだ。
さらに、入場料にも、勝敗によって、一定の払い戻し
があるような楽しみも工夫してよいのではないか。
万馬券のような賭博性のあるやり方は品格を失うので、
やるべきではないが、収益確保と楽しみのためには妥当
な範囲があるであろう。
たとえば、入場券のほかに、ひいき投票券を販売して、
勝てば一定の配当がついて、郵便局で賞金がもらえると
いうような仕組みである。
ただし、一人3万円以内という制限を設けるべきであ
ろう。
観客が増えれば、収入も増えるという程度の効果に留
めるべきだからである。
賭博罪は刑法犯だが、賭け事を一切禁じるというのも
実効性がないし、必ずしも有害というものではない。
法定の範囲を超えた賭け事は、勤労意欲を害する実質
的違法性を帯びると考えて、処罰してよい。
公営にしたからといって賭博罪の違法性が阻却される
という考えは妥当ではない。
実質的にバランスを考えるべきである。
さらに、プロスポーツ選手は、一般人のスポーツ指導
という役割を持たせるべきであろう。
スポーツの職業化、プロスポーツの普及を重要な国家
政策として推進していただきたいと願う。
Bafun