敗戦後 七十年の トンボかな
梅士 Baishi
特急カモメの盆の帰省は災難だった。
長崎の豪雨のために肥前鹿島を過ぎて肥前七浦でスト
ップ、動くのかと思いきや、バスに乗り換えてください、
ということになった。
結局5時間がかりでようやく長崎駅に着いた。
5時間歩くよりもずっと疲労感がたまった。
空腹のままにさらに車で2時間余、宿についたころに
はさすがにウルトラマンランプが消えかかっていた。
その後のビールと重食で胃腸のストレスがピークに達
し、脱水症状に苦しむお盆休みとなった。
実に災難だった。
15日の盆の日に宿を後にして雲仙仁田峠、愛野を経由
して長崎入りしたが、途中の山道で、ヤマカガシと思わ
れる子ども蛇が突然飛び出してきた。
蛇は飛び上がって引き返そうとしたが、一瞬のことだ
った。
たぶん轢いてしまったのではないか。
どうだったかなあ・・・。
蛇は、道路を横断するときは右左を確認して、鎌首を
挙げて渡ってほしい。
疲れ果てて家に戻ったが、10年前の卒業生に呼ばれて
天神の居酒屋に出かけることになった。
行ってみれば懐かしい顔ぶれで久しぶりに楽しい気分
になった。
彼らも30歳を過ぎたのだという。
それぞれに中堅どころの働きを始めているようである。
「先生も全然変わらない」というが、自分の10年前は
明らかに若かった。
きっと威勢も良かったし、やる気にあふれていた。
しかし、今の職場は宦官のような「若手」事務屋がひ
そひそ話の仕事をし、独裁的決定と思考停止と事なかれ
主義の気概なき職場に堕落した。
それをアメーバー経営というのだそうだ。
心なき病理組織ということだろうか。
手を擦り足を擦り、小声でしゃべる事務屋には成り下
がりたくないものだ。
信仰なき人間たちの職場というのは、結局は堕落する。
信仰は私的な問題で、教育の場に持ち込むべきではな
いというのが戦後の教育倫理である。
その神も仏もない教育「倫理」が、職場だけではなく、
この国を腐敗させてきたのである。
天皇が神聖さを放棄して以来、教育からも神が排除さ
れてきた。
教育はすでに実質的に聖職ではなくなったのである。
スポーツマンシップを見失った「スポーツ」よりもさ
らにおぞましいことである。
しかし、それ以上に災難に感じたのは、14日に発表さ
れた戦後70年の安倍談話だった。
安保法案を通すまでは穏便に穏便にという方針だった
のだろうが、日本国民や英霊に対して、安倍よお前もか
というような屈辱的内容だった。
穏便にごまかそうというのなら、「戦後七十年、日本
は独立国家の名に恥じない国際調和の責任を自覚し、努
力を尽くすことを誓います。」という程度でよかった。
質問に対しては、「言葉のとおり、善意に、前向きに
解釈していただきたい。」と繰り返せばよかった。
手を擦り、足を擦りの事なかれ政治というものは、政
治腐敗から逃れることはできない。
マスコミも、政党も、スポーツマンシップを学ぶべき
である。
正々堂々と戦うべきである。
もはや、戦後政党政治は終わったというべきであろう。
憲法無効宣言、日本独立宣言、大東亜協栄軍+日本軍
再編宣言、地方自治廃止・解雇宣言、官僚制度リストラ
再編(文科省、農林水産省、厚生労働省の廃止、解雇宣
言を含む)、NHK民営化、マスコミ独裁禁止法制定、新・
公職選挙法公布、反日分子国籍はく奪処分、皇居の遷都、
天皇の最高神官宣言・・・、こうした革命制度を準備す
ることだ。
ちなみに、厚生労働省OBの失権と賠償責任を忘れてはな
らない。
それが出来上がった段階で、革命宣言となるであろう。
2018年までに完成させたい日本革命である。
安倍総理の戦後70年談話の意義は、安倍総理の仕事が
安保法成立で終わり、革命路線が確定したことにあると
考えるべきであろう。
安倍総理は、最後の総理としてあと3年続けてもらえば
よろしい。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党