棘青く 庭の山椒が 芽を伸ばし
馬糞 Bafun
山椒は邪気を払う香木である。庭に植えていると、家が
栄えるとも言われる。木の実和えで知られる食材でもある。
春に、山椒が芽を出すとうれしくなる。
水をやると、ふ~っと香り立つのだ。
春というのは、若葉がまぶしくて、山がはなやぐ季節である。
《「日本国憲法」は憲法ではない》
今日は五月三日、憲法施行記念日である。しかし、ほん
とは、博多どんたくの日である。行楽日和で大変な賑わいで
あった。
「日本国憲法」施行とは、一体なんだったのか。
本来であるならば、戦後日本の独立記念日とするべきとこ
ろである。新生記念日でもよい。
しかし、「日本国憲法」は、日本の独立を放棄した殖民地法
であった。
平和憲法などと、いい加減なことを言い続けた左翼政党の
罪は重い。
「日本国憲法」は、まさに精神的仮死状態にあった日本の
生命維持装置というべきであったかもしれない。
しかし、憲法ではない。
そこを間違えてはならない。
国民の生命、安全、財産を政府の行為によっては守らない
というのだから、あきれた前文である。
国家の安全を、戦勝連合国に委ねることが、なぜ、名誉あ
る地位なのか。
名誉どころか、いわば免疫システム不在の病人のようなも
のである。
緩やかなペストというべきエイズの病原菌。
それが「日本国憲法」前文と9条、20条等の正体である。
以前にも書いたが、憲法とは独立国家の根本法である。
独立宣言である。独立放棄の前文を持つ「日本国憲法」は明
らかに憲法の本質を持たないエイズ法である。
ゆえに、無効である。
日本は、敗戦によって、不文憲法の国になった。憲法法源
は、十七条憲法、明治憲法、そして、実際に憲法のごとく扱
われてきた「日本国憲法」の一部である。
ここに法源といっても、日本の憲法を知る手がかりという
意味である。
したがって、「憲法改正」論議というのは、間違った考え方
であって、成文憲法の制定についての論議でなければなら
ない。
明治憲法は、すでに死文化されており、実効性がない。
「日本国憲法」は無効である。
ゆえに、新・成文憲法制定手続きは、立法によって定めれ
ばよい。「日本国憲法」改正手続きの制約は受けないという
ことである。
「憲法改正」などというまやかしを、今後は使わないでい
ただきたいものである。
内容の議論以前に、この点が最も肝要なことである。
今後、5月3日は、「新憲法制定について考える日」と改名
することを提案する。少し長いだろうか・・・。
Bafun