浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

ラオス旅行の思い出 

2020年09月17日 18時41分45秒 | 旅行

2011年2月、LCCのエア・アジアを利用して、クアラルンプール経由ラオスの首都ビエンチャンを訪問した。ラオスが75カ国目の外国となった。

羽田からのエア・アジア便はほとんど満席で、日本人もかなりいるが、マレーシア人と思われる人も多数乗っていて、彼らの足となっていることがよくわかる。

首都ビエンチャンは昔の日本といった感じで、親日ということもあって、皆、人懐っこく、フレンドリーであるが、英語はホテル等観光関連のところしか通じない。

25日にローカルのバスに乗って、ブッダパークという多くの仏体が置かれている公園と友好橋(ラオスとタイの国境のメコン川にかかる橋)に行ってきたが、英語が全く通じず苦労した。片道約1時間かかるが、なんと運賃は約50円。

午後は街中をウォーキングし、ラオスのシンボルとなっているタート・ルアンや凱旋門を模した慰霊門であるパトゥーサイやワット・シーサケート、ワット・ホーパケオ等を歩いて見て回った。暑くてちょっと埃っぽいが、歩いていて治安上の心配は全くない。日本の協力で道路が整備されているとのことで、日本の国旗がラオスの国旗とともにいたるところに掲げられている。街中にはマッサージ屋がいたるところにあり、近くのお店でラオス伝統的マッサージを1時間、約400円と本当に安いので毎日でも行きたくなる。

また、日本食レストランもいたるところにあり、日本食には全く困らない感じ。その夜は、民族舞踊ショー付きのラオスレストラン「クア・ラーオ」でラオス料理とラオス音楽とショーを楽しんだ。ここには小泉及び小渕前首相や秋篠宮様も来店したようで写真が飾ってあった。食事はセットメニューにしたのでラオス国産ビールのビア・ラーオ代も含め、たった14米ドルでショーも楽しむことができた。

ラオスの後、ミャンマーにも行ったが、個人的印象としては、ラオスの方が素朴で好印象を持った。まだラオスまで行く人は少ないような気がするが、一度は訪れてみたい親日の国である。

写真は、タート・ルアンとブッダパークとクア・ラーオのショー

ラオス旅行アルバム: https://youtu.be/lG8xQoxZyNU 


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ヨルダン・ドバイ旅行の思い出

2020年09月17日 08時26分10秒 | 旅行

2007年7月にヨルダンの首都アンマンでアジア陸上競技選手権・総会が開催されたが、それに出張で参加する機会を得た。ヨルダンが57か国目の外国となった。会議・大会がメインでほとんどはホテルや競技場にいたが、合間を見て、市内観光もできた。アンマン城やローマ劇場など市内に見どころも多い。

大会終了後、車をチャーターして、6人で死海まで遊びに行く機会を得た。途中、マダバ(聖ジョージ教会のパレスチナのモザイク地図が有名)やネボ山(モーゼの十戒の終焉の地)に立ち寄り、死海のアンマンビーチでは浮遊体験もできた。死海の水の塩分濃度は27%もあるようで、海岸は塩分で白くなっていた。誰でも簡単に水に浮くことができるが、貴重な体験であった。ヨルダンといえば、ペトラ遺跡が有名であるが、時間の都合でそこまでは行くことができなかったのは残念であった。ヨルダンは観光ではあまり行く機会はないかも知れないが、死海には一度は行ってみたいところである。

ヨルダンからの帰路、アラブ首長国連邦のドバイに1泊したが、ドバイの暑さは想像を絶するものがあり、空港を降り立った夜でさえ、熱風で耐えられないほどであった。翌日に市内観光をしたが、外気温度は50度以上ある感じで、外は30分も続けては歩けない状態であった。金満都市ドバイだけに超高層ビルが建設ラッシュにあり、世界一の高さをめざすバージュ・ドバイ(現名ブルジュ・ハリファ 828m)も建設中であった。また、7つ星ホテルで有名なブルジュ・アル・アラブも遠景ながら見ることができた。お金に糸目をつけずに都市作りをしているドバイであるが、その後バブルがはじけて大変な目にあっているような話を聞いたことがあるが、今は一体どうなっているのであろうか?

写真は、アンマン城、モーゼ終焉の地・ネボ山からの眺め及び死海での浮遊 

ヨルダン旅行アルバム: https://youtu.be/OtshITJb4Rs


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