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+ この世に生まれてきた理由・・・ 母の日に

2007年05月13日 13時45分06秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 母の日の  感謝も遠き  町に住み

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 母に日はいつも心苦しい。

 かつては、司法試験短答式試験の日が母の日だった。

 合格したときはうれしかったが、結局は果たせなかった。


 五月の風の微妙な肌寒さと、日差しのまぶしさが切ない日で

あった。

 今となっても、母の日になすべきことを知らない。

 庭の赤いバラに感謝の気持ちを託すことにしよう。

 

 

この世に生まれてきた意味》 

 偶然この世に生み出され、投げ出された孤独な存在という人

間観(実存主義)が芸術を気取り、哲学を気取っているが、その

論理的帰結は無頼の人生観にほかならない。


 その自然な帰結として、自己中心という倫理に反する人生観

を提供している。

 唯物論の信条でもある。

 

この世に生まれてきた意味などあろうはずがないという根無し

草の人生観である。

 享楽的な人生であってよいということでもある。

 

 偶然生まれたという人生観に立てば、母の日を祝いたい人ば

かりではない。

 

 「なんで、勝手に自分を生んでくれたのか」と逆恨みする子

に返す言葉もあるまい。


 偶然ということに、約束のあろうはずもない。

 自己都合が根拠もなく連鎖する人生、それが、実存主義の人

生観である。

 これに自分勝手な理由をつけるあつかましい「哲学者」や「芸

術家」が多い。

 それが現代であろう。


 まさに、邪見(間違った考え方)の徒が暗躍しているのである。


 

 存在にはすべて理由があり、目的がある。

 生まれてきたことにも自己責任がある。

 あの世からこの世に生まれるにあたっては、母と子の約束が

あってのことである。

 お願いして生んでもらったのである。

 だから、生まれてきただけでも、母に感謝しなければならない。

 母は、約束を守ったのであるから。

 転生輪廻の目的は、魂の修行にある。

 わずか、数十年の人生で完結できようはずもなく、天国に行っ

て終わり、地獄に落ちて終わりというのでは希望もない。

 それは不合理である。

 

 おもえば、不思議なことである。

 気宇壮大な多次元宇宙であることよと感心する。

 生命の永遠性にありがたいと感謝する。



 失敗先行型の人生であったが、来世につながる仕込みのため

に残りの人生を努力する意義がある。

 実にありがたい。


 何がありがたいのかというと、認識が広がり、成功体験を積み

上げてゆくことができるということである。


 

失敗は成功を知る重要なヒントであり、成功は真理を知る

手がかりである。


 この世に生まれてきた目的は、魂の学習、進化のためで

ある。

 
そのための課題は、試練という形で与えられる。

 「人生は一冊の問題集」というのはそうした真理を見事に語る

悟りの言葉である。

 だから、試練から逃げてはいけない。

 大変だと思う苦手意識に惑わされてはならない。

 そう思える所にこそ、人生の宝物が埋もれているのである。

 そう考えると、人生とは、宝探しのようなものではないか。

 他人が取って代わることのできないのが人生の試練である。

 そこに、格差などあろうはずがない。

 貧しさに苦しんでいるのであれば、そこに宝物が埋もれている。

 苦の原因が、臆病であったり、傲慢であったり、怠慢であった

りするのだ。

 貧苦と思うなら、そこに試練がある。

 

 苦にならないが、裕福ではないとすれば、金持ちになるべき必

然性がないからなのであろう。

 金持ちになることが、自分の人生の宝探しに合理的関連性を

持たないからであろう。


 この世の人生に居心地のよさを求めてはならない。

 あの世に帰れば、地獄に落ちない限り、居心地の良い人生が

まっているのだから。


 この世は、修行をすること、トレーニングをして強くなることに本

来の目的がある。

 たまに、一休みする居心地があればよい。

 

 これに対して、救世主は大変である。

 修行というより、人類救済をすることに目的責任があるのだから。

 まさに苦杯である。

 だれが望んで救世主の人生を求めるだろうか。

 そのような方が、かつての仏陀であり、イエスキリストであった。

 孔子様であり、科学の世界ではアルキメデスでありニュートンで

あった。


 母に感謝をし、仏神に感謝を捧げたい。

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 立夏の動輪・・・ 新生倫理 序論 

2007年05月13日 10時31分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


 蛙らも   忙しくなり   夏は来ぬ

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 (5月6日)

 今日は立夏。

 いよいよ、夏が始まる。

  蛙たちも、田植え準備が始まった田んぼで、忙しく鳴き始めるのであ

ろう。

 蛍が舞い始め、蝶や、トンボももうすぐ舞い始める。

 

 忙しくなるのは蛙ばかりではない。

 連休が終わり、いよいよ動輪が高速回転を始める。

 その最終調整なくしては、明日を迎えることができない。

 機関車のように、もくもくと煙を吐き、ボイラーの圧力を高め、最終

点検をしなければならない。

 

 さあ、汽笛を鳴らせ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最新倫理 序論 

1. 倫理道徳とは、やる気の原理である

・・・ 新しい時代の責任こそが、仕事であり、人の道である。

 

 いつの時代にも、チャンスは逆境の顔をしてやって来る。

 逆境に立ち向かう精神とは、修行の精神である。

 私利私欲ではない。

 そこに成功哲学としての道徳がある。


 

2. 新しい時代の倫理道徳

    『自己中心の戒め』

    『
嫉妬の合理化の戒め』

    『人生修行の精神』



 新しい時代が始まっている。

 戦後の空腹は満たされた。

 使命に目覚めて自分の人生を開拓できる時代である。

 20世紀までのゲームは終わった。

 新しいルールで、新しいゲームが始まった。

 20世紀型戦争ゲームが、楽しくなくなったのである。

 
 20世紀は団体ゲームだった。

 21世紀は、個性と多様性を競い合うゲームである。

 登場人物がたくさん出て、新しいドラマを展開する時代である。



 「物から心へ」

 「規格大量生産から消費者企画型・多品種少量生産へ」

 「所有者中心主義から利用者中心主義へ」

 「大衆から個性へ」

 個性の時代に求められる倫理道徳とは、自己中心への戒めであ

る。

 「格差社会」という嫉妬を跳ね飛ばす人生修行の精神である。

 『自己中心』と『嫉妬の合理化』が現代の悪魔の本質であり、最も

戒められるべき『邪見』である。

 邪見を原因として結果するものは、禍であり、不幸である。


 

  

3. 目覚めの原理・・・ 善因善果・悪因悪果の法則

 原因結果の法則からは逃れられない。

 「天知る、地知る、子知る、我も知る」という四知の意味するところ

でもある。

 善悪の基準は何か。

 善悪は、人間関係として現れる。

 人間関係の不調和をもたらす自己中心の思いと行いが悪に他なら

ない。

 逆に、人間関係に発展と調和と感謝をもたらす思いと行いが善で

ある。

 自己中心こそは悪の根源である。

 なぜならば、自己中心の思いは、他人を排斥し、害する原因だか

らである。

 結局は自分をも害する所行に堕落する。



 人を殺すな

 人を傷つけるな

 盗むな

 ふしだらな男女関係(不倫)をするな

 嘘をつくな

 自己中心は、人間関係の調和を乱す禍である。

 自己中心の欲から離れるべし。

 自己優先の欲は禍に優先される。

 

 
 善とは、利自即利他である。
 

 愛と慈悲の心で、福の浪費を惜しみ(惜福)

  福を感謝奉納し(植福)

 福を他人に分け与えること(分福)
 
 福を育て、提供し、分け与え、無駄遣いをしない。

 それが、この世の人生の偉業となってゆく。

 

 

4. 修行の原理・・・ 苦の思想と転生輪廻の人生観

 この世は、自分の思い通りにはならない。

 四苦八苦は避けがたい。

 しかし、その原因は、間違った価値観にある。

 肉体人間が自分だと錯覚すること。

 この世限りの人生だと勝手に思い込むこと。

 そのために、自己中心になり、努力を厭うようになる。

 人生は永遠の修行である。

 そのために転生輪廻しているのが人間である。

 だから、人生は一冊の問題集といわれる。 

 


5. 嫉妬が自助努力を阻害する


 修行の邪魔をするのが、嫉妬である。

 「格差社会」がいけないと喧伝されているが、巧妙な嫉妬の合理

化にほかならない。

 「差」という考え方そのものが、個性を否定し、自助努力を否定して

いるのではないか。



 かつて、「バブル経済」批判が喧伝されて、年間3万人を超える自

殺者を出し続ける長期不況の原因も、「格差社会」批判論であった。

 やっと、デフレ脱却の光明が見えてきたら、またぞろ「格差社会」

批判が台頭している。


 現代の悪魔たちをよく見ておくがよい。

 悪魔は反省できないものである。

 
 愛と智慧と反省から発展をめざすこと。

 「貧富の差」という嫉妬心を反省すること。



 これが、道徳のエッセンスであろう。

                            梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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